黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第36話

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――夢を見た。

 紅茶の香りと波の音。
 高い空を飛び回るカモメの声も聞こえてくる。
 薄雲の青空と海から連なる半島が目の前に広がる。

 こんなにゆったりした時間を過ごしたのがいつ以来だろう。

 ああ、だからこれは夢なのだとすぐに気付いた。


『一葉!』
『一葉ちゃん!』


 私を呼ぶ、聞き覚えのある声。
 
『こっちだ!』
『こっちよ!』

 声のする方向を頼りに歩く。その内、段々と駆け足になって走り出す。

『お父様! お母様!』

 走って走って走って。その内にぼんやりと二つの影が見えてきた。

 これが夢だと分かっていても叫ばずにはいられない。

 夢でもいい。幻でもいい。
 ひとめその姿が見れるなら。
 
『どうして……どうして……』

 走れば走るほど二つの影はどんどん遠ざかり薄雲の青空に向かって登っていく。流れる涙も汗も拭わずに追いかけているのにその距離は縮まらない。

『お父様、お母様、行かないで……!』

 いつの間にか潮が満ち足元に水面が現われる。バシャバシャと水に足をとられあっという間に顔まで水に浸かった。水牢に囚われて暗い海の底へと沈んでいく。 

『一葉さん』

 父と母とは違う声が私を呼ぶ。

 身体を掬い上げらるような感覚。閉じた瞼に徐々に光が差し込んで来る。

 ザバッと水面に顔があがり目を開けると海でなく森の中にいた。










「ん……」

 大きな窓から美しい森が見える。窓は閉じているから音は聞こえない。けれどさわさわと穏やかな風に揺られて鮮やかな葉っぱが踊っている。

 ぼんやりとしばらくその風景を見つめて寝返りを打つ。

 館の主の寝顔がそこにはあった。

 柔らかな栗色の髪、とじれば益々その長さが際立つ長い睫毛にスッと通った鼻筋。男性とは思えないほど透き通った白い肌。

「……綺麗」

 保胤の寝顔をみながら一葉は思わず呟いた。

 シーツを軽く捲り自分の身体を見る。
 きちんと寝巻を着ている。自分で着替えた記憶はない。記憶にあるのは保胤に裸を晒し、抱き合い、口づけを重ねて、そして――

「おはよう」

 突然声がして顔をあげる。

「お…………おは、おはようございます……」
「ふふ、寝ぼけてるんですか? 喋れてないですよ……」

 とろんとした瞼とゆったりとした声。保胤の方がまだ起き抜けといった様子だった。

「あの……これ……保胤さんが……?」
「ん……? ああ、さすがにね。あのままというわけにはいかないから。大丈夫、シーツも新しいものに替えてあります」
「……………………本当に本当に本当に本当に本当に申し訳ありませんでした」

 穴があったら入りたい。一葉はそんな心境だった。自分の身を隠すように徐々にシーツをあげて頭からすっぽり被る。

「泣いても喚いても最後までするつもりでしたが、さすがに吐かれちゃねぇ」
「う、うぅ………………!」

 シーツの中からうめき声をあげる。着替えた記憶はないが、悲しいかなその直前の記憶はあったからだ。昨夜の記憶を遡れば情事の熱まで蘇ってくる。










『一葉さん』

 保胤に請われて再び唇を重ねると、頭をぐっと手で抑え込まれた。

 保胤は口を開いて、一葉の舌をつつく。どのように動くのが正解なのか分からない一葉はただ保胤にされるがままとなっていた。

『は……舌、柔らかいね……噛み切っちゃいそ』
『……!!』
『はは、冗談ですよ』

 物騒な発言に一葉の顔は青くなる。保胤はちゅっと水音を立て唇を離して笑った。

『あの……も……終わりです!』

 一葉は唇を手で覆った。保胤の上から降りようとする。

『駄目だよ。もっと』
『でも……もう……!』
『恥ずかしいだなんて今更でしょう?』
『違うの……あの……私……ッ』
『ほら、おいで』

 離れようとする一葉の後頭部に手をやり、再び自分に向けさせようとする。

『だ、駄目……! い、いま……顔下に向けないで……!』
『え?』
『…………………………おぇ』










「まさかあそこで吐かれるとは思いませんでしたよ。気分はどうです? まだ気持ち悪い?」
「大丈夫です…………………」
「昨日すきっ腹に酒を入れたでしょう? だから酔いが回るのが早かったんですよ」
「申し訳ありません…………」

 シーツの中から保胤に頭を下げる。保胤は腕を曲げて自分の頭を支え上体を起こした。

「嗜む程度だと言っていたけれど、酒が飲めないなら飲めないとなぜ正直に言わなかったんです」
「いや……あの……諜報員の訓練で毒見と酒類耐性は受けていたものですからイケるかなって……」
「全然駄目だったじゃないですか」
「はい……」
「よくよく考えればまだあなたの年齢でお酒が飲めるわけなかったです。信じた僕も迂闊でした。しばらく、というかあなたはお酒は禁止です」
「はい……」

 申し訳がなさ過ぎてぐうの音も出ない。

「……ねえ」

 くいっとシーツが引っ張られる。

「いつまでそうしてるの? 顔を見せてよ」

 一葉は恐る恐るシーツから顔を出した。

「わっ! ちょ、ちょっと!」

 保胤は一葉の腕をとり引き寄せると自分の身体の上に乗せた。

「ひえ……! は……はだか……ッ!」

 保胤はシャツを着てはいたが前ボタンは全て外れていた。一葉が逃れようと手をつくと厚い胸板に触れ、彼の体温が伝わってくる。

「顔真っ赤ですよ。昨日散々裸で抱き合ったのに今更でしょう?」
「だ、だけどこんな明るいうちに……! はしたないです……!」
「はしたないって……こんなんじゃ先が思いやられるなぁ。少しは慣れてください」
「無茶言わないでくださいよ……こっちは初心者なんですから……」
「ふふ。そうか、それもそうだね。じゃあ……もっとしようよ。あなたが慣れるまで」
「あ……ッ」

 保胤は一葉の顎に手を添えて上を向かせ口づけをした。一葉は反射的にぎゅっと目を閉じる。

 触れるだけの優しい口づけ。唇を離して至近距離で互いの顔を見つめる。顔を赤らめ、とろんとした一葉の表情を保胤は満足そうに見つめる。

「……このままゆっくりしていたいけれど、そろそろ起きないと三上さんが心配しちゃうね」
「あーーーーそうだった!!!!」

 一葉はがばっと起き上がり、ベッドから飛び降りた。そのまま保胤に何も言わず部屋を出て行ってしまった。

「……睦言も覚えてもらわなきゃだなぁ」

 呆れたような、どこか胸が躍るような声色で保胤はひとり残されたベッドで呟いた。




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