氷霜とワインのマリアージュ 〜無自覚お嬢様は誰からも愛される?!〜

Futaba

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質問はワインの後で

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 帰りの馬車の中、クロエは珍しく冗舌だった。

「ジェラルドの仕業です。慌てて駆け付けたのですが、間に合わず申し訳ございません。私がもう少し早くすべて白状させていれば、お嬢様をこんな目に遭わせずに済んだのに」
「ジェラルドは何を?」
「最後の薬だけ、効能時間を短くしたと」

 なるほど、それでこんなに早く魔法が解けてしまったのかと、レオニーは納得した。そういえば最後の薬だけ、ほんの少し青色が薄かったような気がする。

 けれど何故そんなことをしたのかまでは理解できない。

「屋敷内でジゼルさんがこそこそ何か探っていたのも知っていたので、嫌な予感はあったのです。けれどまさか、あんな風にマティアス様がお嬢様を追い詰めるなんて」

 見損ないました、と悔しそうに吐き捨てるクロエ。
 どうやらマティアスがレオニーを糾弾したと勘違いしているようだ。

「クロエ違うの。マティアスは悪くないの。ただ私のことを心配してくれて、得体の知れない少年が私にまとわりついていると思って、それで」

 そこまで説明して、レオニーは動きを止めた。

 レオニーが好きだと言ってくれたマティアス。
 けれどそれを打ち明けた相手であるアベルが、実はレオニー本人であることが知られてしまった。
 男になって自分に近づくなんて、悪趣味な女だと軽蔑されたかもしれない。

(もう嫌われてしまったかも)

 急に元気をなくした主人に、クロエがそっと両手を重ねた。

「マティアス様はお嬢様のお見立て通り、素晴らしい方です。ですが……どうしてもあの方でなければいけませんか?」

 クロエの問いに、レオニーは何も答えられず俯いたままだった。





 家に着き、軽く湯浴みをして着替えると、レオニーはようやく気持ちが落ち着いた。
 マティアスから借りた本が、何だかんだで返せずまだ手元にある。レオニーはそれを手に取りぱらぱらとめくった。
 レオニーには難しくて、ところどころよくわからない箇所もあったけれど、とても面白かった。何より、マティアスが興味を持っていることマティアスが普段考えていることが垣間見えたような気がして、彼に一歩近づけた気がして、嬉しかった。

(明日、この本を返しに行こう)

 アベルではなく、レオニーとして。
 そして今までのことを全部謝ろう。
 許してもらえるかどうかはわからないけれど。

 レオニーはいつものソファに腰掛けると、クロエが用意してくれたレモネードに口をつけた。きりっとした酸味が喉に気持ち良い。

 すると俄に廊下が騒がしくなった。

「レオニーはどこに?」
「お待ちください!」
「あっちの奥の部屋だ」
「感謝する」
「勝手に立ち入ってはいかん!」

 何やら複数が言い争う声が聞こえる。
 そのままどたどたと慌ただしい足音がして、レオニーの部屋の扉が開かれた。

「レオニー!」
「え? マティアス?!」

 駆け込んできたマティアスに、レオニーはびっくりしてソファから立ち上がり後ずさった。
 マティアスは構わずレオニーの目の前までやってくると、その場に跪きレオニーの手をそっと握った。

「レオニーさっきはすまなかった。俺は大馬鹿だな。俺の思い違いでなければ……レオニーに俺は今までどれだけ辛い思いをさせていたのか。悔やんでも悔やみきれない。自分に自信がないばっかりに、何も行動せずに君を苦しめて……。謝って済むことじゃないのはわかっている。けれどきちんと謝らせてほしい。そしてもう一度俺のことを見てほしい」

 緩く握られた手から伝わってくる震え。緊張。後悔。
 レオニーはその手をそっと引いて、マティアスを立ち上がらせた。その表情は苦悶に満ちている。

「マティアス、私の方こそ馬鹿なことをしたと思ってるわ。ごめんなさい。貴方に近づくために、あんな悪趣味なこと……。軽蔑されて当然だと思ってるわ」
「軽蔑なんかしない。そりゃまあ、驚いたけど。俺がレオニーを軽蔑なんかするわけない」
「でも……気持ち悪くない? 私のこと、嫌いになった?」
「ありえない」

 マティアスは、ふっと小さく笑った。
 レオニーが大好きな、ちょっとからかうような意地悪な笑い方。

「あんなことくらいじゃ嫌いになったりしないさ。俺の気持ちを舐めるなよ。初めて会った時からずっと、君に恋焦がれてる。もう、ずっとずっと……」

 そこまで言ってマティアスは唇をきつく噛み締めた。

「そうだった。レオニーにはもう俺の気持ちは知られてるんだったな。さっきはレオニーがアベルだなんて思いもせず、あんな告白を……」

 赤裸々な想いを口にしたことを思い出して、マティアスは赤面した。つられてレオニーも真っ赤になる。

「……いや、もういい。過ぎたことは忘れる。レオニーも忘れてくれ。今からちゃんと言うから。仕切り直しだ」

 マティアスはくるりと後ろを向くと、大きく深呼吸をした。そしてまたレオニーの方に向き直った。

「俺はレオニーが好きだ。初めて会った時から今日まで、毎日どんどん好きになっていってる。今の俺じゃレオニーには釣り合わないかもしれないが、必ず立派な人間になってみせる。だから俺を選んでほしい。ずっとそばにいてほしい。本当に……大好きなんだ」

 レオニーとして、初めて聞くマティアスの告白。
 ほんのり熱を帯びた視線がまっすぐに注がれ、レオニーも気持ちが伝わるように、しっかりと見つめ返した。

「私も……私も、マティアスが好きよ。ブランシュと婚約するって聞いた時は本当にショックで。でもそれが嘘だってわかった時は本当に嬉しかったの」
「あれはリュカが……いや、よそう。こんな時に他の男の話はしたくない」

 いつの間にか人払いがされており、部屋の中はマティアスとレオニー以外誰もいなかった。

 これはチャンスとばかりにレオニーを抱き寄せようとするマティアスの腕を「あ、そうだ」と無邪気な声を上げレオニーがすっとすり抜けた。

「この本、返そうと思ってたのに返しそびれちゃって。とっても面白かったわ、ありがとう。……マティアスどうしたの?」
「いや何でもない。レオニーらしいなあ、って」

 さっきまで読み返していた本を嬉しそうに手に取るレオニーに、マティアスはやれやれと苦笑した。

「俺の話を楽しそうに聞く様子が、レオニーと似てるなあとは思ったんだよ。興味持つ分野も一緒だし。でもまさか、本人だとはなあ」
「幻滅した?」
「だからしないって。正直言ってむしろ嬉しい。レオニーとは何でも話ができそうな気がする」
「本当? あのね、実は読んでてよくわからない箇所がいくつかあって、質問しても良い?」
「いくらでもどうぞ。けどその前に」

 マティアスはレオニーからひょいと本を取り上げると、手近なテーブルに置き、そのままレオニーの背に手を回した。
 さらりとした黒髪がレオニーの額に触れ、大きな影が落ちてくるのを感じて、レオニーは真っ赤になりながらそっと瞳を閉じた。





 レオニーの部屋から少し離れた廊下では、使用人達がやいのやいの小声で騒いでいる。

「マティアス様って、あのロバーツ伯爵の?」
「うちのお嬢様といつの間にそんなことに」

 驚いたり喜んだり賑やかな中、クロエはジェラルドを軽く睨みつけた。

「ジェラルド、マティアス様をお嬢様のお部屋まで手引きしたのは貴方ね」
「何のことかな、俺はさっぱり」
「とぼけないで。騒ぎが聞こえてから部屋に着くまで早すぎます。私のルートを使ったでしょう」
「良いじゃないか。全部丸くおさまったんだから。やっぱりあの薬に細工して正解だったな」  

 愉快そうに声を上げて笑うジェラルドに、クロエは大きなため息をついた。

「あらあら、この様子だと何か良いことがあったみたいね」
「奥様!」

 騒ぎを聞きつけたレオニーの母が、うきうきした様子でやってきた。事の顛末を聞くと、ますます嬉しそうに微笑んだ。

「まあそんな素敵なことが? 実の娘の話なんて、腕が鳴るわ。後でじっくり聞かせてもらいましょうか。それより、お祝いの支度をしなくちゃね」





 後日、マティアスとレオニーの婚約を祝う会がそれは盛大に執り行われた。
 その際に振る舞われたのは、もちろん2人を結びつけた、あのロゼワインである。

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