35 / 71
三章
35話
しおりを挟む
シャングアは、この状況を良好に終わらせる事で頭が一杯であった。紳士的に振る舞い、エンティーを傷付けないと必死に自分自身に言い聞かせる。
昨日からエンティーの香りにシャングアは悩まされていた。
フェルエンデの言っていた通り、眠っていたαとしての本能が活性化し、シャングアを悩ませている。
集合フェロモンを嗅いだ蜂のように、エンティーに惹き寄せられる。甘くそれでいて控えめだが、印象に残り、離れ難い香りが彼から漂っている。理性を強く保たなければ、抱き寄せ、ずっと嗅いでしまいそうだ。
これがΩの媚香。発情期を迎えれば、さらに強烈になるなんて想像がつかない。
蜜を吸うように、最も香る場所に歯を立てたいとシャングアの中で本能が騒ぐ。今まで平気だったのか疑問が浮かぶほどに、喉が渇く様に欲している。
抑制剤によって、溢れ出さないよう蓋がされているが、それでも誘惑はついて回って来る。
貴族達の噂を解消させる為に、共に過ごすのは危険だとシャングアは思っているが、同時にΩの媚香に慣れ、理性を保つ訓練としては絶好の機会だ。
今後来るであろうΩ達を退ける為の耐性を付けなければならない。
何よりも、エンティーを守る為にもここで逃げては元も子もない。
「あのさ、シャングア」
ふとエンティーが声を掛ける。
先程からシャングアが、天井から吊るされたイルカの骨を見つめている。どこか書類を読んでいる時の表情と似ているようにエンティーは思えた。
「あっ、ごめん。どうしたの?」
我に返ったシャングアはエンティーの方を向き、問いかける。
「ぼーっとしているから、どうしたのかと思って」
「久々に来たから、懐かしくなって少し思い出していただけだよ」
何かを見て気を紛らそうとしていたシャングアは誤魔化す。
αの本能が活性化されたからなのか、エンティーの顔や動きが美化されているようにシャングアは見えていた。丸みを帯びた目を飾るまつ毛や、頬や唇の赤み、白磁のように美しい肌。元々エンティーは可愛らしい顔立ちだと思っているが、更に輝きが増しているようだ。
シャングアは、自分自身がとても気持ち悪く思ってしまう。
「そうなんだ。一年ぶり位?」
書類が気になっていたわけではないのか、とエンティーは思う。
「うん。それ位かな。17歳くらいから、公務の手伝いを始めたから結構忙しくなって……部屋は隣だけれど、自然と足が遠のいたんだ」
部屋は掃除が行き届き、埃臭さは一切ない。棚や置かれている収集品には埃は積もっておらず、虫食いなどの損傷もない。合い鍵を持っているヴァンジュが、再びシャングアが訪れる事を見越して、定期的に掃除してくれていたようだ。
「疲れていると、好きなが楽しめなくなる時があるよね。俺も、なんとなく分かるよ」
過度な労働と周囲からの暴言によって心身が疲れ果て、寝台から出られなかった休日を思い出し、エンティーは同意する。
「そういえば、エンティーは何か趣味や、好きなものはあるの?」
「あれ。言ったことなかった?」
思わぬ質問にエンティーは驚くが、シャングアは頷いた。
「うん。僕が聞かなかったのもあるけれど、エンティーはあんまり自分について話したことが無いよ」
「そんなはず……」
エンティーは言いかけるが、思い当たる節は確かにあった。
「多分……シャングアは皇族の立場があるから、親しくなり過ぎたら迷惑だと思って、言わなかったんだ。それが当たり前になって、自分でも気づかなくなったんだと思う」
それが当然となっていたエンティーは思い返しながら応える。
「だったら、今から少しずつでも良いから教えてもらえないかな?」
「うん。そうだね」
エンティーは素直に頷く。
「えーと……好きなものは、肉と甘いお菓子。特に豚肉が好みで、お菓子はフィナンシェって海外から来たものが好き。嫌いなものは、腐った食べ物」
まずは好きな食べ物についてエンティーは言う。
「腐っていなければ、大抵は食べられるの?」
「うん。酸っぱ過ぎるとか極端なものは駄目だけれど、大体食べられるかな。あ、発酵食品は大丈夫。本当に食べたら腹痛になるって位に、腐っているものが嫌なんだ」
エンティーへ配給されていた食事の中には、ゴミ同然の物があったと以前報告に上がっていた。管理者達へ向けた者だけでなく、誓約を済ませてからようやく動き出した自分に対しても、シャングアは静かに怒りを覚えた。
出会って二週間後には、心配かけないように誤魔化すエンティーの行動に気が付いていた。なのに、ただ見ているだけだった。何故あの時、動こうとは思えなかったのか、今となっては不思議で仕方がない。
「そうだ。そろそろ、貰ったゼリーを食べようか」
「うん!」
エンティーは笑顔で頷く。
シャングアは自分自身の変化について、一つ仮説を立てている。
エンティーが髪を濡らしたまま噴水のあるあの場所に来た時、自分は彼に対して初めて奇蹟を使った。奇蹟を使用したのは、6年振りだった。ずっと眠らされたままだった神力が体内を巡り、使用された。それによって、自分に変化が起きた。なぜ6年もの間、奇蹟を使用していないのか、その理由が分からず、思い返そうにも霧が掛かっている。
今までの自分はどんな生活を送っていたのか、従属のヴァンジュと家族に聞かなければならない。シャングアは静かにそう思う。
昨日からエンティーの香りにシャングアは悩まされていた。
フェルエンデの言っていた通り、眠っていたαとしての本能が活性化し、シャングアを悩ませている。
集合フェロモンを嗅いだ蜂のように、エンティーに惹き寄せられる。甘くそれでいて控えめだが、印象に残り、離れ難い香りが彼から漂っている。理性を強く保たなければ、抱き寄せ、ずっと嗅いでしまいそうだ。
これがΩの媚香。発情期を迎えれば、さらに強烈になるなんて想像がつかない。
蜜を吸うように、最も香る場所に歯を立てたいとシャングアの中で本能が騒ぐ。今まで平気だったのか疑問が浮かぶほどに、喉が渇く様に欲している。
抑制剤によって、溢れ出さないよう蓋がされているが、それでも誘惑はついて回って来る。
貴族達の噂を解消させる為に、共に過ごすのは危険だとシャングアは思っているが、同時にΩの媚香に慣れ、理性を保つ訓練としては絶好の機会だ。
今後来るであろうΩ達を退ける為の耐性を付けなければならない。
何よりも、エンティーを守る為にもここで逃げては元も子もない。
「あのさ、シャングア」
ふとエンティーが声を掛ける。
先程からシャングアが、天井から吊るされたイルカの骨を見つめている。どこか書類を読んでいる時の表情と似ているようにエンティーは思えた。
「あっ、ごめん。どうしたの?」
我に返ったシャングアはエンティーの方を向き、問いかける。
「ぼーっとしているから、どうしたのかと思って」
「久々に来たから、懐かしくなって少し思い出していただけだよ」
何かを見て気を紛らそうとしていたシャングアは誤魔化す。
αの本能が活性化されたからなのか、エンティーの顔や動きが美化されているようにシャングアは見えていた。丸みを帯びた目を飾るまつ毛や、頬や唇の赤み、白磁のように美しい肌。元々エンティーは可愛らしい顔立ちだと思っているが、更に輝きが増しているようだ。
シャングアは、自分自身がとても気持ち悪く思ってしまう。
「そうなんだ。一年ぶり位?」
書類が気になっていたわけではないのか、とエンティーは思う。
「うん。それ位かな。17歳くらいから、公務の手伝いを始めたから結構忙しくなって……部屋は隣だけれど、自然と足が遠のいたんだ」
部屋は掃除が行き届き、埃臭さは一切ない。棚や置かれている収集品には埃は積もっておらず、虫食いなどの損傷もない。合い鍵を持っているヴァンジュが、再びシャングアが訪れる事を見越して、定期的に掃除してくれていたようだ。
「疲れていると、好きなが楽しめなくなる時があるよね。俺も、なんとなく分かるよ」
過度な労働と周囲からの暴言によって心身が疲れ果て、寝台から出られなかった休日を思い出し、エンティーは同意する。
「そういえば、エンティーは何か趣味や、好きなものはあるの?」
「あれ。言ったことなかった?」
思わぬ質問にエンティーは驚くが、シャングアは頷いた。
「うん。僕が聞かなかったのもあるけれど、エンティーはあんまり自分について話したことが無いよ」
「そんなはず……」
エンティーは言いかけるが、思い当たる節は確かにあった。
「多分……シャングアは皇族の立場があるから、親しくなり過ぎたら迷惑だと思って、言わなかったんだ。それが当たり前になって、自分でも気づかなくなったんだと思う」
それが当然となっていたエンティーは思い返しながら応える。
「だったら、今から少しずつでも良いから教えてもらえないかな?」
「うん。そうだね」
エンティーは素直に頷く。
「えーと……好きなものは、肉と甘いお菓子。特に豚肉が好みで、お菓子はフィナンシェって海外から来たものが好き。嫌いなものは、腐った食べ物」
まずは好きな食べ物についてエンティーは言う。
「腐っていなければ、大抵は食べられるの?」
「うん。酸っぱ過ぎるとか極端なものは駄目だけれど、大体食べられるかな。あ、発酵食品は大丈夫。本当に食べたら腹痛になるって位に、腐っているものが嫌なんだ」
エンティーへ配給されていた食事の中には、ゴミ同然の物があったと以前報告に上がっていた。管理者達へ向けた者だけでなく、誓約を済ませてからようやく動き出した自分に対しても、シャングアは静かに怒りを覚えた。
出会って二週間後には、心配かけないように誤魔化すエンティーの行動に気が付いていた。なのに、ただ見ているだけだった。何故あの時、動こうとは思えなかったのか、今となっては不思議で仕方がない。
「そうだ。そろそろ、貰ったゼリーを食べようか」
「うん!」
エンティーは笑顔で頷く。
シャングアは自分自身の変化について、一つ仮説を立てている。
エンティーが髪を濡らしたまま噴水のあるあの場所に来た時、自分は彼に対して初めて奇蹟を使った。奇蹟を使用したのは、6年振りだった。ずっと眠らされたままだった神力が体内を巡り、使用された。それによって、自分に変化が起きた。なぜ6年もの間、奇蹟を使用していないのか、その理由が分からず、思い返そうにも霧が掛かっている。
今までの自分はどんな生活を送っていたのか、従属のヴァンジュと家族に聞かなければならない。シャングアは静かにそう思う。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
51
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる