黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

文字の大きさ
17 / 48

第17話

しおりを挟む
 扉をノックすると、すぐに鍵が開けられる音がした。

(部屋にいる間も鍵を掛けてるのね……)

 その用心深さに、よっぽどこの部屋に人の出入りを避けたい理由が隠されているのだろうと一葉は察した。

「やあ、一葉さん。どうぞ入って」
「し、失礼します」

 保胤は扉を開け、中へと一葉を促す。保胤が扉の前で紅茶を乗せたお盆を受け取り、最悪中へ入ることなく作戦が頓挫する可能性もあったがどうやら第一関門はクリアしたようだ。

「机の上に置いても大丈夫でしょうか?」
「はい、お願いします」

 一葉は机の端にティーカップを置き、ポットに入った紅茶を注いでいく。保胤は書斎の椅子に座り、その様子を眺める。

「おや」
「ど、どうかされましたか?」

 一葉は心臓が飛び跳ねた。まずい、もう何か異変を感じているのだろうか。

「三上さんが紅茶を淹れる時はいつもカップに注いだ状態で持ってきてくれていたんです。僕、猫舌なもので少し冷ましてから紅茶を飲むんですよ」
「あ……! そうとは知らずに申し訳ありません……!」
「いえ、謝らないでください。本来はこうして飲む寸前に注ぐのが美味しい飲み方なのは存じています」

 恐縮しながら一葉はソーサ―を保胤の前に置いた。

「いい香りだな……」
「茶葉はアッサムにいたしました。ミルクも別でご用意しています」
「ありがとう。甘みのある紅茶が飲みたいと思っていたところだったんです」
「それは良かった……! あ、あと、こちらも!」

 焼き菓子の乗った小皿を紅茶の隣に置く。

「おや、マドレーヌ。久しぶりに食べます」
「ミルクティーにはバターをしっかり使ったお菓子が合うかと思いまして」
「へえ、一葉さん詳しいですね。僕、洋菓子大好きなんです。特にこのマドレーヌに目がなくってね」
「それは良かった……!」

 一葉は安堵の笑顔を向けた。

(よしよしよし。この調子よ。あとは食べてもらうだけ)

「人気の洋菓子店のマドレーヌなんです。買い求める人で連日行列が出来るぐらいの看板商品で、私も並んで買ってきちゃいました! 保胤さんのお口に合うといいのですが」
「へえ、そんなすごいマドレーヌなんですか?」
「はい! どうぞ召し上がってみてください!」
「ならば一葉さんも一緒に食べませんか?」
「はい?」

 保胤の言葉に一葉は素早く瞬きをしながら返事をした。

「折角2つあるのだから半分こしましょう」
「半分こ…………」
「行列に並んでまで買うなんて大変だったでしょう? そんなに美味しいマドレーヌ1人で食べるのは忍びない。あなたと一緒に食べたいです」
「…………い、いいえ。私は良く頂いているので大丈夫ですわ!」
「ええでも、なんだか僕だけじゃ気が引けちゃうなぁ」
「なんっにもお気になさらずに! どうぞどうぞどうぞ!」
「そうですかぁ? いや、でもなぁ……」

 保胤はマドレーヌを見つめるだけで全く手を伸ばさない。

(まずいまずいまずい……何とかさっさと食べてもらわないと!)

「ほら、もうすぐ夕餉の時間でしょう? お菓子2つも食べちゃったらご飯が食べられないかもしれないし」
「そんな可愛らしい胃袋されているとは思いませんよ? ほら、小ぶりですしこんなの大差ありませんって」
「バターって結構お腹に溜まるじゃないですか」

 埒のあかない会話に一葉はうんうんと頭を捻る。

(一応耐毒の訓練は受けているからいけるか……睡眠効果を打ち消す解毒剤も持ってきているし食べた後に急いで部屋を出れば問題ない……はず……!)

 一葉は腹をくくった。
 
「そ、そこまで……おっしゃってくださるのなら頂こうかしら……?」
「ええそうしましょう、そうしましょう。はい、どうぞ」

 保胤は待ってましたとばかりに、小皿を持って一葉の目の前に差し出した。
 一葉はマドレーヌをひとつ摘まんで保胤に会釈する。

「い、いただきます」

 と、言ったもののマドレーヌを持ったままじっとそれを凝視する。
 ちらっと保胤を見ると、マドレーヌの乗った小皿を置いてぬるくなった紅茶を飲んでいた。

(なに飲んでんのよ! 先にさっさと食べなさいよ……!!)

「ああこの紅茶、すごく美味しいです。一葉さん、淹れるのお上手ですねぇ」

 保胤は気に入った様子で紅茶を愉しんでいる。一葉が用意した小さなミルクピッチャーのミルクを注いで味変までして。

(駄目だ……もう覚悟を決めるしかない)

 一葉は目をつぶって保胤に気付かれない程度に軽く深呼吸をした。意を決して、手に持ったマドレーヌをひょいと口に運ぶ。なかばヤケクソ気味にもぐもぐと咀嚼した。

「ご、ごちそうさまでした! それでは失礼いたします!」

 お盆を胸に抱えて、急ぎ足で一葉は部屋を出ようとした。

 その時――
 
 ぐにゃりと視界が歪む。頭では部屋から出ようと足を動かしているつもりなのに、まどろむような感覚に囚われてうまく前に進まない。

(待って……いくら何でも効果が出るのが早すぎるわ……!)

 意識を手放さないように一葉はぎゅっと目をつぶって頭をぶんぶんと振った。とにかく一刻も早くこの部屋から出ようと必死に意識を集中させる。

 ドクンッと一葉の胸が跳ねる。

(あ……あれ……?)

 ドクンドクンと動機が激しくなり、悪寒が全身を駆け巡る。

(おかしい……やだ何これ……!))

「一葉さん?」

 一葉の異変を察して、保胤が一葉の傍に近づく。ふらついている身体を支えようとする。

「あ……! ち……近寄らないで……ッ」
「だけどこんなにフラフラしているのに……僕は別に何も変なことは……」

 以前一葉に迫ったことを思い出して拒否されているのかと思い、保胤は説明をした。しかし、一葉は保胤に恐怖を感じているからではない。

「違うんです……そうじゃなくて……! 今はダメなの……!」

 この感覚知ってる……睡眠薬じゃない……これは……

 一葉には見覚えがあった。一度だけ耐毒訓練の時に受けたものだ。に対してあまりにも耐性が無さ過ぎてすぐに中止になったが、しばらくあの感覚が抜けなくて苦しんだ。

「とにかく僕に掴まってください」
「あぅぅ……!」

 保胤に肩を抱かれて身体を震わせる。子犬の鳴き声のような声が自分の口から出ていることに、一葉は泣きたくなった。

(いやだ……“アレ”になるのはいや……)

 あの状態になると自分がまるで別人になったみたいに身体が言うことを聞かなくなる。

(お菓子に含まれたのは睡眠薬のはずなのに……どうしてこの薬が入ってるの……? もしかして間違えた? 失敗しちゃったの……?)
 
「ほら、僕に寄りかかって」
「あ……う……」

 悪寒がしているはずなのに保胤に触れられた部分だけが熱を帯びたように熱い。

「や……いや……ひとりにして……お願い……!」

 一葉は身体を捩って保胤から逃れようと必死でもがく。まだ理性が残っている内に彼から離れたかった。

「……ちょっと失礼」
「ひゃっ!」

 暴れる一葉の膝裏に腕を入れてひょいっと抱えた。

「お、下して……!」
「はいはい」

 抵抗する一葉を気に留めず書斎を出ると、保胤は自分の寝室へと運んだ。

「書斎からだと僕の部屋の方が近いから……許してください。症状が引いたらあなたの部屋に運びますから」

 安心させようと保胤は理由を話したが、一葉ははぁはぁと息を荒くするだけでもう返事をする余裕を失っていた。










 ――シュル、シュルシュル……シュルリ

 紐をほどく音がやけに響く。

 一葉を自分の寝室のベッドへと置くと、保胤は一葉が身に着けていたエプロンを外して、着物の帯を緩めた。襟の合わせ目に手をかけ首元を広げ呼吸がしやすいようにしてやる。

「一葉さん、水を持ってきます。少し待ってて」

 部屋を出ようとしたが、腰のあたりを引っ張られる感覚がした。

「あ……いか……行かないで……こわ……怖い……ッ」

 保胤のシャツの裾を掴んで一葉は泣いていた。瞳からぽろぽろと涙が零れる。頬を伝って、シーツにシミを作る。

「さっきまではひとりにして言ったと思ったら、今度は行くな。わがままですねぇ」
「うぅ……」

 保胤は苦笑した。一葉はますます涙が止まらなくなる。

「わがままで……素直な君はやっぱり魅力的だな。大丈夫、僕はここにいます」

 保胤はベッドに腰かけ、シャツを掴んでいる一葉の手に自分の手を重ねた。一葉の息はますます上がる。あくあくと口を動かして空気を求める。顔は高揚し、ちらりと小さな舌が覗く。

「……」

 ぎしりとベッドが軋む音が寝室に響く。腰かけていた保胤がベッドに乗り上げ、一葉に覆いかぶさるように見下ろしている。

「そのままじゃ辛いでしょう? 僕が楽にしてあげます」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

【書籍化】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました

降魔 鬼灯
恋愛
 コミカライズ化決定しました。 ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。  幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。  月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。    お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。    しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。 よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう! 誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は? 全十話。一日2回更新 完結済  コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更しています。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約してました~

marumi
恋愛
大国、セレスティア帝国に生まれた皇女エリシアは、争いも悲しみも知らぬまま、穏やかな日々を送っていた。 しかしある日、帝都を揺るがす暗殺事件が起こる。 紅蓮に染まる夜、失われた家族。 “死んだ皇女”として歴史から名を消した少女は、 身分を隠し、名前を変え、生き延びることを選んだ。 彼女を支えるのは、代々皇族を護る宿命を背負う アルヴェイン公爵家の若き公子、ノアリウス・アルヴェイン。 そして、神を祀る隣国《エルダール》で出会った、 冷たい金の瞳をした神子。 ふたつの光のあいだで揺れながら、 エリシアは“誰かのための存在”ではなく、 “自分として生きる”ことの意味を知っていく。 これは、名前を捨てた少女が、 もう一度「名前」を取り戻すまでの物語。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。

ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~

cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。 同棲はかれこれもう7年目。 お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。 合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。 焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。 何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。 美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。 私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな? そしてわたしの30歳の誕生日。 「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」 「なに言ってるの?」 優しかったはずの隼人が豹変。 「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」 彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。 「絶対に逃がさないよ?」

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

処理中です...