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4 灰色の虹彩
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「救急車呼ぶから待っていろ!」
頭を抱えながら携帯をびちゃびちゃになったジーンズの後ろポケットから取り出して振る。水滴や小石が飛び散る。慌てて上手く掴めずに携帯が滑って飛んでいきそうになる。
「……だ」
飲み込んでしまった水を男が激しく咳き込みながら吐き出す。まだ口の端から少量の水が溢れ出る。男は冷たい手で俺の携帯を持つ手を抑える。目はまだ虚ろだが少しずつ焦点が合ってきた気がする。
「で、んわ、……だ」
ちょっと低めの、掠れた声だ。苦痛に顔を歪ませながらも頭を左右に振る。
「お前、溺れたんだぞ⁉ 頭も打っている」
男は自分のこめかみに触れ、赤く濡れた指先を見る。また濡れた部分に血が滲む。海水で濡れた左目の横を血が染め広がる。
「大……丈、夫。頼む」
俺は荒々しく男の短い前髪をかき上げる。
「……っ!」
痛むのか男はまた顔を顰める。ちょうどこめかみ添いに四センチぐらいの傷になるだろうか。俺は掌を思いっきり押し付ける。
「……っ」
強めに止血をしている俺の手に彼の手が重なる。無意識に俺の手を剥ぎ取ろうとしているのか、一緒に止血しようとしているのか、曖昧な手の位置だ。かなり沁みるのか目をきつく閉じて眉間に皺を寄せている。
「綺麗じゃねぇけど、他に止血する物ねぇからこれで我慢な」
男は眉間に皺を刻んだまま微かに頷く。また深く咳き込む。
「病院は? 引き上げた時、お前の心臓止まっていたぞ。これも診て貰った方が良い」
今度もまた頭を振る。目を開けて俺を見上げる。
「……大丈夫だ」
顔色がまだ青白いが少し唇に赤みが差してきた気がする。
「あんた……が、蘇生したのか?」
「あぁ」
声は酷く掠れている。海水で結構喉が荒れてしまったのかもしれない。俺をじっと見上げる顔は落ち着いている。
――――綺麗な目だよなぁ。でも無表情過ぎて、なんか人形みてぇ
「ちょっと待っていろ」
止血を変わって貰い、慌てて周りを見回す。いつの間にか放り出した袋が随分と離れた場所で転がっている。中身は散らばっているが幸運にも波に攫われる前だ。
俺はジャックダニエルを取りに走って蓋を開ける。男の手を退かして見てみるとまだ完全には止血していないが確かに慌てる程ではなさそうな傷だ。頭はいつだって小さな怪我でも出血が多い。
生々しい傷にゆっくりとウィスキーを垂らす。かなり沁みるのか男は目をきつく閉じて歯を食いしばっている。顎の筋肉が動く。携帯で照らすと傷口にまだ砂が少し入っている気がする。傷に指を軽く這わせ、砂を転がし流す。ついでに残った液体で付近の髪の砂も少し流す。
「ちょっとはマシになったけど、これ、マジで消毒ぐらいはした方が良いぞ」
顔を傷に近付けていた為、直ぐ近くで目が合う。瞬きもしないで俺を見つめ返す。人工光で灰色の虹彩が薄っすらと緑掛かって見える。夜のせいなのか、アドレナリンが垂れ流しになっているせいなのか、瞳孔が開いている。
ふいに彼の目からツーと一筋の涙が頬骨を伝って耳の方へと流れる。びくっとして彼は顔を酷く辛そうに歪める。俺は前の海に視線を移し、黙って手で震える彼の目を覆う。
「……っ」
熱い涙が次から次へと溢れてきては下の砂に消えていく。堪えた声が空気を引き裂いて俺の耳に届く。
目で黒い海の波を追う。静かな、とても静かな夜だ。先程海の中で怪我した場所がチリチリと痛む。
◇
暫く静かに泣いて男は落ち着いたのか、俺の腕に触れる。黙って手を退かし、彼に目を向ける。目が合う。彼の目元が微かに赤くなって腫れている。先程の強いお酒の匂いに交じってふわっと良い香りがする。
――――これ、体臭か? なんか、白檀みたいな感じの、深い、良い香り。下半身にくるような
……何考えているんだ。
ハッとして俺は男から離れて軽く頭を振る。やっと焦っていた気持ちも落ち着いてきて一息付く。俺もアドレナリンで変な影響を受けているのか。
「……ありがとう」
男はまだ横になっているがもう意識ははっきりしたみたいだ。やはり声は掠れている。
俺は袋の残りを拾ってきて隣に座わる。海はとても大人しく穏やかな黒い影をしている。砂と海水でベタベタになった全身の不快感を拭うようにビールのタブを開ける。ちらりと男の足元を見ると気になっていた靴は履いている。
自殺?
事故?
どちらにしても死にかけた、というか実際に死んでいた、男に勧める物じゃねぇよなぁと思いながらも男に一本渡す。他に何もないからしょうがない。目礼をして男は上半身を起こす。
シャツが体に張り付いている。結構しっかりとした体付きでそれなりに身長がある俺よりも更に高そう。砂が筋肉で盛り上がった背中一面を汚している。シャツから伸びている両腕も筋張っている。火事場の馬鹿力とはこういう事か。よく海から引きずり出せたなと思う。さっき濡らしたままの黒い前髪がそのまま後ろに流れていて彫りの深い精悍な顔が良く見える。ビールを開ける指は長くって力強い。一口飲んでまた咳き込んでいる。痛そうに顔を歪める。
波が静かに石や岩に打ち上がる。
暫く休んで喉の痛みがマシになったのか、男は『明音』と名乗った。
「何と言ってお礼をすれば良いのか」
さっきの掠れ声は海水の影響だったのだろうか、それでも妙に艶っぽいハスキーな声がする。
とても静かで落ち着いた大人の男の雰囲気で彼は話す。
「他にケガは?」
軽く自分の手足を動かして確認しているそばからパラパラと半渇きの砂が落ちる。シャツの前一面も砂だらけで見ているとジャリジョリって音が聞こえるぐらいの汚れだ。明音は砂塗れの掌を振って砂を少し落とすと重そうなシャツに手を掛け、脱ぐ。かき上げた前髪から水やウィスキーがまだ滴っている。腕を引き抜く三角筋の動作が無駄に綺麗に流れて見える。
育ち良さそうだな、と思いながら目の端で見ているとギョッとするぐらい長い脇腹の傷痕が視界に入る。それは背中から脇腹まで走っていて、古い物のようで輪郭は凹み、内側が白く盛り上がっていて独特の微かに表面に光沢がある傷痕だ。月明りが無数の重なり合っている胸元の痕を照らす。一つ一つ小さな物でやたらと左半身に集中している。広く厚い胸筋に少し鳥肌が浮いている。
――――体が完全に出来上がっているじゃねぇか
道理で心臓マッサージしていて厚く硬かったわけだ。同じ男としてちょっと羨ましい。
「すっげぇ体」
つい呟いてしまう。
「ケガはなさそうだな」
頭を抱えながら携帯をびちゃびちゃになったジーンズの後ろポケットから取り出して振る。水滴や小石が飛び散る。慌てて上手く掴めずに携帯が滑って飛んでいきそうになる。
「……だ」
飲み込んでしまった水を男が激しく咳き込みながら吐き出す。まだ口の端から少量の水が溢れ出る。男は冷たい手で俺の携帯を持つ手を抑える。目はまだ虚ろだが少しずつ焦点が合ってきた気がする。
「で、んわ、……だ」
ちょっと低めの、掠れた声だ。苦痛に顔を歪ませながらも頭を左右に振る。
「お前、溺れたんだぞ⁉ 頭も打っている」
男は自分のこめかみに触れ、赤く濡れた指先を見る。また濡れた部分に血が滲む。海水で濡れた左目の横を血が染め広がる。
「大……丈、夫。頼む」
俺は荒々しく男の短い前髪をかき上げる。
「……っ!」
痛むのか男はまた顔を顰める。ちょうどこめかみ添いに四センチぐらいの傷になるだろうか。俺は掌を思いっきり押し付ける。
「……っ」
強めに止血をしている俺の手に彼の手が重なる。無意識に俺の手を剥ぎ取ろうとしているのか、一緒に止血しようとしているのか、曖昧な手の位置だ。かなり沁みるのか目をきつく閉じて眉間に皺を寄せている。
「綺麗じゃねぇけど、他に止血する物ねぇからこれで我慢な」
男は眉間に皺を刻んだまま微かに頷く。また深く咳き込む。
「病院は? 引き上げた時、お前の心臓止まっていたぞ。これも診て貰った方が良い」
今度もまた頭を振る。目を開けて俺を見上げる。
「……大丈夫だ」
顔色がまだ青白いが少し唇に赤みが差してきた気がする。
「あんた……が、蘇生したのか?」
「あぁ」
声は酷く掠れている。海水で結構喉が荒れてしまったのかもしれない。俺をじっと見上げる顔は落ち着いている。
――――綺麗な目だよなぁ。でも無表情過ぎて、なんか人形みてぇ
「ちょっと待っていろ」
止血を変わって貰い、慌てて周りを見回す。いつの間にか放り出した袋が随分と離れた場所で転がっている。中身は散らばっているが幸運にも波に攫われる前だ。
俺はジャックダニエルを取りに走って蓋を開ける。男の手を退かして見てみるとまだ完全には止血していないが確かに慌てる程ではなさそうな傷だ。頭はいつだって小さな怪我でも出血が多い。
生々しい傷にゆっくりとウィスキーを垂らす。かなり沁みるのか男は目をきつく閉じて歯を食いしばっている。顎の筋肉が動く。携帯で照らすと傷口にまだ砂が少し入っている気がする。傷に指を軽く這わせ、砂を転がし流す。ついでに残った液体で付近の髪の砂も少し流す。
「ちょっとはマシになったけど、これ、マジで消毒ぐらいはした方が良いぞ」
顔を傷に近付けていた為、直ぐ近くで目が合う。瞬きもしないで俺を見つめ返す。人工光で灰色の虹彩が薄っすらと緑掛かって見える。夜のせいなのか、アドレナリンが垂れ流しになっているせいなのか、瞳孔が開いている。
ふいに彼の目からツーと一筋の涙が頬骨を伝って耳の方へと流れる。びくっとして彼は顔を酷く辛そうに歪める。俺は前の海に視線を移し、黙って手で震える彼の目を覆う。
「……っ」
熱い涙が次から次へと溢れてきては下の砂に消えていく。堪えた声が空気を引き裂いて俺の耳に届く。
目で黒い海の波を追う。静かな、とても静かな夜だ。先程海の中で怪我した場所がチリチリと痛む。
◇
暫く静かに泣いて男は落ち着いたのか、俺の腕に触れる。黙って手を退かし、彼に目を向ける。目が合う。彼の目元が微かに赤くなって腫れている。先程の強いお酒の匂いに交じってふわっと良い香りがする。
――――これ、体臭か? なんか、白檀みたいな感じの、深い、良い香り。下半身にくるような
……何考えているんだ。
ハッとして俺は男から離れて軽く頭を振る。やっと焦っていた気持ちも落ち着いてきて一息付く。俺もアドレナリンで変な影響を受けているのか。
「……ありがとう」
男はまだ横になっているがもう意識ははっきりしたみたいだ。やはり声は掠れている。
俺は袋の残りを拾ってきて隣に座わる。海はとても大人しく穏やかな黒い影をしている。砂と海水でベタベタになった全身の不快感を拭うようにビールのタブを開ける。ちらりと男の足元を見ると気になっていた靴は履いている。
自殺?
事故?
どちらにしても死にかけた、というか実際に死んでいた、男に勧める物じゃねぇよなぁと思いながらも男に一本渡す。他に何もないからしょうがない。目礼をして男は上半身を起こす。
シャツが体に張り付いている。結構しっかりとした体付きでそれなりに身長がある俺よりも更に高そう。砂が筋肉で盛り上がった背中一面を汚している。シャツから伸びている両腕も筋張っている。火事場の馬鹿力とはこういう事か。よく海から引きずり出せたなと思う。さっき濡らしたままの黒い前髪がそのまま後ろに流れていて彫りの深い精悍な顔が良く見える。ビールを開ける指は長くって力強い。一口飲んでまた咳き込んでいる。痛そうに顔を歪める。
波が静かに石や岩に打ち上がる。
暫く休んで喉の痛みがマシになったのか、男は『明音』と名乗った。
「何と言ってお礼をすれば良いのか」
さっきの掠れ声は海水の影響だったのだろうか、それでも妙に艶っぽいハスキーな声がする。
とても静かで落ち着いた大人の男の雰囲気で彼は話す。
「他にケガは?」
軽く自分の手足を動かして確認しているそばからパラパラと半渇きの砂が落ちる。シャツの前一面も砂だらけで見ているとジャリジョリって音が聞こえるぐらいの汚れだ。明音は砂塗れの掌を振って砂を少し落とすと重そうなシャツに手を掛け、脱ぐ。かき上げた前髪から水やウィスキーがまだ滴っている。腕を引き抜く三角筋の動作が無駄に綺麗に流れて見える。
育ち良さそうだな、と思いながら目の端で見ているとギョッとするぐらい長い脇腹の傷痕が視界に入る。それは背中から脇腹まで走っていて、古い物のようで輪郭は凹み、内側が白く盛り上がっていて独特の微かに表面に光沢がある傷痕だ。月明りが無数の重なり合っている胸元の痕を照らす。一つ一つ小さな物でやたらと左半身に集中している。広く厚い胸筋に少し鳥肌が浮いている。
――――体が完全に出来上がっているじゃねぇか
道理で心臓マッサージしていて厚く硬かったわけだ。同じ男としてちょっと羨ましい。
「すっげぇ体」
つい呟いてしまう。
「ケガはなさそうだな」
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