許された危険

凪子

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【2】ヴェリナス

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確かに――弥生は意図してかせずかは知らないが、周りの人間を悪者にしてしまうところがある。

たとえ正当な憤りや反発でも、弥生にその力のベクトルを向けると、なぜか罪悪感に形を変え、思わぬしっぺ返しを食らいそうな予感を連れてくる。

冴島慶子も、普通に接していれば気さくないい先輩だ。

恵美子だって普段は明るく呑気で少し面倒見のよすぎる、ただのおばさんだ。

だが、二人が弥生のことを話すとき、目許からはどす黒い炎が溢れ、眉は吊り上がり、口元は醜く歪み、頬は引きつっている。

人の負の一面を引き出す能力。

そんなものが現実に存在するとしたら、江本弥生こそ、その能力者なのかもしれなかった。

「どうした」

気づけば、隣に座っている兄が気遣わしげな目でこちらを見ている。

「顔色悪いぞ」

「何でもないよ」

と英理は答えたが、腹痛と吐き気は微弱ながらも執拗にわだかまっていた。

有理は席を立った。

「叔母さん、今日はそろそろお開きということで。後日また、改めてということにしませんか」

恵美子は腕時計に目を落とし、

「あら、もうこんな時間。銀座でお友達と待ち合わせしてるんだったわ。私もそろそろ、おいとましなくちゃ」

いそいそとハンドバッグを手に立ち上がる。

有理が先に精算を済ませてくれていたおかげで、恵美子の「私が払う」攻撃に苛まれずにすみ、二人で英理のマンションに向かう路線の電車に乗り込んだときには、心の底からほっとした。

ひどく疲れていたらしく、目の前が暗くちかちかする。

「酷い顔だな。降りてタクシー使うか?」

「いいよ、すぐだし。今、車に乗ったら俺、吐く」

有理は目の端をほんの少し緩め、英理の頭に軽く手を置いた。

「……大変だったな」

暮れなずむ黄昏の空に、残光が雲の端を真紅に縁取って煌めかせている。

英理は重荷を下ろすようにして、詰めていた息を吐いた。

「お前、彼女と知り合いなんだろう」

素っ気ないほどあっさりと指摘され、英理はうろたえることもできなかった。

「……何でわかったの」

諦めて降参すると、有理は「やっぱりか」と呟く。

「親父が彼女を連れて現れたとき、お前、どんな顔してたか知らないだろ」

英理は緩やかに首を振った。想像もつかなかった。

「人を殺しそうな目をしてた。今にも目の前の彼女に飛びかかっていくんじゃないかって、本気ではらはらしたぞ」

「嘘だろ。そんなつもり、全然なかったよ」

「まあ、でも、当たらずとも遠からずだろ」

有理はつり革に掴まったまま、英理のほうを見ずに言う。

「付き合ってたのか」

「俺と?江本さんが?」

有理が頷くのを見て、英理は「まさか」と笑った。

「さすがに、それはないよ」

「じゃあどうして、そんなに彼女を憎む」

投げかけられた質問に、英理はたたらを踏んだ。

「別に、憎んでなんかない」

「そうか」

と、あっさり有理は引き下がった。

「なら、いいんだ」

電車が駅のホームに危なげなく滑り込むと、二人は雑踏に紛れて改札を出た。

「実家に戻ってやればよかったのに。親父、きっと兄貴と話したがってるよ」

「かもな」

有理はやんわりと微笑した。

「でも俺としては、一応気を使ったつもりなんだ。いつ彼女が遊びに来てもいいように。何なら、もう一緒に住んでるのかと思ってたしな」

英理が立ち止まったのに気づいて、有理は振り向いた。

「どうした?吐くか」

「……違う」

英理の声は白くひび割れていた。

「兄貴は平気なの」

有理は黙って、英理の青ざめた頬を見つめている。

「俺は嫌だよ。気持ち悪くてたまらない。考えただけで、叫び出したくなるくらいだ」

スーパーや薬局、銀行やコンビニなどの立ち並ぶ牧歌的な商店街の風景と、有理の放つ雰囲気は異質だった。

あまりにもそぐわない感じがして、視界がぶれる。

「まあ……まさか親父に先を越されるとは思ってなかったけどな」

あえてなのか、有理はのんびりとした口調で言った。

英理が不満げな顔つきをしていると、続ける。

「叔母さんに言ったとおりだよ。自分の面倒が自分で見られる大人なんだから、好きにすればいい。
結婚は個人の自由だ。俺たちがどうこうできる問題じゃない」

英理は嘆息した。

――昔から兄はこういう人だった。

妙に達観していて、子どもの頃から大人の目線でものを見るような。

小学生の頃、英理が校庭で鬼ごっこをして遊んでいたとき、派手に転んで泣いていると、慰めるでもなくこう言ったものだった。

――それは、お前が悪いよ。ほら、見てみな。

と言って、有理はグラウンドを指さした。

昨日の雨で地面にできた水溜まりは乾ききっておらず、ところどころに足を取られるようなぬかるみが出来ていた。

――こっちを通って走ればよかったんだよ。

頭がいいせいか、いつも徹底して客観的で、時折少し冷たいと感じてしまう。

家族でさえそうなのだから、他人にはもっと距離を作って接しているのだろう。

兄が感情的に怒ったり、理性を吹っ飛ばして暴走したりするところを見たことがなかった。

「ただ、親父に一つだけ釘を刺しておいたことがある。結婚するのは勝手だが、子どもは作らないほうがいい。のちのち揉めるのは目に見えてるからな」

もし仮に要と弥生の間に子が産まれれば、その子どもは英理たちの腹違いの兄弟ということになる。

そのことを言っているのだろうかと英理が尋ねると、

「半分正解。実際そうなったとして、子供が成人するころには親父は多分死んでる。仮に死んでなかったとしても、生産人口じゃないことは明らかだろ。
あの女の子に、自分で稼いで子供を養育していく生活力があるようには、俺には見えなかった。
そしたら、そのツケを誰が払うことになると思う?」

考えて、英理はぞっとした。

「まさか、俺たち?」

「順当に言って、そうなるだろうな」

腕組みし、有理は喉の奥で笑った。

「二人が離婚したとしても一緒だ。親父が死ぬか、彼女に親権を取る資格なしと判断されれば、最も近しい親戚である俺たちにお鉢が回ってくることは十分に考えられる」

血の気の引いた英理の顔を見て、

「な、ぞっとしない話だろ」

有理は不敵な表情で言う。

「俺たちにできるのは、せいぜいこの結婚が幸せに長続きするよう、祈ることだけだ」


























































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