氷霜とワインのマリアージュ 〜無自覚お嬢様は誰からも愛される?!〜

Futaba

文字の大きさ
11 / 27

実らない果実

しおりを挟む
「久しぶり、元気だった?」

 相変わらず、目も眩むほど輝かしく美しい顔で、こちらに向かって悠然と微笑む人物。

 レオニーの元婚約者、ユーグ・クラークだった。

「ユーグも元気そうで何よりね」

 時が戻ったかのようにあまりにも自然に話しかけられたので、レオニーもつられて普通に返事をしてしまった。

 身も心も清らかなこの人には、躊躇とか戸惑いとか遠慮とか、そういったものはないのだろうか。

「ちょっと会わない間に変わったね。すごく綺麗になったね」
「別に何も変わらないわ」
「え、そうかな。だいぶ変わったよ」

 まじまじとレオニーを上から下まで眺めるユーグ。

「一瞬、よく似た別人かと思ったよ」

 自分のことのように、にこにこと嬉しそうにするユーグ。いつだってそうだった。自分の意見をさらりと嫌味なく押し通す強かさがあるユーグ。その一方で、レオニーが嬉しいと思う出来事があると、手を叩いて大きな声で、時には涙を溢しながら、一緒に喜んでくれる人。

 懐かしさがこみ上げてきて、レオニーは言葉に詰まった。
 するとバルコニーの奥の方からユーグを呼ぶ声がした。

「じゃあね、レオニー。今夜はお互い楽しもう」

 ユーグは右手にあったグラスを軽く持ち上げ乾杯する仕草をしてから、バルコニーの人混みに入って行った。
 残されたレオニーは、その後ろ姿を黙って見送る。



 王太子殿下への謁見に、ユーグとの再会。普段の生活では起こり得ない事態に、レオニーの頭の処理は追いつかない。



 するとさらに追い討ちをかけるかのように、また誰かに呼び止められた。

「レオニー」

 振り返るとそこにいたのは、マティアスだった。
 
「レオニー今のは……」

 呆気に取られたように、レオニーの背中の方を見つめている。

「偶然会っただけよ。別に何もないわ」
「そうか」

 元婚約者とは言え、神のように崇拝されている人物と、一介の令嬢が一緒にいたら、驚くのも無理はない。わざと何でもない風に返した後、レオニーは話題を逸らした。

「ねえ、リュカを見なかった? この辺りにいるかと思って来てみたんだけど」
「さあ、今夜はまだ見かけてないな。ブランシュも見当たらない」
「そう」

 そのまま2人で空いているテーブルを見つけ、腰を下ろした。

「レオニー、さっき王太子殿下と踊ってなかったか?」
「あらやだ。見てたの?」
「偶然見かけただけだ。というか、あれだけ派手に王太子殿下にエスコートされてたら、どんな令嬢が相手なのか誰だって気になるだろう」
「ええ、そんな目立ってたの、私」
「王太子殿下のあんなに楽しそうなお顔、少なくとも俺は初めて見たな」

(そんな……知らないうちに私何かしでかしちゃってたのかしら)

 心配になり、レオニーは顔面蒼白だった。もし父に迷惑をかけることになったら、本当に申し訳ない。失礼を覚悟で今夜は断るべきだったかと激しく後悔する。
 かたかたと小刻みに震え出したレオニーに、マティアスが心配そうに声をかける。

「レオニー大丈夫か?」
「ええ、大丈夫……」
「なあレオニー、お前もしかして」

 マティアスは少し躊躇するような様子を見せた後、意を決して口を開いた。

「殿下に求婚されたのか?」
「……は?」

(何を言っているのこの人は!!)

 思ってもなかった言葉に、レオニーは絶句した。あまりにも突拍子もない話だ。
 レオニーが何も言えないことを肯定と受け取ったのか、マティアスは眉間に皺を寄せた。

「やっぱりそうなのか」
「なっ……何言ってるのよ。そんなことあるわけないでしょう!」
「そうなのか? あまりにも良い雰囲気に見えたから、あちこちで噂になってるみたいだが」
「殿下とお話ししたのは今夜が初めてよ。何でか私にご興味を持たれてたみたいだったけれど、だからって求婚だなんて。そんな話あるわけないじゃない」
「ふーん、そうか」

 納得したのかしていないのか、マティアスは持っていたグラスをぐいと煽った。今夜はワインではなくブランデーのようだ。ほんのり色づいた頬が何とも言えない色気を醸し出し、レオニーは忘れかけていたあの夜のことを思い出した。

「まあ殿下との話がなかったとしても、どこぞの誰かに見染められて婚約って話はそろそろある頃じゃないのか」
「余計なお世話ね。婚約って言ったらそっちこそ」

 ブランシュと婚約するんでしょう、と言いかけて、レオニーははっと口を噤んだ。
 2人のことは、まだ内密だとリュカが言っていた。どういう事情かは知らないが、こんな公の場で口にするべきではないだろう。

「ごめんなさい、何でもないわ」

 急にしおらしくなったレオニーに、マティアスも声色を落とした。

「いや、こっちこそ悪かった」

 そう言って遠い目をする。視線の先にあるのは、ユーグが座ってあるであろうテーブル。

「レオニーには色々あったんだもんな」

 ユーグとのことは、今まで友人達の誰にも触れられたことがなかった。けれどこのシェイキア国にいて、知らないはずがない。あえて触れずにいてくれていることは、レオニーにもわかっていた。
 言ってはいけないことを言ってしまったと思っているのか、マティアスは罰が悪そうに両手でガシガシと頭を掻いた。

「その……力になれることがあったら言ってくれ」
「え?」
「辛いことがあるんだったら、話聞いてやるよ。一緒に美味いもの食ったり飲んだりしたら、気も紛れるだろう」

 ユーグとの婚約破棄は、突きつけられた当初はレオニーだって落ち込んだ。落ち込みはしたが、マティアス達と出会い、ワインのことや海外のこと、流行りのお菓子やドレスのこと、意味で知らなかったことが次々と降って湧いてくる毎日の中で、いつの間にか忘れていた。

 本当に今の今まで、ユーグとたまたま鉢合わせるまで、すっかり忘れていたのだ。
 ユーグとのこと、何もかも。 

 しかしそんなことは知らないマティアスは、レオニーを気遣い思いやり、何とか慰めようとしてくれている。 

 それが嬉しかった。

 薄々ながら気付き始めていたこの感情から、レオニーはもう逃げられない。

「一人で抱え切れなかったら、ちゃんと言え。いくらでも助けてやるから」

 見た目だけじゃない。

 口は悪いけど、本当に相手が傷つくことは決して言わない。
 自分が悪いと思った時は、素直に謝罪の言葉を口にできる。
 相手の気持ちに真摯に向き合い、一緒に怒ったり悩んだりしてくれる。
 言葉足らずで誤解される時もあるけど、自分の信念をしっかり持って行動していて、それを誇りに思っている。そんなところを心から尊敬している。

 短い付き合いだけれど、マティアスの良いところはいくらでも挙げられる。

「うん、ありがとうマティアス」

 レオニーがにっこりと笑って見せると、安心したようにマティアスも小さく笑った。

(ああ、私、この人が好きなんだわ)

 心のどこかでずっと否定しながらも抱え続けていた想い。
 ようやく認めることができた。
 それと同時に、どうしようもない悲しみが押し寄せてくる。

(マティアスはブランシュと、婚約するのよね)

 レオニーの恋心は、生まれたその瞬間から決して実らないものだった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

なぜか軟禁されてました〜脇役はどうしたらいいですか〜

涙乃(るの)
恋愛
私の存在になんの意味があるのだろうか… 乙女ゲームに出てくる脇役の軟禁された娘に転生したリィーン。 雑な設定で、詳しい事も分からないまま、ただ毎日を過ごしていた。 そんなある時、リィーンは脱出を試みるが…。 ゆるい設定世界観です。 第二部をのんびり更新していきます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

処理中です...