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【2】紫
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「言ったでしょう。本気になったら負けだって」
更衣室からホールに出たところで、ママの抑えた声が聞こえてきて私は足を止めた。
中を覗くと、カウンターに上半身をもたせかけ、うつむいて泣き崩れるシャーロットの後姿が見えた。
時刻は午後五時、開店まであと一時間。
スタッフは準備に忙しく、キャストは身支度を整えている時間帯だ。
「今なら傷は浅くてすむ。やめときなさい。あんたのためを思って言ってるのよ」
ママはカウンターの中から手を伸ばし、シャーロットの背をさすりながら辛抱強く諭している。
が、シャーロットはすすり泣き、時折咳き込むばかりで何も言葉を返さない。
大体の状況が飲み込めて、私は溜息をついた。
ここは新宿二丁目のおかまバー『ジェーン・ドウ』。
業界じゃ有名店で、テレビで紹介されたこともある。
そのためゲイからノンケ、女の子と、コアな客からライトな客まで幅広い客層をつかんでいる。
オーナーはめったに店に顔を出さず、この城の実質的な主はママであるマリーさんだ。
縦にも横にもとにかく大きく、いつも特注で誂えた漆黒のドレスに身を包んでいる。
力士のような体型と野太い声にはインパクトがあるが、情に篤く面倒見のいい人で、客からもキャストからも慕われていた。
そのマリーさんを困らせているシャーロットは、うちの店のキャストだ。
若く見せているけど、歳は多分三十四、五はいっている。
うちに入る前はニューハーフ専門の風俗店で働いていたらしく、セックスのテクニックはあるがコミュニケーションが下手なタイプで、会話が弾まず何かと苦労していた。
私たちおかまには大まかに三種類いて、『完全に女』と、『よく見れば男』と、『完全に男』という区分けになっている。
シャーロットは『よく見れば男』に分類される。
つまり胸はあるけど体型は骨っぽくごつごつしていて、顔は化粧で整えているがひげやすね毛の処理は完璧じゃない。
中途半端な外見に個性のない顔立ちと性格だから記憶に残らないのか、客からの受けはあまりよろしくなかった。
でもたまにすごく優しい客がいたりして、自信がない子ほど優しくされるとあっという間に落ちてしまう。
シャーロットも、店に来た客の一人に本気で惚れてしまったようだった。
私たちは動物園の檻に閉じ込められた珍獣だ。
どんなに誇り高きプロとして生きていても、見世物であるという事実は変わらない。
一般人からは人間扱いすらされない。
どんなに明るく笑っていても、馬鹿騒ぎをしていても、おかまたちの胸の中には暗い沼がある。
普段は決して触らせない、立ち入らせないその場所に、たまに土足で踏み込んでくる輩がいるのだ。
面白半分にちょっかいを出してみようと口説いてくる客。
本気になっているのはシャーロットだけで、客のほうは十中八九、冷やかしでしかない。
惨いなと思うし心が痛まないわけじゃないけど、そういう商売だから仕方がない。
こっちもこっちで元男という立場を利用し、客に接近していくのだからお互いさまだ。
女の肉体と男の性欲を持つ私たちは、本物の女よりずっと直截的でなりふり構わない。
狙った獲物を追いかけて追いかけて、相手が疲れ果てるまで追い込んで仕留めるタフさがある。
もちろん、それはあくまでビジネス、擬似恋愛だ。ごっこ遊びに留めるのがルール。
――でも、もともとアウトサイダーである私たちに、ルールなんてあってないようなものだ。
「おはようございます、マリーさん」
「おはよう」
シャーロットが立ち去った後で声をかけると、マリーさんは苦笑ぎみに言った。
「立ち聞きしてないで、さっさと入ってきなさいよ」
私はうふふと笑う。
「で、あの子は?」
「今日はもう帰したわ。あの状態じゃ使い物にならないし、ちょっと頭冷やしてもらわないと」
マリーさんはごつい腕を組み、太い眉を寄せている。
「辞めさせないでね。あの子、いい子だから」
と私が言うと、彼女はどでかい顔をくしゃりとさせて笑った。
「分かってる。今はまだまだだけど、あの子は性格もいいし、あんたみたいに女にも好かれるようなキャラになれると思うわ」
さすがママ、よく見ている。私は思った。
うちのようなお店が生き残るためには、お得意様を大切にするのは当然として、ライトな客層をつかんでいくことが肝要だ。
女性客やカップルや会社の接待など、どんな人でも気軽に利用できる雰囲気を作る必要がある。
そのためにはキャストも男性相手のみに特化せず、幅広い世代、老若男女に対応できるだけの話術と接遇を身につけなければならない。
だが、現在のところ、そんなハイレベルな人材はうちの店にも数えるほどしかおらず、ほとんどのキャストは話題に乏しく接客スキルも中途半端である。
シャーロットは入店して日も浅いけど、素直だから、磨き上げればきっと店にとって貴重な戦力になるはずだ。
そんなことを考えていると、私を見つめていたマリーさんが肉厚の唇を開いた。
「でも、あんたは一度もそういうことなかったね」
更衣室からホールに出たところで、ママの抑えた声が聞こえてきて私は足を止めた。
中を覗くと、カウンターに上半身をもたせかけ、うつむいて泣き崩れるシャーロットの後姿が見えた。
時刻は午後五時、開店まであと一時間。
スタッフは準備に忙しく、キャストは身支度を整えている時間帯だ。
「今なら傷は浅くてすむ。やめときなさい。あんたのためを思って言ってるのよ」
ママはカウンターの中から手を伸ばし、シャーロットの背をさすりながら辛抱強く諭している。
が、シャーロットはすすり泣き、時折咳き込むばかりで何も言葉を返さない。
大体の状況が飲み込めて、私は溜息をついた。
ここは新宿二丁目のおかまバー『ジェーン・ドウ』。
業界じゃ有名店で、テレビで紹介されたこともある。
そのためゲイからノンケ、女の子と、コアな客からライトな客まで幅広い客層をつかんでいる。
オーナーはめったに店に顔を出さず、この城の実質的な主はママであるマリーさんだ。
縦にも横にもとにかく大きく、いつも特注で誂えた漆黒のドレスに身を包んでいる。
力士のような体型と野太い声にはインパクトがあるが、情に篤く面倒見のいい人で、客からもキャストからも慕われていた。
そのマリーさんを困らせているシャーロットは、うちの店のキャストだ。
若く見せているけど、歳は多分三十四、五はいっている。
うちに入る前はニューハーフ専門の風俗店で働いていたらしく、セックスのテクニックはあるがコミュニケーションが下手なタイプで、会話が弾まず何かと苦労していた。
私たちおかまには大まかに三種類いて、『完全に女』と、『よく見れば男』と、『完全に男』という区分けになっている。
シャーロットは『よく見れば男』に分類される。
つまり胸はあるけど体型は骨っぽくごつごつしていて、顔は化粧で整えているがひげやすね毛の処理は完璧じゃない。
中途半端な外見に個性のない顔立ちと性格だから記憶に残らないのか、客からの受けはあまりよろしくなかった。
でもたまにすごく優しい客がいたりして、自信がない子ほど優しくされるとあっという間に落ちてしまう。
シャーロットも、店に来た客の一人に本気で惚れてしまったようだった。
私たちは動物園の檻に閉じ込められた珍獣だ。
どんなに誇り高きプロとして生きていても、見世物であるという事実は変わらない。
一般人からは人間扱いすらされない。
どんなに明るく笑っていても、馬鹿騒ぎをしていても、おかまたちの胸の中には暗い沼がある。
普段は決して触らせない、立ち入らせないその場所に、たまに土足で踏み込んでくる輩がいるのだ。
面白半分にちょっかいを出してみようと口説いてくる客。
本気になっているのはシャーロットだけで、客のほうは十中八九、冷やかしでしかない。
惨いなと思うし心が痛まないわけじゃないけど、そういう商売だから仕方がない。
こっちもこっちで元男という立場を利用し、客に接近していくのだからお互いさまだ。
女の肉体と男の性欲を持つ私たちは、本物の女よりずっと直截的でなりふり構わない。
狙った獲物を追いかけて追いかけて、相手が疲れ果てるまで追い込んで仕留めるタフさがある。
もちろん、それはあくまでビジネス、擬似恋愛だ。ごっこ遊びに留めるのがルール。
――でも、もともとアウトサイダーである私たちに、ルールなんてあってないようなものだ。
「おはようございます、マリーさん」
「おはよう」
シャーロットが立ち去った後で声をかけると、マリーさんは苦笑ぎみに言った。
「立ち聞きしてないで、さっさと入ってきなさいよ」
私はうふふと笑う。
「で、あの子は?」
「今日はもう帰したわ。あの状態じゃ使い物にならないし、ちょっと頭冷やしてもらわないと」
マリーさんはごつい腕を組み、太い眉を寄せている。
「辞めさせないでね。あの子、いい子だから」
と私が言うと、彼女はどでかい顔をくしゃりとさせて笑った。
「分かってる。今はまだまだだけど、あの子は性格もいいし、あんたみたいに女にも好かれるようなキャラになれると思うわ」
さすがママ、よく見ている。私は思った。
うちのようなお店が生き残るためには、お得意様を大切にするのは当然として、ライトな客層をつかんでいくことが肝要だ。
女性客やカップルや会社の接待など、どんな人でも気軽に利用できる雰囲気を作る必要がある。
そのためにはキャストも男性相手のみに特化せず、幅広い世代、老若男女に対応できるだけの話術と接遇を身につけなければならない。
だが、現在のところ、そんなハイレベルな人材はうちの店にも数えるほどしかおらず、ほとんどのキャストは話題に乏しく接客スキルも中途半端である。
シャーロットは入店して日も浅いけど、素直だから、磨き上げればきっと店にとって貴重な戦力になるはずだ。
そんなことを考えていると、私を見つめていたマリーさんが肉厚の唇を開いた。
「でも、あんたは一度もそういうことなかったね」
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