白銀の城の俺と僕

片海 鏡

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三章

38話(修正)

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 シャングアが、エンティーの白く細い腕に甘噛みをした。

 子犬が飼い主に甘えて指や手を噛むように、痛みは一切なく、擽ったい程だ。
 小さい頃に寝ぼけて枕を噛んだ経験があるエンティーは、シャングアも似たようなものだと思って我慢しようとしたが、そのこそばゆさに直ぐ限界が来た。

「シ、シャングア。く、くす、ぐったい」

 笑いを堪えつつエンティーはシャングアに声を掛ける。
 その瞬間、ぼんやりとした眼差しであったシャングアは目を見開く。

「ごめん!! 本当にごめん!!」

 すぐさまエンティーから離れ、ベッドから飛び退き座り込むと、顔を両腕で隠したシャングアは謝罪を述べる。月明かりに照らされた顔は真っ赤に染まり、両腕の隙間から見える瞳は揺らぎを見せる。
 その反応に無自覚の行動であると分かったエンティーだが、シャングアの様子に動揺する。

「大丈夫だよ! 別に痛くは無かったし! 笑っちゃいそうだったから、やめて欲しかっただけ!」

 足が回復していないエンティーは何とか体をひねらせ、腕を使い、ベッドの端まで行くとシャングアへ必死に声を掛ける。

「君が大丈夫でも、僕は違うよ。無抵抗な君に、一歩でも間違えば酷い事をしようとしていた!」

 シャングアの悲痛な声に、エンティーは相手への配慮の無さと無知さを痛感する。
 Ωだからと自分自身の事を思うばかりで、シャングアの気持ちに寄り添えていなかった。
 αにはαの苦悩がある。エンティーは学問の講師より、話を聞いていた。
 Ωの媚香によって発情する生態をもつαは、第二の性の中でも心身ともに秀でた能力を持っている。その為、αはΩを自分より下の存在と自動思考し、習慣となっている。欲望を発散し、ぶつけて良い存在だと内在してしまっている。
 機嫌が悪いのも、世の中が自分を評価してくれないのも、全てはΩのせい。皆がそうしている。Ωが媚香をばらまくせいだ。毎日苦しいから、Ωも同じように思いをさせてやる。自分は何も悪くは無い。こんなに毎日を耐えてきたのだから、触っても許される。
 αは強くあるべきであり、弱みを見せてはいけないと社会的な掘り込みや共通認識による重圧。被害者の心情と深刻な影響力に対する想像力の貧困。Ωへの劣等感。自分を拒絶され、否定されたくないと言う恐怖。罪と責任からの逃亡。
 自らの心を防衛するために、様々な加害行為へと依存をする。病だ。
 それらは少しずつ認知され、徐々に精神の治療法が確立され、罪を償う為の活路が出来始めている。

「ごめん……俺は周りの目が気になり過ぎて、君に寄り添えてなかった」

 たとえ加害に溺れなくとも、自分自身に内在する欲求と戦っているαは多い。
 エンティーは、シャングアなら大丈夫だと思い込み、それを見落としてしまっていた。

「君は悪くない。僕は第二の性とちゃんと向き合うのが遅れてしまって……そのせいで、ちゃんと制御できなかった。これは、僕のせいだ」

 落ち着きを取り戻し始めたシャングアはゆっくりと息を吐く。

「でも、俺がいなかったら」
 誓約で騒ぎにならなった。変な噂が流れなかった。宝玉が割れなかった。好きな人と何の障害もなく、番に成れたかもしれない。こんな風に、第二の性が乱れる事もなかったかもしれない。
 平民なんかに同情しなければ。
 エンティーは言いかけた瞬間に、いつも考えない様にしている不安が蓋をこじ開けようとする。

「違う。いつかは、僕自身が向き合うべき問題なんだ。それが今なんだ」

 シャングアはきっぱりと否定をする。

「どうして今なのか、教えてくれる?」

 蓋に石を乗せる様に落ち着けと自信に言い聞かせながら、エンティーはシャングアに問いかける。

「うん……フェル兄さんの話を聞く限りだと、宝玉は生成され始めた頃は割れやすいんだ。割れる度に神力の巡りが活発化して、第二の性が色濃く出始めるんだ。僕は、今回が初めてで……それまでは、Ωに対して欲望を抱く様なことは無かったんだ」

 シャングアは額にある割れた宝玉に触れる。新しいガーゼ越しに、指先に不規則な凹凸の感触がある。

「兄さんからも忠告を受けて、最悪な事態にならないようにα用の抑制剤は飲んでいるんだ。でも、無意識にエンティーに触ろうとした……本当に、ごめん」

 診療室から二人が出たのは、αの性について話していたからなのか、とエンティーは納得をする。しかし、抑制剤を飲んだのであれば、抑えが効くはずだ。禁止薬物の混入によって副作用が強すぎていた以前の抑制剤ですら、エンティーの発情期を抑え、媚香の放出は最小限に留まっていた。

「僕と処方された薬の相性が悪かったのかもしれない」
「そんなに状態が深刻なの?」
「……深刻までにはいかないけど、変化が大きくて上手く対応できていない感じがする。エンティーの傍にいる事で、今まで逃げていたΩに対する耐性を作る絶好の機会だと思ったんだけど……こんな結果になってしまった」

 シャングアは大きくため息を着き、項垂れる。

「ごめん。それ、俺のせいだと思う」

 エンティーは思い当たる節があり、好意に胡坐をかいてしまったと責任を感じる。

「? どうして?」
「発情期が遅れているんだ。念の為に抑制剤を飲んでいるけれど、媚香が少し出ているらしいんだ」

 媚香は、一定の放出量と濃度がなければ発情には至らない。媚香には、相手を誘い出すための空気中に散布される濃度の薄いモノと、Ωの体付近でしか嗅げない発情を誘発させる濃いモノの二種が存在する。まるで罠のように、二種が放出される状態が発情期だ。現時点のエンティーは散布型の物が微量分泌されている。通常ならばαであっても香ると認識する位で体への影響はない程度だ。しかし今の不安定なシャングアの状態であれば、何かが起こっても不思議ではない。

「そうなの? はじめての見合いでそれを嗅いで、あまりの臭さに逃げた事はあるけれど……これが、媚香なのか……」
「え? 臭い??」

 神妙な表情のシャングアの話に、エンティーは内心首を傾げる。
 Ωの媚香はαとβを発情させるとは聞いているが、具体的な香りや臭さについては明言されていない。大小問わず体が反応する事を〈臭い〉〈匂う〉と表現する場合はあるが、シャングアの言い回しは果物等の香りに近い。

「俺の匂いって具体的にどんな感じなの?」
「えっ」

 思わずシャングアはエンティーを見るが、直ぐに視線が逸れてしまう。

「……花みたいな、香りがする」

 膝を抱え恥ずかしそうなシャングアの答えに、エンティーは顔が赤くなるのを感じた。自分から発せられる媚香については気にもならなかったが、シャングアの発した表現がある事実に直結する。
 シャングアから香ると思っていた匂いは、風呂や香油のようなものではなく、αの媚香である。
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