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:001/Archangel
:014覚醒
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時刻は午後を回っているんだろう。太陽が高い。
それでも何処か空気が冷たいのは、この路地の日当たりの悪さに依る。
キイチが言っていた通りなら、ロネリーはこの路地を抜けた大通りにいる。スキアは、光が遮られ足場も悪い狭路を急いでいた。
(──人がいる)
と、スキアは立ち止った。
瓦礫の影に、冷たい気配を感じる。
互いの姿が見えないまま動きを探り合い、やがてゆらりと、男が一人姿を見せた。
「……お前は……」
銀髪の、冷たい男。
「また会ったな、少年」
スキアは身構えた。両腕は既に獣の爪と化している。
凍てつくような冷酷な雰囲気を漂わすこの男を前にして、“許してはいけない”という想いは強くなった。胸の内に、煮える様な感覚が高まって行く。
「何故邪魔をするんだ。僕達は、あのペイシェント──大天使から街を解放しに来てるんだ」
「邪魔をしているのはシリウスの方だ。選ばれし人間の新世界、“俺達”もそこへ行く」
──弱いな。
スキアの爪を見て思っていた。第二拠点で会った時よりも、腕の爪が小さく力も感じない。
「貴方達の目指す物は僕には分からない。だけど、その為に誰かの犠牲があるのは、間違っている!」
「…………」
銀髪の男──クロードは一瞬。ただ一瞬だけ、目を伏せた。
すぐに顔を上げ、クロードは沈黙を終わらせた。
「……犠牲か。俺がペイシェントにした奴等の事を言っているのか?」
「……!」
スキアは、リタの父親を思い浮かべていた。記憶に、強く焼き付いている。
「それとも第二拠点の爆破に巻き込んだ奴等か……しかしあのペイシェントも殺したのだろう? “救えるかも知れない”のに」
「……何だって?」
救えるかも知れない。
その言葉に反応したスキアを見て、クロードは得意気な、それでいて自嘲的な表情。
何を考えているのか。何を思っているのか。スキアには、読み取れない。
「“核”と、“樹”があれば……“核”があればアークエンジェルは覚醒し、そうなればシリウスから“樹”を奪える」
「“樹”……?」
そう聞いて思い出すのは、白樹。
ロネリーと始めて出会った場所に、それはあった。
「と、お前は敵である俺の言葉でも信じてしまう訳だ。“救える”と希望のある言葉ならな。根拠も保証も無いのにな」
それだけ言って、クロードはスキアに背を向けた。また細い路地へと入っていく。
スキアは追いかけた。逃げられると思ったが、クロードは路地の半ばで立ち止まっていた。身なりの汚れた中年の浮浪者が足元に倒れており、それを見下ろしている。
クロードはその中年の男の髪を掴んで引っ張り上げた。
「この辺りの人間は、全てアークエンジェルに食わせたと思っていたが。まだ生き残りがいたようだ」
クロードの右目から、黒い粒子が溢れた。それは瞬く間に広がっていき、地面や壁を侵蝕し、そして苦痛に歪んだ表情の浮浪者を黒く染め上げていく。
「や、やめろ!!」
急いで走りながら叫ぶスキア。その声が届いていないかのように、クロードの行為は止まらない。
間に合う筈がなかった。クロードは自身のこの力を数え切れない程に使い、その性質も熟知している。何度も、繰り返してきた。
そして間を置かずして浮浪者は、完全に黒く染まりペイシェントと化した。
「奴を食い殺せ」
クロードのその言葉で、スキアに襲い掛かる。
スキアは飛び掛かるペイシェントの攻撃を、両腕で受け止めるが反撃は出来ず、その場に押し倒された。
(……)
迷っていた。
このペイシェントは、今さっきまで人間だった。
“救えるかも知れない”
その言葉は何の意味も持たない、ただ相手を小馬鹿にする為の荒唐かもしれない。それでもスキアの頭に残ってしまう。
故に地面に倒されペイシェントの牙を必死で受け止めながらも、自分の身の安全すらも考えられない。
「……今度こそ、蜂の巣だな」
クロードの、冷たい声。
聞こえた次の瞬間、銃声が響いた。
クロードはスキアに覆いかぶさるペイシェントを背中から撃った。八発撃って弾倉が空になれば再装填してもう八発撃った。
仕上げに、円筒型のグレネード投げ捨てると、背を向けた。ゆっくりと、その場から離れる。
これからの事を考えていた。仲間の殆どはもういない、しかしそれを何とも思わない。目的には近づいている。
やがて背後で爆発音が聞こえた。あの少年に対し、気の毒と思う感情も残っていない。
どうせ、新たな世界には選ばれた者しか行けない。
だから──
(……いや、いつもいいところで仕損じる俺だ。もっと慎重に行くかな)
瓦礫が崩れた音が聞こえた。
まさか、とは思いつつも、クロードは振り返った。
黒い獣の爪は、更に大きく──両腕でスキアの身を覆い隠せる程に、大きくなっていた。
ペイシェントは消えている。消滅したのだろう。しかしスキアはあの爆発の中無傷、否、それ以上。
即ちクロードが見るにスキアは。攻撃を受けた時よりも、その力が増している。
(まるで、あのペイシェントを吸収したかのような……)
「……お前は……お前は! 人間を、何だと思っているんだ……!」
そしてそれはまだ、消えていなかった。
スキアの胸中の、煮え立つような感覚は。
「……お前こそ、本当に人間か?」
***
大天使の爪が右腕に三条の傷跡を残したとき、ロネリーは自身が押されている事を実感していた。
割れたアスファルトに血痕が二滴、三滴落ちた。人工皮膚が裂かれ、中の機械が見えている。
ロネリーは剣を強く握り直し、また地面を蹴った。全力を以て突きを繰り出す。大天使の爪とぶつかり合い、火花を散らした。
(押し返せない……!)
逆に大天使が腕を振り切り、ロネリーは後ろへ跳ぶしかなかった。
(俺が弱くなったとは思いたくない)
なれば可能性として残るのは、この大天使が強くなってきているという事。
宙を舞いながら小天使達を払い除け、着地したロネリーはそれでも撤退はしない。
不服だったが──孤独の中でも戦い続ける道を選んだロネリーは誰にも頼らないと決めていたが、それを拒む理由も見つからない。
“強さ”、それは一人でも戦える事でもあり、誰にも負けない事でもあった。
ロネリーはそのどちらも目指していたが、今は後者を重視した。
大天使が爪を振り被る。そして僅かな溜めの後に大きく弧を描いてロネリーに切りかかった。
「チェンジナンバー03!」
ロネリーは右腕を上げシールドバリアを展開、剣の核から放たれた青い光が、大天使の爪を防ぐ。しかし、その防御障壁にはすぐに亀裂が走った。
大天使は防がれている事など意に介さず、その腕に力を入れている。ロネリーはすでに右腕を剣に戻し、それを両手で握っている。腕を引き、剣を右脇に構えた。
そして全身に力を込めていた。シールドバリアはもう殆ど割れている。それでも敵だけを見据え、足に力を込め、剣を更に強く握り、ただ、次の一閃の為に集中していた。
程なくしてシールドバリアが割れ散り、勢いを増した大天使の爪がロネリーの頬に迫り、僅かに触れた、その時。
「遅い」
呟くロネリー。
大天使の背後──
晴天の空の下に、翻るヴィルを見た。
鉄糸が大天使の爪に絡みついている。
「急いで来たっつーの!!」
鉄糸は、大天使とヴィルの間で折れた標識に巻き付けられ、その腕の動きを止めていた。
標識は今にも折れそうに、地面から抜けそうになっているが、攻撃を僅かでも遅らせられている。それだけでロネリーには充分に過ぎた。
「死ね、“ペイシェント”」
全身に溜めていた力を全て解き放つ。
ロネリーの剣が、大天使の胴を斬り裂いた。
***
迷いが薄れるにつれ、スキアの両腕はより深く黒く輝いた。
許せない相手を前に胸の内の熱さが強まり、抑えられない。
対峙するクロードは、そんなスキアを前にしても冷静だった。
(アークエンジェルが……?)
反応が弱まっている事に気付いた。
あれが消えれば、積み上げてきたもの全てが水泡に帰す。
クロードはグレネードを二つ、投げた。
スキアの目の前で爆散したそれは攻撃としては下策であり何一つ傷を負わせられなかったが、目的は目眩まし。スキアが腕の防御を解いた時、クロードは姿を消していた。
スキアは周囲を見回した。クロードは逃げたようで、気配が無い。
ふぅ、と息を吐き、獣の爪を解除した。
と。
「スキアさん」
不意に呼ばれ、振り返った。キイチが立っていた。
何処かで見ていて加勢をしようとしてくれていたのだろう、その手には式神を持っていた。
「キイチさん、無事で良かった。あの地面を操る敵は?」
「倒しました、しばらくは目を覚ましませんよ。それよりあの男の方ですが、追いますか?」
スキアは、まだ戦いに慣れていない。
敵を逃して、見失って、どう動くべきかが分からない。
ただそれでも、あの男とはまた対峙する事になると思っていた。
キイチが「追いますか?」と訊いたのは、それが任務に含まれていないからであろうが、スキアはやはりクロードを許せない。
「はい、きっと避けられない相手だと思うから……あの男と相対したのは、偶然じゃない気がするんだ」
「……思い返せばあのショッピングモール跡地、中へ入ろうと提案したのは貴方でしたね。結果として敵を背後に残さずに済みましたが」
「引き寄せられたような、そんな気がするんだ。思い過ごしかもしれないけどもしかしたらって」
深い感情と、感応している。
それにスキア自身ははっきりと気が付いていない。まだ、思うままに身体が動くに留まっている。
(引き寄せられた?)
キイチはその言葉に、何処か引っ掛かる物を感じた。
大天使はペイシェントであり、銀髪の男は暗黒物質やペイシェントを操る能力を持っていた。
そしてスキアは──
「キイチさん?」
「……ああ、すいません考え事をしてました。行きましょう」
***
──アァァァァァアアアアアアア!!!
大天使の声は、今度は耳を劈いた。
それは明らかな悲鳴で、苦痛の中にいるペイシェントがそれでも存在にしがみつく為の足掻き。
しかしそれにしても様子がおかしい。消える気配がない。どころか、斬り抜けた筈の胴は分断されず、そこへ暗黒物質が集まり見る間に再生していく。
(……マズい)
ロネリーは思った。今まで倒してきたペイシェントと、何か違う。
「ロネリー! 離れろ、何かヤバいぞ!!」
そう叫んでいるヴィルの声を聞くまでもなく、ロネリーは大天使を蹴り飛ばしていた。振り回していた爪が空を切る。
大天使はビル壁にぶつかりまた苦しげな呻きを上げるが、それとは裏腹に傷は塞がっていった。
身体からばら撒かれる暗黒物質はその量を増やしているが、小天使はもう生まていない。魂が尽きたのだろう。
「しぶとい奴だ。止めを刺してやる」
大天使に向かい、歩いていくロネリー。まだ警戒は緩めていない。気を抜いてはならない。
以前戦った大蜥蜴のペイシェントを思い出していた。あれも、一度倒したと思ったが仕留め損ねていた。
思えばあの時、スキアと出会った。
(……スキア?)
ふと見れば、路地から出てきたスキアとキイチの姿があった。目立った傷は無い。
視線を戻す。と、大天使は震えていた。
──アァァァァァァァァァァァァ!!!
また咆哮を上げている。しかし今度は悲鳴ではない。もっと、悍ましい声──そうロネリーには聞こえた。
ロネリーの左目で見える大天使はよりドス黒く映っている。
大天使の傷はもう完全に消えていたが、それでも暗黒物質は集まり続け、その体躯が肥大化していく。
周囲の侵蝕箇所が煮立った様に沸き立ち震えている。大天使の全身も同様だった。明らかに、エネルギーが活性化している。
「これは……そうか、これは……!!」
ビルの屋上から様子を見ていたクロード。目を見開いて、思わず両腕を広げていた。
大天使が“覚醒”を始めている。そしてそのすぐ近くに立っているスキアを見つけ、クロードは理解した。
「ククク……ハハハハハハハハ!! そうか!! 必要だったのはお前か!! それは予想外だった!!」
今、大天使はクロードの望む“姿”へと変貌した。
“あれ”が欲しかった。あの姿の天使が欲しかった。新たな世界を創る為に。
そこへ到達する為に。
「もはや今いるデストロイヤー達など敵ではないな! あれなら行けるぞ! 壁の向こうにも、奈落川の向こうにもそしてシリウスにまでも!!」
傲慢な笑い声が晴れ渡った空に響き渡った。
応援ありがとうございます!
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