許された危険

凪子

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【1】アリオン

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兄の有理ゆうりは、決められた約束を必ず守る人だった。

日曜日の十一時半にロビーに到着すると、窓側の席に座っていた彼が立ち上がるのを見て、英理は足早に駆け寄った。

「親父は?」

「後から来る。と思う」

自信なさげに付け足された語尾を聞いて、眼鏡の奥の目がすっと細まる。

高級感溢れるシルバーグレーのスーツに、整えられた髪と一分の隙もない身のこなし。

外資系投資銀行に勤める三つ上の兄とは、ニューヨークに居住するようになってからは年末年始くらいしか顔を合わせることがなくなっていた。

「で、お前はもう会ったの」

英理が座り心地のよい上質なソファーに身を沈めるなり、有理は落ち着いた低い声で切り出した。

「誰と」

「親父の再婚相手」

「やっぱ、そうなの?」

思わず身を乗り出すと、有理は苦笑した。

「聞いてなかったのか」

「はっきりとは何も。大事な話があるってだけで」

ふうん、と有理は長い指を組み合わせる。

「わざわざ国際電話かけてきて、会わせたい人がいるって言ってきたから、お前にはとっくに話がついてるもんだと思ってたよ」

英理が口を開きかけたところ、甲高い声がフロアに響き渡った。

「有理!英理もいるじゃない」

ふくよかな脂肪のついた肢体に青いワンピースの中年女性が、怪獣めいた足音を立てて近づいてきた。

英理は喉の奥でうめき声を上げる。

「お久しぶりです。恵美子叔母えみこ・おばさん」

有理は立ち上がると、如才ない態度でお辞儀をした。

「本当よ。たまにはこっちにも顔を見せなさいよ。時也ときや妃紗菜ひさなも待ってるんだから」

玉田恵美子は、有理たちの父である向井要の妹に当たる人で、現在は眼科医に嫁いで目黒に居を構えている。

二人の両親は既に他界しており、親戚づき合いとしては交流が濃いほうであったが、それぞれの子たちが進学、就職してからは会う機会も稀になっていた。

恵美子は英理のほうを一瞥する。

「英理も久しぶり。元気そうね」

「はあ、まあ」

悪気のないおざなりさというのだろうか、恵美子は正直な人で好き嫌いがはっきり顔に現れる。

よく言えばいつまでも少女らしさを忘れず、悪く言えばミーハーで大人げがない。

幼いころから有理をあからさまに可愛がるのを横目で見てきたので、扱いの差には慣れてしまっていた。

趣味で声楽を習っているせいか、恵美子の声はよく通る上に声量が大きく、大理石の壁や窓ガラスに跳ね返って反響し、伸び上がって耳元に突き刺さってくる。

「仕事はどう?ちゃんと食べてるの?アメリカに一人で住むなんて、いろいろ苦労も多いでしょう」

「ご心配ありがとうございます。おかげさまで何とか無事に暮らしています。ただ、慌ただしい日々に取り紛れて、ついこちらの情勢には疎くなりがちで。
今回親父が呼び戻してくれて、いいタイミングなので思い切って休暇を取ろうかと」

立て続けの質問をそつない笑みでやんわりかわす手並みに、英理は感心していた。

案の定、恵美子は話題の矛先が逸らされたことに気づかず、誘導される方向へ猪のごとく猛進した。

「兄さんったら、いい歳して会わせたい人がいるんだなんて。本当、いくつだと思ってるのかしら。定年して寂しいのなら、アメリカに行って有理と一緒に住めばいいのに。ねえ?」

「今さら一緒に暮らすのは気恥ずかしいですね。親父もアメリカより、日本の方が性に合ってるだろうし」

「なら、今度私がご飯つくりに行ってあげるわ。一人暮らしで、ろくなもの食べてないんでしょう?」

あんたの作った飯よりはましだよ、と英理は心の内で呟いた。

恵美子の手料理の腕は壊滅的だった。

作ったはいいが食べられなくて、よく出前を取っているところを見かけたものだ。

「有理もそろそろ、お相手を探さないとね。誰かいい人はいないの?」

「どうでしょう。今は仕事で精一杯というのが本音ですね」

「またそんなこと言って。あなたなら、女の子のほうが放っておかないでしょう。いつまでも独身でフラフラしていないで、所帯を持てば物の見方も変わってくるわよ。さっさと身を固めなさい」

「ご忠告ありがとうございます」

二人のやりとりを聞き流しながら、英理はぼんやりとガラスの外に広がる日本庭園を眺めていた。

築山に小さな池、芝生の上の飛び石を辿った先には藤棚がひっそりとしな垂れている。

その薄紫色の影を透かして、誰かの姿が見えた。

「親父?」

思わず目を凝らすと、そちらを視認した有理が軽く手を振った。

「正面から入らずに、裏手から庭を回ってきたんだな」

その後ろにひっそりと佇む女性のシルエットに気づいて、英理はぎょっとした。

心臓が嫌な音を立てて飛び跳ねる。

見間違いかと瞬きをし、目を細めてよくよく見るが、結果は何も変わらなかった。

それどころか、近づいてくればくるほどに、残酷なほどはっきりと、見覚えのある目鼻立ちが浮かび上がってくる。

――これ以上、ばつの悪い邂逅があるだろうか。

上下から缶を押し潰すように圧縮した、男性としては物足りない身長。

それよりもさらに小柄な体をかばうようにして、父親はその女性を同伴すると、三人の前にお披露目した。

「今日は、わざわざ来てくれてありがとう。
紹介するよ。この度、僕が結婚することになった相手――江本弥生えもと・やよいさんだ」















































































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