白銀の城の俺と僕

片海 鏡

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四章

45話

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 2日後。走れるまで回復したエンティーは聖皇バルガディンに挨拶をしたのち、フェルエンデの元へテンテネと共に訪れる。
 発情期が一向に訪れないのが気になったからだ。

「発情期は一週間前後のズレがあるのは、知られている。でも、エンティーさんは予定日から10日以上経っても、来ないのか」

 背もたれの付いた医者用の診察椅子に座るフェルエンデは、テンテネが製作したカルテを指でなぞりつつ話す。

「体調はどんな感じ? 常に怠かったり、意欲が湧かなかったり、ちょっとした事で苛立ちや息苦しさを感じるようなことは無かった?」

 正面の患者用診察椅子に座るエンティーにフェルエンデは問いかける。エンティーの手には、神力の循環を診る水晶の様に透明な宝玉がある。宝玉の中には、金色の流れが生まれ、ゆっくりと川の流れを作り出している。

「特に何も……走れるようになったし、機織りを2時間くらい続けても平気でした。イライラも無いし、息苦しい時はないです」

 エンティーは昨日機織りを再開したが、特に問題なく手は動き、集中することが出来た。窓を開けていたが、鳥のさえずり、従属達の会話や物音がしても苛立つ事は無く、普段通り生活を営んでいた。

「うん。そうか。それじゃ、発情期になった際に自分の体に起きる状態を教えてもらえるかな? 今の状態と比べさせてほしい」

「えーと……体中の血のめぐりが激しくなり、視界がぐにゃぐにゃに歪みます。頭が真っ白になっているけれどいろんな色が見えて、動けなくなるけれど何か溢れ出すほど湧き上がって、矛盾した状態が続きます。意識が戻った時には3日くらい経っていた事もありました」

 フェルエンデは話を聞き、言葉を失う。エンティーは訳が分からず、内心首を傾げる。

「ちなみにその時って、抑制剤飲んでる?」
「はい。2か月くらい前に、予定の一週間前に発情期が来て飲むのが遅れた事がありますが、媚香が巻き散らかしてしまうので、数日前から必ず服用しています」

 エンティーはΩだと判明してから、管理者に規則であり破ってはならないと言い聞かされていた。

「……それ、薬物の中毒症状だよ。飛んでる状態」

「飛んでる?!」

 エンティーは心底驚き、フェルエンデはため息を着く。

「テンテネ。なんでこの事を報告……いや、どうして聞かなかったのか教えて欲しい」
「す、すいません。エンティーさんの体は外傷や痩せている以外、中毒者に見られる症状が無かったので、大丈夫だと思い聞きませんでした」

 エンティーの傍らに立つテンテネは、申し訳なさそうに答える。
 それを聞き、前髪を掻き上げながらフェルエンデは再びため息を着く。

「うん。確かに、エンティーさんは他の中毒者に比べて、容態は安定している。でも、長期に渡り服薬していたんだから、ちゃんと聞いておく必要はあった。思い込みでの診断は駄目」
「はい……」
「まぁ、今回の禁止薬物について、歴史が古すぎて資料があまり残っていなかった。具体的な症状について明るみになり始めたばかりで、俺達の対応が間に合っていないのも事実だ。エンティーさんも知る良い機会だ。今回のお咎めは無しにしておこう。今後は気を付けるように」
「はい! 気を付けます!」

 テンテネは何度も大きく頷く。

「さて、エンティーさんには今回の中毒症状について話をしておこう。トゥルーザさんから聞いた話とはまた別だ。抑制剤に混入していた禁止薬物が、治療の問題になっている。」

 医者として言う必要があるので、兄センテルシュアーデからの口止めをフェルエンデは無視をする。

「初代聖皇の時代に禁じられた薬物は、強い依存性がある。特に患者に起こっているのは、幻覚によるサイケデリック体験による妄想だな。服用した人は、変性意識状態と呼ばれる一時的な幻覚を見ている状態に陥る。サイケデリック体験は、その時に見るのは高次の超越的な状態を指す」
「超越的……?」
「治療中のΩ達の証言をまとめると、視覚的に美しい色彩や変幻が現れ、物が歪んで見えたり、空に虹がかかったり……肯定的な気分に浸り、時空の超越するような表現が不可能な、神聖で神秘的な、あるいは深遠な体験をしたそうだ。中には、肉体から精神が離脱する感覚を強く生じさせる。不安感は減少に伴い幸福感や一体感が上昇するらしい」

 差別と暴力を受け、現実に逃げ場のないΩが薬物に依存しているのが容易に想像出来る。

「副作用としては、不安や吐き気、嘔吐、心拍や血圧の上昇が起こる。薬の効果が切れて、苦しくなると楽になりたくて更に服用するって悪循環が生まれる」

 エンティーの従属を務めるリュクの聴取と、彼自身の発言から服用中に起きた幻覚と思しき症状は見受けられる。しかし、エンティーは至って正常。外見的な変化は一切なく、日々の生活を送っている。

「そんな危ないものを、どうして神殿が作ったのでしょうか……」

 居住区では、Ωは抑制剤を服用すると部屋に閉じこもる決まりだった。抑制剤が効かなかった場合に備え、αやβからの被害から身を守る為だ。それが当然であり、どんな症状が起きても我慢していたエンティーだが、その薬の恐ろしさに血の気が引いてしまう。

「もともとは、痛みを和らげ治療を促進させる薬だったらしい。幻覚が悪いと言うより、今回の禁止薬物が強力過ぎて駄目だったんだ」

 外界の一部の心理学者達によってサイケデリック体験の治療法は検討され、実験されていた記録を読み、フェルエンデ自身は完全に悪と判断するべきではないと考えている。神殿は外科と内科の知識は積み重ねていても、精神病や心理療法についてはまだまだ弱い。手段の一つとして、研究する価値は充分にあるとも思っている。しかし、現状ではかなり難しく、今回の薬物は有害性が高く治療法なんて考える余地が無い程に危険だ。

「エンティーさんは、以前の抑制剤を飲みたいとは思った事は無い?」
「いいえ! 前々からリュクや同僚に危険だって言われていましたし、気づいたら三日後なんて怖い薬はもう二度と飲みたくないです!」

 エンティーはきっぱりと応える。

「だったら良い。薬に関して何か思う事があったら、テンテネにすぐ相談してくれ」
「わかりました!」

 エンティーは大きく頷く。

「それで、発情期の話に戻るが、こっちの症状は先ほどの中毒とは全くの別物だ」

 フェルエンデはカルテを机に置き、改めて言う。

「媚香の大量放出。体温の上昇と脈拍増大に伴い、運動能力の向上。発情によって生殖細胞の活性化に、行為への意欲増大。求愛行動への欲求増大。媚香同士の同調。胸がどきどきして、身体が熱くなって、相手に触って欲しい、触りたい、傍に居たいって思い、αが一緒なら互いに好き好き言う感じ」

 どう説明すれば良いのかと内心思いながら話したフェルエンデだが、予想外にエンティーは顔を赤くした。
 ここ最近のシャングアに対する行動。傍にいたいと強く想い、隣にいるとふわふわとした気持ちになり、抱きしめてもらえると体が熱くなったように思えた。

 つまりは、そういう事だ。

「……うん。多分、エンティーさんは今回の発情期は正常に終っているな。抑制剤ありきでも、本人が無自覚なほど相当穏やかなタイプだったか……俺も気付かなかった」

 全盲の為何も見えないフェルエンデはあるが、急に黙り込んでしまったエンティーに対してある程度察した。
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