15 / 18
第15話
しおりを挟む山形にも桜の便りが届き、山々のあちこちに、点々とほのかなピンクの色鮮やかな景色が見られるようになった。この頃になると、気温も上がり、放牧場の草はどんどん伸び青くなった。時おり黄色い蝶々が牛舎の中に入り込んでは、牛の頭上をひらひらとあちこち迷いながら飛んでいった。
フェルナンデスは蝶々や、バッタを追いかけては遊んだ。身長百三十センチ、体重も五百五十キロになり、もうそろそろ大人の牛の仲間入りをしようとしていた。僕のことを母親と思っているのか、近寄ってきては甘えた。放っておいて作業をしていると、そのまま後をくっついてきた。フェルナンデスは雄だから、乳牛専門のこの牧場には居られない。ここを卒業して、雄牛専門の養育牧場にいくか、どこかに引き取ってもらうかしなければならなかった。しかし、引き取り先も見つからず、悩んでいた。
「フェルナンデス、あんまり甘えるなよ、おい!お前はもう大人にならなくちゃ!」
「んーーーーのーーーーーぅ」
すっかり子牛気分のフェルナンデスに、僕は手を焼いていた。その様子を見ていた母さんが呆れて、フェルナンデスを大人の群れの中に、いつも無理やりひっぱって連れていった。
「ほい、あんたはこっちだよ」
嫌がるフェルナンデスを尻目に、僕は放牧地の整備に取りかかった。
草が根っこまで深く生えていて、取るのが一苦労だ。見慣れない植物が生えていないかも、目視でよく確認しなければならない。間違って牛が危険な植物を食べたりでもしたら、大変だ。外で作業をしていたら、ぽかぽかと暖かい陽が背中に当たり、僕は眠くなり、そのまま草の上に寝っ転がった。
煙草に火を付ける。ふーっと息を吐いたら、煙が春の風に乗って横に飛んで行った。青い空に真っ白い雲が浮かんでいる。じーっと見ていたら、はっきりとは分からないほどに、じわじわとゆっくり山の方へとかたちを変えながら流れて行った。
泥まみれになった軍手を、洗濯機に放り込む。風呂から上がると、メールが入っていた。かよからだった。
送信者:奥田かよ
件名:こんにちはー
本文:青森のかよです、覚えてますかー?
こっちはだいぶ暖かくなってきました。りんごの樹も葉が元気良く育っています。
そちらはいかがお過ごしですかー?
届いたメールを何度も読み見つめ返す。何を返事しようか、迷う。僕はメールにフェルナンデスの写真を添付して送信した。
送信者:山田タカシ
件名:元気?
本文:お久しぶりです。この間は、お疲れさま。
ウチの子の写真、送ります。(添付ファイルあり)
返信者:奥田かよ
件名:Re
本文:あははは、可愛いね!白と黒が綺麗。美人さんね!
返信者:山田タカシ
件名:Re Re
本文:この子、男の子なんだ。
返信者:奥田かよ
件名:Re Re Re
本文:あ、そうだったの。名前は?
返信者:山田タカシ
件名:Re Re Re Re
本文:フェルナンデス
かよとのメール交換はしばらく続いた。二、三日空いては、またぽっと返事をくれることもあった。時には、農作業が大変なことや、樹の手入れで失敗してしまったことも書かれていた。好きなアーティストのことや、テレビのことなど他愛もない内容のこともあった。
メールのやり取りがはずみ、僕とかよは、二人で会おう、ということになった。お互い、忙しい。場所はどこにするか。ちょうど中間の、秋田で会うことにした。
秋田駅前は土産物屋や小さなカフェが立ち並んでいた。買い物客や、地元の学生で賑わっていた。駅近くの喫茶店に入る。ここの珈琲店は秋田に何店舗かあり、地元でしか売られていない豆で入れた珈琲は、香りが高く、味が濃く美味しかった。
ゆっくりと珈琲を味わうかよを、僕はちらりと見た。物産展の時とは違って、スカートに小さな靴、女性らしい格好をしていた。
「なんか、緊張しちゃうね、うふふ」
かよは恥ずかしそうに笑う。メールではあんなに弾んで話していたのに、実際会うと、お互い、静かに黙ってしまう。
その後も、お互い青森と山形を行き来した。僕が軽トラを運転し、助手席にかよが座る。秋田の海沿いの国道を走ると、ほんのりの潮の香りがした。かもめが、くーくーと鳴きながら、強い風に煽られ飛んでいる。秋田の海沿いは眺めが良かった。遠くに灯台が見える。
「あー、アイス屋さんがあるよー」
国道を走っていると、鮮やかなパラソルを開いた、アイス販売が点々と、道沿いに出現した。僕は路肩に軽トラを停めると、かよと一緒にアイスを買いに行った。
「ほい、たんと食べれー」
年配の女性が、ピンクと黄色の不思議な色の組み合わせでできた、アイスをコーンに山盛りに持ってくれた。
「いただきまーす!」
アイスはひんやりとしていて、甘くて、しゃりしゃりとしていてほのかに懐かしい味がした。
「きゃははははは!あそこまで走ろう!競争だよ!」
かよは靴を脱ぐと、砂浜を勢いよく走って行った。
元気のいい人だな、と思った。
なんか、圧倒される存在感というか。パワーがある人だった。「青森のおひさまいっぱい浴びて、毎日りんご食べてるから」と言っていたが、本当にそうなんだろうか。横顔を見ながら考えていると、僕の視線に気が付いたのか、ん?と見つめ返してきた。
かよが、山田牧場に行きたい、と言った。
かよを迎えに新庄の駅に向かった。ロータリーに軽トラを停めると、僕は運転席から降りて、かよの姿を探した。
かよはちょうど駅構内へと上がる、エスカレーターの下にいた。始めての場所で落ち着かないのか、しばらく辺りを見渡してはキョロキョロしていたが、僕のことを見つけるとすぐに笑って大きく手を振ってきた。
「おーーーーい、お、そ、い、ぞーーーー!来ないかと思ったよ!」
「ごめん、ごめん、新庄駅来るの、久しぶりでさ。停めるところが分かんなくて。いつも山道しか運転してないからな」
かよは初めて来た山形の雰囲気に、興奮気味でしゃべっていた。軽トラの助手席に座ると、「はい、これ」と僕にお土産を手渡した。
新庄の田園風景が広がる。かよは窓を開けながら、外の空気を美味しそうに吸っていた。
「ねえ、母ちゃんが言ってたんだけど」
「なに?」
「向こうへ行ったら、牛の世話とかタカさんのこと手伝ってあげなさい、だって」
「いいよ、やんなくて。だって何も持ってきてないだろ」
「いんや、それが持ってきたんだよ、じゃぁーーーん」
かよはカバンから、モンペや農作業の女性が使う大きなわら帽子を取り出した。
「どう、すごいべ?」
「あ、あ…うん…でもいいよ、ほんとに、やらなくて。遊びに来てくれたのに、悪いよ」
「いいんだ、やらせて!やりたいんだよお!」
軽トラは国道を走って行く。少しずつ風景が田んぼから、林に変わって行く。道路も曲がりくねってきた。
「もうすぐだ」
目の前に牧草地が広がり始めると、かよは「わぁ」と言って、窓から顔を出した。
「おーーーい、牛さーーん、こぉんにちわぁーーー」
牛たちは何事も無かったかのように、足元の草をたんたんと引きちぎっては、もぐもぐと食べている。
「こんにちはーはじめまして…奥田かよ、と申します」
「どぉもぉーこんにちは。よく来てくれたねーゆっくりしていってー」
母さんは女性が我が家に来た、というだけで嬉しそうにしていた。
「ほんと、すごいね、あの牛から牛乳がいっぱい出るんだ!!」
家の前に軽トラを停めると、かよは中に入り休むことも無く、牛舎の中に飛び込んでいった。牛が並んでいっせいにエサを食べている様子を見て、かよは感動したのか見とれていた。側の牛に近づくと、下に入り込んで乳を触った。
「わーーいいおっぱいだねーー!美味しそうな牛乳がたくさん出そうだ!!」
「おい、気をつけろよ、いきなり触ると、びっくりして暴れることがあるから」
かよはうれしそうに牛の体を撫でては、その美しさに見とれていた。僕は思わず、かよの胸元に目がいってしまった。
農作業に慣れているのか、かよは手際よく掃除や牛の世話をやった。糞尿も嫌がらずに片付けた。てきぱきと働く姿に、僕はすごいな、と思った。当然、作業もはかどった。一人でやるよりも断然早かった。
休憩も兼ねて、初めてかよを家に案内する。かよは中に入ると、さっそく、父の仏壇に手を合わせた。
「そうか…ほんと、残念だったね…どんな人か会って話がしたかったな…」
「もう、しばらくは牛の世話も手につかなくて、大変だったけど、やっと落ち着いて一人で出来るようになったよ」
「これからずっと、続けていくの…?この牧場」
「いや、まだ分からない…けど、最近…牛の世話、楽しくなってきたんだ。こっこも可愛いしな」
母さんとかよが、台所に並んで二人で昼食を作った。冷蔵庫の余り物で作った、即席チャーハンだ。一口食べると口の中に、香ばしいご飯のうまみが広がっていった。
「ん、うまい!」
「んだべ、ねぎたっぷりの特製チャーハン。たんと召し上がれぇー」
かよは、いたずらっぽくくすりと笑って言った。
「よし…フェルナンデスのこと、見せてやるよ!」
「さっき言ってた子牛のことだべ?え、見たい見たい」
僕はかよを連れて、牛舎の子牛用の柵のところまで連れて行った。僕たちが近寄るとフェルナンデスはすぐにこちらに近寄ってきて、柵の隙間から顔を出した。
「わーめんこいなーー!写真で見た時よりも大きい気がする!」
「あー、そうなんだ、あれからまたでっかくなって…」
かよが近づいて頭を撫でようとすると、フェルナンデスはかよの帽子に噛みついて帽子を剥ぎ取った。
「あ、こらーーー!このべご!なにすんだーーー!」
かよは大声で怒鳴った。僕は力強くどすの利いた声に、思わず一瞬たじろいだ。しかしフェルナンデスは、いっこうに引く気配が無い。かよとフェルナンデスの、引っ張り合いが始まった。
「もーーー!いいかげんにしろーーー!」
「んーーーのーーーー」
「こらこらこらーーー」
「のーーーーー!」
フェルナンデスが、帽子に噛みつきながら後ろに下がった瞬間、ふと手が離れて、かよはそのまま後ろに勢いよく転倒した。
「おい!大丈夫か!?」
「あいたたたたた…」
かよは尻もちをついて、その場にうずくまった。フェルナンデスは、引きちぎられてボロボロになった麦わら帽子を嬉しそうにくわえながら、柵の中を走り回っていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる