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第二章
目覚
しおりを挟む目が覚めるというのは、水面から顔を出すようなものだという表現を聞いたことがある。
「……きて…ださい………ルク…ん………起きてください、ルクさん」
微睡みながらも、目を開けようとする。少し瞼を開くだけで、強い光が入ってくる。明かりがついているのだろう。再度、目を閉じてしまう。
「もう、また眠って。起きないとー、起きないと…?…えぇと………」
「クリネさんが、#接吻__キス__でもしてくれるんですか?」
ルクは体を素早く起こすと、彼を覗き込んでいたクリネに顔を近づける。
息遣いすら感じる程の距離。ルクの表情は、いたずらをする少年のそれだった。
初めキョトンとしていたクリネは、頬を紅潮させた。
そして、慌ててルクから離れ、
「起きてるじゃないですか!じ、じ、冗談は止めてください!」
「いやぁ、冗談では無いんですけどねー」
ルクの追い打ちによって、ますます赤くなるクリネ。熟れた林檎もかくやといった顔つきだった。
微笑ましい朝の光景だった。
血の着いた服は、全自動洗濯機によって汚れが落とされ完全に乾燥していた。柔軟剤によっていつもより着心地が良いというおまけつけだった。
ルクは洗面台で顔を洗い、ボサボサの髪を整える。そのあとも、歯を磨いたりなどをしていつものルーティンを淡々とこなしていく。
「ルクさん、台所借りますねー」
「え、朝食作ってくれるんですか?」
「自然治癒力を高めるには、しっかりとした食事が大事ですからね。ゴミ箱を見る限り、固形栄養食ばかりみたいですし」
「反論の余地なしですね。ありがとうございます」
もう既に怪我は治っていて、自然治癒力も身体改造を使えばいくらでも高められるなどという、無粋なことをルクは言わない。
彼女の思いやりが何よりも嬉しかった。
クリネはテキパキと食事の準備を進めていく。台所から出る音から察するにかなり手慣れているのだろう。
皿を並べるぐらいの手伝いはしたいと思い、ルクは手を早めた。
食事が完成した。
朝定番の目玉焼きやパン、コーンスープなどが湯気を立てて並んでいた。
変わり種としては、どこから見つけたのか、魔物肉の炒めなどもある。
二人は、席に着く。
「いただきます」
ルクが最初に手をつけたのは、目玉焼きだった。誰にでも作れる料理だからこそ、その人の料理スキルが試される。
あえて塩などの味付けはせず、普通にナイフとフォークで頂く。
究極の半熟。白身を、切ったことで溢れ出した黄身と絡め頂く。
「うまいな」
「ホントですか!良かったぁ…」
クリネは、ルクの反応を見て安心したようだ。
それを見て、ルクは妙案を思いついた。
「お願いがあります」
「はい、なんでしょう?」
「あーん、ってして下さい」
「ふえぇっ!?ちょっと、ルクさん、やっぱりどこか頭でも打ったんじゃないですかー!」
まるで、新婚夫婦のようにも見えるやり取りは、二人がギルドへ行く支度を済ませるまで続いた。
__________________________________
「へぇ、若い男女がをひとつ屋根の下で夜を明かしたと」
「うぅ、間違いではないんだけど、悪意を感じるよぅ…」
二人がギルドに入った途端、話しかけてきたのはレマグだった。
くりっとした目に金髪、そこから突き出た二つの狐耳。それだけ聞くと美しい娘を想像するだろう。
しかし実際は、彼女の金髪は寝癖だらけで、耳はだらしなく垂れていた。せっかくの素材が、台無しだ。
お気に入りの時計型デバイスだけは、しっかりと彼女の左腕に装着されている。
「でも、珍しいね」
いつも深夜までソシャゲに没頭している彼女が、正午前にここにいることはとても異常だと言えた。
「当たり前だろっ。友達が人探すって言って、どこかへ行ったまま音沙汰無しなんだぞ?おちおち、眠れもしねぇよ!電話も出ないし!」
「え」
急いで携帯端末を開き、通知を確認する。
「う、嘘……」
端末のディスプレイは、レマグからの不在着信が大量に表示する。それも数十回に及ぶほどの数で、十五分おきに来ている。
「ほんとに、心配したんだぞ?」
レマグは丸みを帯びた目を細め、クリネに詰め寄る。普段の脱力した彼女からは、想像もつかない覇気を纏っていた。
だらしない姿を含めても、凄まじい圧だった。
それはギルドを飛び出したあと、連絡も寄越さないクリネのことを心から案じていたことの裏返しだろう。
「ご、ごめんなさい。貴女に連絡すること忘れちゃった……そこまで心配してくれてるなんて知らなくて」
「分かりゃあいいんだよ、分かりゃ」
レマグは先程までの表情から一転、ニカッと笑った。いつものレマグだった。
レマグは、顔をルクの方に向けると睨みつける。
「あんた、私のクリネに変なことしてないよな?」
クリネに向けたものよりも、数倍の強さの圧がルクにぶつけられる。
「はい、誓ってしていません。それと、今回のことは自分が原因です。申し訳ありませんでした。こんなことを言うのは烏滸がましいですが、クリネさんをあまり責めないであげてください」
ルクは少し早口で、捲し立てた。
「お、おお。そんなに言うなら、仕方ないな」
レマグは、ルクの想像以上の剣幕に圧倒されている様子だった。
(凄い、あの口では誰にも負けないと自他ともに認めるレマグが、あっさりと……!)
レマグは、その男勝りな口調と雰囲気が特徴だ。周りの男たちの方が恐れ戦くほどに。
クリネがナンパされた時に、レマグに助けられたこともしばしばだった。
「大丈夫。何もルクさんはしなかったよ、出来なかったという方が正しいけどね」
かけがえない親友は、自分の身を案じてくれたようだが、やましいことは何一つ起こらなかった。
正直なところ、ほんのちょっぴり残念なクリネだったが、それを口に出すという失態は犯さなかった。
「どういう意味だ?出来なかったって」
レマグが訊いてくる。彼女は昨日の一件については何も知らないのだ、疑問に思うのも無理はない。
だが、
「私もあんまり詳しいことは分からないの……たまたま口から血を吐いてるルクさんを見つけただけで……」
そうなのだ。クリネ自身も知っているのは、彼が何らかの経緯で怪我をしたという結果だけだ。過程がすっかり抜けている。
「そこら辺は、しっかりと説明してくれるんだよな、ルクさんよ?」
レマグが尋問官のような顔で、ルクに問う。まだレマグは、彼を完全に信用していないようであった。
「勿論」
ルクはキッパリと言い切った。
__________________________________
「只今、帰りました」
「ダム、報告を」
ダム達がアジトに戻ってきた時、待っていたのは「おかえり」などではなく、冷たい事後報告を促す声だった。
アジトは、あるビルの使われなくなった地下室に存在していた。
地下室へ入るためには、直通のエレベーターで、パスワードと対応したボタンを決まった回数だけ押す必要がある。まず、偶然では行くことはできないだろう。
部屋全体はら頼りないLED照明が数個あるのみで、薄暗かった。部屋の広さから考えれば、光度が足りていないことは明らかだった。
さらに、喪失者達のメンバー全員分のデスクが用意されていた。
デスクと言っても一人を除いて、机と椅子、そして型落ちしたパソコンが一台、という粗末なものではあるが。
他のメンバーも声を掛けるどころか、見向きもしない。興味が無いというより、まるで認知していないかのようだった。
「はい、リーダー」
いつもはヘラヘラしているダムが、珍しくピシッとする。額に汗を浮かべてすらいる。ルクと戦った時に出たものとは別種の汗がじわじわと滲み出てくる。
隣にいた連れも同様に緊張しているようだった。先程から俯いて、リーダーと目を合わせようとしない。
普通に考えれば無礼に当たるのだが、リーダーが気にする様子はない。
リーダーと呼ばれた人物は、地下室の奥に設置された紗幕の中にいた。そのため外からは、シルエットしか分からない。
(いくら顔を見せてはいけないとはいえ、これじゃあリーダーが何者かが分からないじゃないか。素性もしれない頭に従えってのかよ…)
「余計なことは、考えなくて良い。お前は、ただ私に従っていればいいのだ」
「……失礼致しました」
このリーダーの恐ろしいところを挙げるとすれば、正体不明の精神感応だろう。相手の心を読む力があるらしい。ダムとしてはやりにくくて、しょうがなかった。
しかし、黙っている訳にもいかなかった。
「では、報告を始めます。昨日の夕方頃、私は標的と…………」
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