黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第37話:旦那様への本音

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「おはようございます!! 遅くなってごめんなさい!!」
「まぁ、一葉様! 休んでいらしていいんですよ! お疲れでしょうに……!」

 急いで身支度を整え台所に行くと、三上が朝餉の準備をしていた。大方作り終えた様子で、申し訳なくて一葉は再び三上に頭を下げる。

「だ、大丈夫です! 三上さんこそ昨日はお疲れ様でした! 結婚式の準備からお食事会までお任せし切りでごめんなさい……本当にありがとうございました」

 三上は笑顔で首を振る。

「おはよう、三上さん、一葉さん」
「保胤様、おはようございます!」

 着替えた保胤も一階へと降りてきて、二人に挨拶する。ついさっきまで甘い雰囲気でねやを共にしていたのに何事もなかったかのように振舞う保胤に一葉は目を丸くする。それでもなんとか調子を合わせる。

「お、おはようございます……」
「おはよう、一葉さん。今日の朝食は何かな? 昨日はあまり食事をとる時間もなかったからお腹が減りました」
「今朝はシジミのお味噌汁ですよ!」
「おや、ちょう良かった。一葉さん、貝類の味噌汁は二日酔いに効きますよ」
「…………お、恐れ入ります」
「さあ、いだきましょう!」

 朝日の差し込む食堂で三人食卓を囲む。保胤の言う通り三上の作ってくれた味噌汁は身体に沁みた。優しい、ほっとする味に感嘆のため息を漏らしながら一葉は美味しそうに飲む。三上がすぐにおかわりをついでくれた。保胤は穏やかな顔でそんな二人のやりとりを見つめていた。

「それじゃあ行ってきます」

 会社へ向かう保胤を玄関まで三上と一緒に見送る。

「はい、行ってらっしゃいませ」
「もしかしたら今夜は少し遅くなるかもしれません。夕飯は僕に構わず先に食べていてください」
「分かりました。お食事は家で召し上がられますか?」
「会食の予定はないからそのつもりです」
「何かご希望はありますか? あればそちらにしますが」
「そうだなぁ。今日は……煮込み料理が食べたいかな」
「なら、肉じゃがにいたしますね」
「ふふ……」
「な、なんですか……急に笑って……」

 一葉が怪訝な表情をする。

「いや、新婚さんっぽいなぁって。西洋ではこういう時いってらっしゃいの口付けをするんですが、どうします?」
「なっ!!!」
「あ、三上ちょっとお洗濯物を干し忘れておりましたわ~!」
「え、ちょ!」

 そそくさとその場を離れる三上に一葉は追い縋ろうとしたがあっという間にサンルームの方へ消えてしまった。

「三上さんに気を遣わせないでください!」

 顔を真っ赤にして保胤に詰め寄る。

「えー、目の前でしてもいいならするけどあなたが恥ずかしがるかなって」
「十分恥ずかしいです! もう! 変なことばっかり言わなーー」

 言葉は途切れ、保胤の口の中に消える。

「行ってきます。なるべく早く帰れるようにしますからいいこで待っていてくださいね」

 保胤は覆面を素早く戻し、一葉の頭をぽんと撫でる。バタンと閉まる扉を見つめながら、一葉は自分の唇をきゅっとつぐんだ。

 保胤を見送った後、一葉もすぐに出掛ける準備を始めた。

「三上さん、私、少し出掛けてきてもいいでしょうか? お昼過ぎには戻ります」
「もちろん構いませんよ! むしろ私に断る必要などございません。もうここは一葉様の家なのですから」

 三上は一葉に微笑む。

「……ありがとうございます。それじゃあ行ってまいります」

 三上の言葉が嬉しかった分、後ろめたさが増した。

 玄関を出て正門へと続く長い道を歩く。正門を出ると、道路の端に一台の車が止まっているのが目に入った。一葉が近づくと、運転手が出てきて後部座席の扉を開けた。

「……お養父様は自宅ですか?」
「はい。お急ぎください」

 一葉を乗せて車は走り出す。窓からそっと緒方家の館を見る。

(……早く帰りたいな)

 帰りに八百屋に寄ろう、あとお肉屋さんも。

 遠くなる館をいつまでも見つめながら、一葉は今日の夕飯の献立のことばかりを考えていた。










 慶一郎は煙草を吹かしながら窓の外を見た。

「舞鶴か……」

 喜多治家の屋敷の二階にある慶一郎の自室からは中庭が見渡せる。中庭側の炊事場から煙が登っていた。女中たちが昼餉の準備にとりかかっているようだ。

「はい……舞鶴には軍港もあることから建設計画を進めるには色々と問題があると言っていました。ただ、やはり緒方商会は製鉄所の建設自体は決して消極的ではないようです」
「そう思う理由は?」
「膨大な資金と製鉄に関する外国人技術者の雇入れ。この二つを同時に出来る会社は日本では緒方商会ぐらいでしょう。競合がいない今、計画を進めれば長きにわたって鉄鋼事業を独占出来ます。その機会を緒方商会が逃すとは考えられません」

 一葉は昨夜、堂薗から聞き出した話を慶一郎に話した。

「ふむ……紅茶での食品輸入で英国、鉄鉱石の原産地である中国とも取引があるわけか。確かにそのパイプで欧米の技師も鉄鉱石の確保もそれほど難しくないだろうな。資金面でも緒方商会ならば懸念点はない。お前の言う通り、前提条件がこれだけ揃っていれば自ら計画を中止する理由はないか」
「はい。ただそれでも勝算が読めないのが……軍関係のようです」

 一葉は慶一郎の部屋の端で立ったまま報告する。

「なるほどな。たしか舞鶴は丹波地方の小さな町だったが、海軍の関係者があちらこちらで出歩いているらしい。少しでも余所者がいればすぐに目をつけられると聞いたことがある。緒方商会とは言え、軍に睨まれるのは面倒だろう。建設計画に慎重になっていたのはその理由か」
「海軍との調整役を担っている人物がいます。堂薗、という保胤さんの旧友にあたる男です」
「堂薗……そいつはどのような人物だ」
「京都で仕事をしている、ということ以外はまだ何も……昨夜の食事会で本人と接触してみましたが保胤さんとは随分と親しい仲であるようでした。過去にも仕事をいくつか斡旋されているとのことです」
「ほう、もう本人に接触したのか。やれば出来るじゃないか!」

 心の底から意外そうに、そして機嫌良さげに慶一郎は笑った。

「任務を解かれこの家に戻るのがそれほど嫌だったか? もしくは……保胤から離れるのが惜しくなったか?」

 ふいにでた保胤の名前に一葉はドキリとした。

「……前者です」
「ははっ! お前は正直だな。だからこそ諜報員として不出来である所以だが今回は上出来だ」


(正直か……保胤さんにもよく言われるな)

 保胤からも褒め言葉として言われているわけではないことぐらい分かっていた。それが悔しいとか、腹立たしいと思ったことも一度もない。

 ただ、保胤から言われると居づまりの悪さを感じていた。まるで、とるに足らないつまらない人間だと言われているようで切ない気持ちになる。実際そうだと自覚はあり、慶一郎から言われても何も感じてこなかった。

 しかし、その相手が保胤だと思うと胸が少し苦しくなる。その理由は、一葉はまだ自分の中で答えが出せていなかった。

(いずれ一生会わない相手だからどう思われたっていいはずなのに……)
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