黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第10話:旦那様とお出掛け

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 保胤の言葉の意味が分からず、一葉は呆気にとられる。

「着物を脱いでください」
「え……? あ……あの……」
「ご自分で脱げないなら手伝いましょうか?」

 保胤は椅子から立ち上がり一葉に手を伸ばす。一葉は後ずさりをしてその手から逃れる。

「どうしました?」
「そ、それは私の台詞です!! どうして急に……!!」

 ずりずりと後ろに下がるが、保胤もゆっくりと追いかけてくる。覆面をしたままで目だけの表情しか分からない。無機質なものが近づいてくるようで一葉は怖くて堪らなくなった。

 あまりにも突然のことに頭は追いつかない。服を脱げだなんて、何故急にそんなことを言い出したのか。

「どうしてって……僕たち夫婦ですよね?」
「せせせ正式にはまだ婚姻関係にありません……!! こんなこと未婚の内に出来かねます……!!」

 保胤が意図していることに気付き、必死で一葉は抵抗する。

 分かっている。いつかは彼を受け入れなければならないことぐらい。
 諜報員として色指南は受けたことがなかったが、結婚するということはいずれは夫婦の営みにも応じなければならないことぐらい分かっている。だが、あまりにも突然のことで心が追いつかない。

「保胤様……あの……あっ!」

 後ろ足で逃げるとドンッと壁にぶつかった。もう逃げ場はない。目の前の保胤は歩みを止めない。

「いや……ッ! お願いです……どうか……どうか……結婚するまではお待ちください……正式にあなたの妻になったら何でも言うことを聞きますから……!」

 壁づたいにずるずると身体を滑らせながら座り落ちる。一葉は土下座をして保胤に懇願した。

「あっ……!」

 保胤は中腰でかがむと一葉の顎をぐいと持ち上げた。一葉の顔は泣いていた。

「何でもって言いました?」

 涙を流す一葉の顔を見ても全く意に介さない様子で問い、その瞳は一葉を射貫くように見つめる。怖いのに、顔を固定されて目をそらすことが出来ない。

「あらら。泣いちゃって……可哀そうだな」

 “可哀そうだな”なんて言葉とは対照的に悪びれる様子もなく、むしろどこかのんびりとした保胤の声色に一葉はますます怯えた。恐怖で意味のある言葉を発することが出来なくなっていた。さっきまでの穏やかな雰囲気とは全く異なり、目の前の男の得体の知れなさに身がすくむ。

 一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 さっきの自分の言葉で怒らせてしまったのだろうか。
 一葉は自分の言動を後悔した。

 保胤が顔を近づけてきた。反射的に目をつぶると、ぬるりとした生暖かい温度と粘度を感じた。保胤はマスクを外し、舌を伸ばして一葉の頬に流れる涙を舐め取った。一葉は小さな悲鳴を上げた。

「いいでしょう。婚姻の儀式は来週……ああ、もう日付が変わったからもう今週か。あなたが正式に私の妻となってからにしましょうか。楽しみにしています」

 嬉しそうにそう言うと、保胤は一葉から離れる。テーブルに置いた椀と箸を持ち、台所の流しに置いた。

「ごちそうさまでした」

 そういって、保胤は2階の自室へと向かった。一葉は震える身体を自分で抱きしめるように抱え、しばらく食堂から動けずにいた。









 小鳥のさえずりと部屋に降り注ぐ太陽の眩しさに一葉は呻き声を上げた。

(あぁ……日当たりの良い部屋って慣れないわ……)

 朝日にやられた目をシパシパと瞬きして、のそりとベッドから上半身を起こす。喜多治家の窓のない物置小屋に慣れた身体には爽やかな朝の風景はやや毒だ。ましてや昨夜のショックをまだ引きずっている。光を浴びて宙を舞う埃のように塵となって消えてしまいたい。止めどなく沸き起こる現実逃避から目を覚ませと自分を鼓舞するように一葉は両手でぺちぺちと頬を叩いた。


「三上さん、おはようございます!」
「一葉様、おはようございます」

 一葉は一階に下りて台所に立つ三上に元気よく挨拶をした。つい10分前まで寝不足で土のようなくすんだ顔もハツラツとした笑顔に変わっていた。諜報員たるもの、顔色ぐらいいくらでも変えられるのだ。

 手を洗い、喜多治家から持ってきた白いエプロンを身に着ける。朝食の準備を始めている三上の手伝いをしようと、彼女の横に立って仕事を探した。

「昨夜はお眠りになられましたか?」

 茄子を切りながら三上は一葉に尋ねた。

「はい。おかげさまで」

 当たり前のように嘘をついた。本当はほとんど眠れなかった。ようやく眠りについたと思ったら鳥のさえずりが聞こえて来たぐらいだ。

「私、お米洗いますね!」

 話題を変えようと一葉はテキパキと働き始めた。

「ありがとうございます。本当に一葉様はよくお働きになりますねぇ……ご実家でもお料理をなさっていたのですか?」
「はい。子どものころ、お米を研ぐのは私の役目でした」

 今度は本当だ。母と父と暮らしていた時の話だが。子どもの頃、食事の支度をする母の傍にいて手伝いをするのが好きだった。

(そうよ……この任務が終わったらまた三人で暮らせるようになるんじゃない……そのためだったら何だって耐えられるわ……)

 冷たい水で米を丁寧に研いでいく内に頭が冴えていった。昨夜の保胤とのことを頭から消去するかのように一心不乱に手を動かす。
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