黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第32話

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 夫婦として初めて過ごす夜はあまりに冷たく一方的なものだった。

「ここを触られるの好きなんだよね? この間も凄く気持ちよさそうにしてた」
「ちがっ、そんな……知らな…ッ」

 一葉の身体を壁に縫い留め、保胤はただ一方的にその身体を弄ぶ。

「薬で飛んでて覚えてない? だけど身体は覚えてるみたいですよ。ほら……」
「あうぅ!」

 きゅうっと胸の先端をつまむと、一葉の身体は大きく跳ねた。

「今の声可愛いね。まさに犬みたいだ」

 くつくつ笑いながら保胤の手付きはどんどん激しさを増す。

「痛い……やめて……やめてください……!」
「やめて? しての間違いじゃない? 敏感なのはやっぱり薬のせいじゃなかったんだね。一度も男を知らない割に厭らしいな」

 一葉の羞恥を煽るように保胤は吐息交じりの声で耳元で囁く。

「なん……なんで……そんなに怒って……」
「まだしらを切るつもりですか? 緒方商会の製鉄所建設について堂薗から話を聞いたでしょう?」
「……ッ!」
「あなたが欲しがっている情報は僕が教えると言ったはずです。なのに、他の男から聞き出すような真似をしてそんなに僕と身体を重ねるのが嫌でしたか?」
「そ……それは……」

 一葉は狼狽えた。それしか手段がないとはいえ、身体を差し出す代わりに情報をもらうことは自分で納得してその提案に乗った。決してそれが嫌で堂薗から情報を聞き出そうとしたわけではない。

 ただ、嫌じゃないと言えばまるで保胤を欲しがっていると言っているようなものだ。恥ずかしくて答えられない。

「素直に謝れば許すつもりでいましたが……やめました」

 保胤は突然一葉の腕を解放した。一葉は弾みでそのまま浴室の床へとぺたんと座り込む。見上げた先には、ぽたぽたと水が滴り落ちる保胤の顔が見える。

「あ……」
「君の主人が誰か、一晩中教えてあげるよ」

 冷たく、そしてどうしようもない情欲にかられた保胤の眼。

「おいで、一葉」

 保胤はまるで犬を呼ぶように一葉の名を呼んだ。










「きゃっ!」

 座り込む一葉の腕を引っ張りそのまま浴室の外に連れ出す。脱衣所を抜けて一葉が入ってきた扉とは反対側に向かうと、もうひとつ扉が見えた。保胤はズボンのポケットから鍵を取り出して鍵穴に指す。扉を開くとそこは保胤の寝室へとつながっていた。

 保胤はぐいっと一葉を寝室の中へと押し入れる。腕は解放されたが後ろでガチャリと再び鍵が掛かる音に一葉の胸はどくりと跳ねた。

 もう逃げられない。濡れた寒さと恐怖で震える身体を両腕で抱いた。

 一葉の横を上半身裸の保胤が通り過ぎる。ベッド横の棚に置かれた煙草を手に取り、一本取り出して口に咥えて火を火つけた。

「自分で服を脱いで」

 ベッドの縁に腰かけて煙草を吸いながら一葉に命じる。初めて緒方家に来た時と同じ言葉を言われる。あの時とは違い、一葉にはもう拒否することは出来ない。

「着たまま風呂場で犯そうかと思ったけど流石に初めてじゃ可哀そうだから。ほら、早くして」

 優しさを見せているつもりで乱暴に言い捨てる。保胤はフーッと煙草の煙を吐きながら一葉に促す。

「……ッ」

 一葉は目をぎゅっと固く閉じて襦袢の紐に手を掛ける。濡れて固くなった結び目は震えた手ではなかなか解けなかった。

「はぁ……不器用な犬だな。おいでよ」

 一葉は重い足取りで保胤に近づく。保胤は吸っていた煙草を口に咥え襦袢の結び目を解いた。

「ほら、続き」

 保胤は解いただけで残りは一葉に委ねる。先ほどよりも二人の距離は近くなり、至近距離で裸を見られることになってしまった。

 ドクンドクンと胸の音が大きくなっていく。

 保胤のあまりの無体さに一葉は心がどうにかなってしまいそうだった。それでも言いつけを守ろうと必死で気を保つ。

 そろりと紐を手に取り、布をめくる。保胤は一葉の動作一つ一つを瞬き一つせずに凝視していた。

(こんな……はしたないこと……)

 水気を吸った襦袢が一葉の足元にぼとりと落ちた。

「腕が邪魔だよ。目も開けてこっち見て」

 顔を伏せて胸を両腕で隠しているのを咎められる。一葉はそろそろと両腕を開けて顔も上げた。煙草を吸いながら無表情で冷たい目をした保胤と目が合う。

「僕が吸い終わるまでそのまま待っていて」
「……そんな!」

 保胤はゆっくりと煙草を吸い続ける。

「目は閉じちゃいけないよ。僕を見てるんだ」

 一葉はぶるぶると全身を震わせた。

「震えているね。僕が怖い?」

 一葉は保胤を見つめたまま首を横に振った。

「ふ、気丈なことだ。君は嘘が下手なのに」

 一葉は保胤の指に挟まれた煙草を見る。ジジジ……と火が燃えて巻紙がゆっくりと灰に変わっていく。

「早く吸い終わって欲しい?」 

 今度は首を横にも縦にも振らなかった。

「これを吸い終わったら君はもっと酷いことされるんだよ?」
「……ッ」
「だめだよ。顔背けないで」
 
 命令に従い、おずおずと保胤の顔を見る。

 一葉はずっと考えていた。

 煙草を挟む細くて長い指。
 筋張った手の甲。
 筋肉が浮き出た逞しい身体。
 自分を見つめる鋭い眼と冷たい言葉。

 裸体を保胤に見つめられているこの瞬間は同時に保胤の男の部分をまざまざと見せつけられているようでもあった。どう足掻いても抵抗できない相手だということを、煙草の火が消えるまでゆっくりと理解させられているのだ。

 保胤の狙いを理解すればするほど、その狡猾さと残酷さに一葉の震えは止まらなくなっていく。



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