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エピローグ・1
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驟雨のように降り注ぐ蝉の声に、由宇は薄く目を開いた。
縁側から翡翠色の木洩れ日が淡く差し込み、水のような風が前髪を散らす。
由宇は気だるく寝返りを打って起き上がりながら、隣に腰かけていた人影に向かって言った。
「すいません、遥さん。俺、寝ちゃったみたいで」
遥は茶と団子を盆に載せて差し出し、にこりと笑った。
「いいよ。受験勉強で毎晩お疲れのようだし」
由宇は団子をつまみ、もぐもぐと口の中で噛み砕きながら他愛のない不平を述べた。
「大体、俺まだ部活引退してないっていうのに、親も姉ちゃんもガミガミうるさくって。ここに来るのが唯一の息抜きですよ」
「由宇君も今年はもう受験生か。大きくなったね。昔は『遥お兄ちゃん』とか言って、僕の後ろをちょこちょこついて回っていたのに」
「だから、それは昔の話でしょ。ったく、いつまでたっても持ち出すんだから」
と、由宇は不満げに唇を尖らせる。遥はその様子を微笑ましく眺めた。
蒼くきらめく風が梢を揺らす。
のどかな昼下がりの明るく穏やかな日差しに目を細めながら、遥は茶を啜り、しみじみと言った。
「……あれから、もう一年になるのか」
遥の指示詞を正確に把握すると、由宇は小さくうつむいた。
「あのときは、ありがとうございました。俺の頼みを聞いてくれて」
由宇はちょうど一年前の今ごろ、遥の家に駆け込んだときのことを思い出していた。
あの日、音楽室に閉じ込められた聖を前に、由宇はどうすることもできなかった。
たった一枚扉を隔てたすぐ先で、喘ぐ聖の声を聞きながら、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
自分の無力さに吐き気がするほど嫌になって、すがるような思いで遥に会いに行き、涙ながらに訴えたのだ。
『遥さん、聖を助けてください。お願いします……お願いします!』
俺じゃ駄目なんだ。俺じゃ、聖のことを助けることはできない。
頭から沸騰した血が噴き出そうなくらい、胸を掻きむしりたいくらい悔しいけれど、それが事実なんだ。だから。
遥は事情を聞くと矢のように飛び出していった。
由宇は不安に駆られながら祈り、苦しみながら待つしかなかった。砂を噛むような苛立ちと焦燥感を味わいながら。
「でも……結局、僕は君の願いを叶えることができなかったよ」
遥は苦々しい表情でそう言った。
「え……だけど、」
言いかけた由宇を制して、穏やかに続ける。
「聖君を助けることはできなかった。彼の心はきっと、今もあの男に囚われているだろうから」
沈痛な遥の様子から、拭いきれない未練を感じ取って、由宇はうなだれた。
「そうですね。きっと今も、あいつの心の中には……」
終わりまで口にすることができず、由宇は咳払いで声が曇るのをごまかした。
遥の手が伸びてきて、由宇の手を取る。
温かく励ますように撫でられて、由宇は驚いた表情で遥を見た。
「辛いだろうね、由宇君。君は一番近くで聖君を見守っているんだから」
由宇は目頭が熱く潤むのを感じた。
どんなに傍にいても心は遠く、拭い去ることのできない過去がいつも二人の間に横たわっている。
それを知っていてなお、由宇は聖の元から離れることができなかった。
遥の腕が身体を優しく抱きしめる。
胸に顔をくっつけられて、由宇は小さく身じろぎした。
「泣いてもいいんだよ」
遥は言った。初めて会ったときから少しも変わらない、このうえなく優しい声で。
思わず緩みそうになる涙腺を引き締め、由宇は言った。
「泣きませんよ。俺はもう子供じゃないし……それに」
「それに?」
遥を真正面から見つめ、由宇は挑戦的な眼差しで言い放った。
「俺は聖の代わりじゃありませんから」
遥はしばしの間目を瞬かせていたが、やがてふっと柔らかい笑い声をあげた。
そのまま、ツボに入ってしまったらしく口元を押さえて笑い続けている。
「何だよ、遥さんの馬鹿。何がおかしいって言うんですか」
本気の言葉を冗談と受け止められたと思い、由宇はぶすくれた。
遥は「ごめんごめん」と目の端を涙にきらめかせながら、由宇の頭を撫でた。
「分かってるよ。由宇君は由宇君だ。それに、僕だって代わりにされるのは嫌だからね」
由宇の顔がぱっと明るくなる。
「よかった」
無邪気に大きく頷いた由宇に遥は微笑んだ。
縁側から翡翠色の木洩れ日が淡く差し込み、水のような風が前髪を散らす。
由宇は気だるく寝返りを打って起き上がりながら、隣に腰かけていた人影に向かって言った。
「すいません、遥さん。俺、寝ちゃったみたいで」
遥は茶と団子を盆に載せて差し出し、にこりと笑った。
「いいよ。受験勉強で毎晩お疲れのようだし」
由宇は団子をつまみ、もぐもぐと口の中で噛み砕きながら他愛のない不平を述べた。
「大体、俺まだ部活引退してないっていうのに、親も姉ちゃんもガミガミうるさくって。ここに来るのが唯一の息抜きですよ」
「由宇君も今年はもう受験生か。大きくなったね。昔は『遥お兄ちゃん』とか言って、僕の後ろをちょこちょこついて回っていたのに」
「だから、それは昔の話でしょ。ったく、いつまでたっても持ち出すんだから」
と、由宇は不満げに唇を尖らせる。遥はその様子を微笑ましく眺めた。
蒼くきらめく風が梢を揺らす。
のどかな昼下がりの明るく穏やかな日差しに目を細めながら、遥は茶を啜り、しみじみと言った。
「……あれから、もう一年になるのか」
遥の指示詞を正確に把握すると、由宇は小さくうつむいた。
「あのときは、ありがとうございました。俺の頼みを聞いてくれて」
由宇はちょうど一年前の今ごろ、遥の家に駆け込んだときのことを思い出していた。
あの日、音楽室に閉じ込められた聖を前に、由宇はどうすることもできなかった。
たった一枚扉を隔てたすぐ先で、喘ぐ聖の声を聞きながら、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
自分の無力さに吐き気がするほど嫌になって、すがるような思いで遥に会いに行き、涙ながらに訴えたのだ。
『遥さん、聖を助けてください。お願いします……お願いします!』
俺じゃ駄目なんだ。俺じゃ、聖のことを助けることはできない。
頭から沸騰した血が噴き出そうなくらい、胸を掻きむしりたいくらい悔しいけれど、それが事実なんだ。だから。
遥は事情を聞くと矢のように飛び出していった。
由宇は不安に駆られながら祈り、苦しみながら待つしかなかった。砂を噛むような苛立ちと焦燥感を味わいながら。
「でも……結局、僕は君の願いを叶えることができなかったよ」
遥は苦々しい表情でそう言った。
「え……だけど、」
言いかけた由宇を制して、穏やかに続ける。
「聖君を助けることはできなかった。彼の心はきっと、今もあの男に囚われているだろうから」
沈痛な遥の様子から、拭いきれない未練を感じ取って、由宇はうなだれた。
「そうですね。きっと今も、あいつの心の中には……」
終わりまで口にすることができず、由宇は咳払いで声が曇るのをごまかした。
遥の手が伸びてきて、由宇の手を取る。
温かく励ますように撫でられて、由宇は驚いた表情で遥を見た。
「辛いだろうね、由宇君。君は一番近くで聖君を見守っているんだから」
由宇は目頭が熱く潤むのを感じた。
どんなに傍にいても心は遠く、拭い去ることのできない過去がいつも二人の間に横たわっている。
それを知っていてなお、由宇は聖の元から離れることができなかった。
遥の腕が身体を優しく抱きしめる。
胸に顔をくっつけられて、由宇は小さく身じろぎした。
「泣いてもいいんだよ」
遥は言った。初めて会ったときから少しも変わらない、このうえなく優しい声で。
思わず緩みそうになる涙腺を引き締め、由宇は言った。
「泣きませんよ。俺はもう子供じゃないし……それに」
「それに?」
遥を真正面から見つめ、由宇は挑戦的な眼差しで言い放った。
「俺は聖の代わりじゃありませんから」
遥はしばしの間目を瞬かせていたが、やがてふっと柔らかい笑い声をあげた。
そのまま、ツボに入ってしまったらしく口元を押さえて笑い続けている。
「何だよ、遥さんの馬鹿。何がおかしいって言うんですか」
本気の言葉を冗談と受け止められたと思い、由宇はぶすくれた。
遥は「ごめんごめん」と目の端を涙にきらめかせながら、由宇の頭を撫でた。
「分かってるよ。由宇君は由宇君だ。それに、僕だって代わりにされるのは嫌だからね」
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「よかった」
無邪気に大きく頷いた由宇に遥は微笑んだ。
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