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episode.8
しおりを挟む声がしたので振り返る。私の瞳が見たものは、ファンタジックな映像だった。
紫一色の重たい空から、真っ白な雪の最初のひと粒が降ってくる。
ひらひらと、雪はオレンジ色の校舎にあたって消える。
オレンジの校舎は淡い光を中庭に注ぎ、それに照らし出される狂い咲く桜。
そしてその桜の木の下にいる、綺麗な緑色の瞳。
紫の空。
舞い落ちる雪。
オレンジの校舎。
狂い咲く桜。
……幻の少年。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「よお屋上少年」
私が言うと彼は申し訳なさそうな顔をした。
「里沙ごめん。待ったかな」
「大して待ってないよ」
謝るくらいなら時間言っとけよ。と、心の狭い人ならそう言うだろう。
私はたぶん心は狭いが、先輩としてのプライドで、あまり待っていたとは言いたくなかった。
「それで、どうしてここに呼んだの?」
私が尋ねると、彼は困ったような、迷っているような、儚げな笑みを浮かべた。
「さっきの質問に答えたかったから」
「……そっか」
さっきの質問ってなんだっけ?
私が心の中で首をかしげていると、彼はゆっくりと近付いてきて、私の体を抱きしめた。
さあどうだ。お前が待たせたせいで冷たかろう。
「僕は黄って名前じゃない。僕が里沙に嘘をついたのは、僕が僕自身を普通と思いたかったからなんだ」
ああ。
そのことだったら私はもう疑問に思ってはいなかった。彼が普通じゃないのは分かっている。
しかし私はとぼけて聞き返す。
「へー、それじゃあ、あなたはなんて名前なの?」
「分からない。僕は里沙と会うまでの記憶がないんだ」
記憶がないとは知らなかった。彼が夢の友達なら、もう二年前にはいたはずなのに。
「それに僕は、この学校の門から外に出られないんだ。それと里沙以外には見えないみたい。普通じゃないでしょ?」
割と知らない情報が出てきた。他の人に見えないから、私だけ警備員さんに詰められたのか。ていうかそしたら、私ずっと屋上で独り言を言っていたように見えてたのか。周りはさぞ不気味に思っていただろう。
「まあ普通じゃないわね。学校から出ようとするとどうなんの?」
「門を通ると、気付いたら屋上にいるんだ」
「さすが屋上少年」
私は彼の真剣さには付き合わず、ふざけた発言をしてみた。彼が周りに見えなかろうと、私と会う前を覚えていなかろうと、私には問題ないのだ。
彼は私から体を離し、眉をひそめて口を尖らせる。
それから少しの間沈黙をする。
「信じられないかもしれないけど」
そしてそんな前置きをして、真剣な目で私を見据える。そうすることで少しでも真実を話していると伝えたいのだろう。
「僕は七不思議の最後の一つだったんだ」
私はすでにそれを知っていた。開かずの屋上や、この中庭の光景。もう七不思議をただの噂だとは思っていない。それなら彼は、夢の木が地味めがね女子のために叶えた夢の友達なのだ。
別に構わない。
彼が七不思議だろうと、彼に抱きしめられれば暖かいのだ。それで私には充分だった。
「驚かないの?」
「驚かないよ。普通の男には飽きていたのよ」
ゆーふぉー。
「一応言うけど、僕宇宙人じゃないからね?」
私はゲラゲラ笑った。彼も珍しく声を出して笑った。
彼はそれから普段この学校でどう過ごしているのか、どうして黄君の名前を借りたのかなど、色々と説明をしてくれた。
彼は割と自由に学校を歩き回って、警備室でテレビを見たりするらしい。
黄というのは、たまたま校内で聞いた名前だという。私が名前を問う直前に聞いていて、とっさにそう答えたのだそうだ。
「そういえばあなた、黄色人種には見えないわね」
真面目に話す彼に、私は適当な冗談を返す。彼は呆れたような顔をして、私はまたゲラゲラ笑った。
普段と何も変わらない。本当に普段通りの会話だった。私はそれで、変化を求めていたことが、どれほど贅沢だったのか思い知った。
しかし問題はあった。千代が最後に教えてくれた七不思議、忘れ物だ。
私は明日には、彼の温もりを忘れてしまう。
もしかしたら、彼が私と会うまでのことを覚えていないのは、忘れ物のせいなのではないだろうか。彼自身が七不思議だから、彼は自分のことを忘れてしまうのだ。
しかしそれなら、昨日全てを知った彼の記憶は、今日にはなくなっているはずだ。
私は忘れ物だけが七不思議で間違いなのではないか、本当は忘れ物の妖精こそが七不思議の一つなのではないか、そんな期待を持った。
「里沙。こっちに来て」
彼が私の手を取った。優しく引かれる体が向かう先にあるのは、中庭に入って右から三本目の桜。
満開の桜の木から、花びらが落ちて来ている。雪の白と花びらのピンクが、私と彼の周りにベールをほどこす。
彼が私に好きだと言うのが、とても遠くから聞こえた気がした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
レンズが壊れたカメラのようにぼやけた頭。
それは私が家に帰ってからも続いていた。夜に何を食べたのかも思い出せない。
彼はためらうことなど知らないのだろうか。あの後私が何も言えないでいたのに、当然のように唇を合わせてきたのだ。
かさつく彼の唇の感触。男の子の唇だった。グロスで潤う私の唇の感触を、どう思っただろうか。
冷えた唇が温まるほど、長く長くキスをした。
そのたったの数分のせいで、私のその後の数時間にモザイクがかかってしまった。
ベッドの中に入っても彼の感触だけが思い出された。
私はできるだけ何回も彼とのキスを思い返した。それから彼とのくだらない会話も、彼の様々な表情も。
そうしていれば、明日になっても彼のことを覚えていられる。そう思ったのだ。
そしてもしも彼のことを忘れてしまっても、告白の木の力があるのだ。きっと私たちは結ばれるはず。
眠りに落ちる間際、私は一つの問題に気付いた。立川君も告白の木の下で私に告白をした。
このままだと私は二股女になる。ヤバい。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
そして次の日の朝。私は彼の記憶をなくしていた。
彼のことだけではない。他の七不思議も思い出せない。
私の目から涙が零れた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
どうして泣いているのだろう。私は首をかしげながらパジャマを着替えた。
なぜか昨日のことがほとんど思い出せない。千代が私の約束をほったらかして逃げ出したのは覚えている。そのとき思い付いた素晴らしい格言も覚えている。しかしその後どうやって家のベッドまでたどり着いたのだろうか?
私服になった私はリビングへ行く。今日も母と二浪の姉が醜く嫌みを言い合っている。
私はいつからこの言い合いが平気になったのだろう。我ながら冷めた女だ。
朝食のあと部屋に戻ると、千代からメッセージが来ていた。
「黄君からのクリスマスプレゼントだよー」
クマのぬいぐるみが手を振っている。
「あたしゃ子供かっ!」
絶対彼氏には言えなかったのだろう突っ込みに、私は一人で大爆笑した。
そういえば千代の男は黄君というのだ。昨日そのことを聞いたとき、私はとても取り乱した。
おかしな話だ。取り乱したのは覚えているのに、どうしてなのかは覚えていない。
私は首を捻った。
大事な何かを忘れている。何を忘れているのだろうか。
昨日の放課後、私は寒い思いをしながら中庭にいた。誰かを待っていたのだろう。
中庭と言えば立川君だろうか? いや、そのはずはない。告白の木に効力などはなかったのだから。
しかしどうしてそう確信を持てるのだろう。私自身が告白の木に裏切られたわけでもないのに。それともそのことを忘れているのだろうか。
どうやらこれは埒が明かないというやつなのだろう。
私は考えるのをやめてベッドに転がった。せっかくの冬休みなのだ。自堕落を満喫しなければ。
そう思って枕に顔をうずめたときだった。私の耳に軽やかな歌声が響いてきた。
「忘れた物を届けに来たよ。とても大事な忘れ物。今度はちゃんと忘れないでね」
怖い話が苦手な私は、飛び上がって辺りを見回した。
声の主はどこにもいない。恐怖に胸が高鳴っている。一体今のはなんだったのだ。
しかし冷静になって考えてみたら、答えは明らかだった。
今のは忘れ物の妖精だ。
私はベッドから跳ね起きて、コート一枚を羽織って家を飛び出した。
向かった先は学校だった。冬休みでも火曜日なら部活はあるから、校門も昇降口も開いていた。
「なんだ永井、忘れ物か?」
途中ですれ違った担任が、そんな質問を投げてくる。
担任を適当にあしらってから、私は階段を登った。二階も三階も四階も通り過ぎ、私は屋上のドアを開いた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
彼は背を向けて校庭を眺めていた。私が入って来たとは思っていないのだろう。ドアの音に振り向きもしない。
私はそこで少し考えた。一つ問題があったのだ。もう屋上少年は使い古した。なんと呼びかければいいだろう。
私は彼に歩み寄り、何も声をかけずに後ろから抱き付いた。千代並みに破廉恥だ。
「え、里沙?」
彼が驚いた声を上げる。
「僕のこと忘れてないの?」
彼が驚いた理由が私には分かった。突然の襲撃に遭ったからではない。彼は七不思議を一つだけ間違えていたのだ。
告白の木だ。
七不思議を全て忘れた私が、告白の木だけは忘れていなかった。あれは七不思議ではなく、この学校に語り継がれる迷信だったのだろう。
そして本当の七不思議の最後の一つは、忘れ物の妖精だったのだ。
忘れ物の妖精は私の大事な記憶を持ってきてくれた。だから彼のことを思い出せたのだ。
彼はそのことが分からなくて驚いたのだ。もちろん私は教える気はない。愉快な気分がするからではなく、そのことを彼が知ってしまえば、きっと彼はまた全ての記憶をなくしてしまうから。
「あ」
私は一つ気が付いた。彼は私が全てを忘れると思っていたのだ。だからためらいもなくキスをしてきたのだ。なんて打算的なやつだ。
「忘れてほしかった?」
私が聞くと、彼は真剣な目でそれを否定した。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「おはようでごさる里沙殿」
「これはこれは千代殿。お久しぶりでござる」
冬休みが明け、いつもと変わらない日常が始まった。今日の千代は武士らしい。
「冬休みはつつがなく過ごされたでござるか?」
お、難しい言葉を使ってきた。これはあらかじめ準備してきていたな。
「左様。つつがなかったでござる。千代殿はいかがだったか」
「彼氏と別れたなり」
マジかよ。
「え、本当でござるか?」
「おうよ」
さすがは千代だ。きっと本性が隠しきれなくなったのだろう。その点私は本性を晒しきっているから、楽なものだ。
「ご愁傷様でござる」
「てか里沙。里沙はどーなの? 例の見えない彼氏とさ」
千代は小声で聞いてきた。それから私のブランケットを大きく広げて自分と私の頭に被せる。
即席秘密基地の中で、私は千代にのろけ話を聞かせてやった。
「とりあえず学校から出る方法がないか模索中。燃えるゴミの日に思い付いて、ゴミ袋を被せて連れ出したら、ゴミ袋ごと屋上に戻ったわ」
「ゴミ扱いかよ」
本当の話をすると、のろけようにもデートにすら行けない。
私は千代にだけは彼のことを話していた。千代はもちろん信じていないが、新しい遊びとして受け入れてくれている。
あの後も私は彼を忘れなかった。
正確に言うと毎朝忘れるのだが、忘れ物の妖精が届けに来てくれるのだ。妖精はさぞ迷惑しているだろう。
これから先どうして行くかは分からない。卒業までにはなんとかしたいが、私の頭では無理かもしれない。
まあだけどとりあえず今は、毎日がとても有意義だ。
私と千代は秘密基地を解除した。ホームルームが始まったのだ。
「千代。始業式のあと屋上に来て」
自分の席に戻ろうとする千代に、私はそう言った。ちょっとしたイタズラを思い付いたのだ。
彼に私を持ち上げてもらったりすれば、千代は相当驚くだろう。
私の悪巧みに気付いていない千代は、軽い返事で承諾をした。
紫の空。
舞い落ちる雪。
オレンジの校舎。
狂い咲く桜。
……毎朝忘れては思い出す、彼の緑色の瞳。
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