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第三章 冒険者になろう

50.第三人格

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「チョココロネ、チョココロネ……。俺はこんなものに負けたのか?こんな何の変哲もないパンの方が俺より役に立つっていうのか?」

 ガジュはチョココロネを眺め、落胆する。ここ数日で何個もこれを食したが、別に何てことない普通のチョココロネだ。味だけは間違いなく世界一美味いと言えるが、逆に言えばそれ以外何もないはずである。

 そんなガジュを他所に、背後ではキュキュが正気を取り戻していた。案の定記憶はないのだろうが、彼女の茶色い髪はサンドワームの血液で緑に染まり、走ってきた道には無数のサンドワームの死体が転がっている。誰がどう見ても暴れたのは自分。その事を痛感し、キュキュは地に頭を擦り付けていく。

「すみませんすみません……。私、また何かやらかしたんでしょうか。」
「まぁ端的にいうとそうだな。前にアルカトラで発現してた奴とは別の人格が出てた。ただ安心しろ。ユン含め誰にも危害は加えてないし、魔物を虐殺しただけだ。あ、俺の右拳だけはお前のせいだな。」
「ひぃ!すみません、すみませんすみません!」

 キュキュが一番気にするのは「他人に迷惑をかけたか否か」。それを知っているからこそ、ガジュはユンの安否などを話題に挙げたが、よく考えればそれを言っている自分が血だらけだ。ガジュの右拳を見てキュキュは更に更に頭を地面に擦りつけ、砂塵が舞う。

「で、今回は一体何が原因で暴れたんだ。ユンと一緒なら前回みたいに甘やかされてーーみたいなこともないだろ。あいつは無意味に人を褒めるような優しい人間じゃない。」
「そ、そんなことはないと思います……。ユンさんは、ユンさんは良い人です!」
「ん?なんだどうした。二人ってそんなに仲良かったか?なんならユンは亜人に厳しいイメージがあったが。」
「それはそうなんですけど……あの、そのとにかく良い人なんです!」
「お、おう。なんか随分とペラペラ喋るな。大丈夫だろうな、お前本当にノーマルキュキュか?」

 そんな不安を抱いてしまうほどに目の前のキュキュは普段と違う。暴れ回っている時のように瞳の色などの外見的変化はないが、常に斜め下を向いている顔面が珍しく上を向いているし、驚くべきことに彼女は今の会話の中で一度も謝罪の言葉を発していない。

「その……ユンさんに言われたんです。我儘に生きろって。そ、その言葉を聞いて、もう少し皆さんのお役に立とうと思いまして。も、勿論!私がどうしようもないゴミカスなのは事実です!そこは揺るぎません!ただ……ゴミカスでもユンさんを守るぐらいは出来るかと思ったんです……。」
「そう思っていたが、ユンが喰われたことでパニックになり、第三人格が出現した。ってとこか?」
「お、覚えていないのでわかりませんが……。前後の記憶からして、そ、そうだと思います。」

 キュキュの心にようやく芽生えた自己肯定感と、それに矛盾するかのように発生したユンの捕食。戦い慣れた冒険者であればその程度で動揺はせず、ユンを救い出す方法を考えるだろうが、檻から出たばかりのキュキュではそこまで至らなかったのであろう。
 だが、ガジュにとってキュキュの話は吉報ともいえるものだった。

「そういう話なら割と気楽だな。無力感がトリガーで現れる人格なら、これから先戦闘に慣れていけば出現機会も減るだろ。褒められたら発動の第二人格よりはだいぶマシだ。あのスキルなら最悪どうにかなりそうだしな。」

 キュキュ単体の破壊力で言えば第三人格の【凶化】の方に軍配が上がるだろうが、危険性で言えば第二人格がダントツだ。
 まず発動条件が恐ろしい。褒められると現れる、つまりそこら辺の好色男にナンパされた程度でも簡単に発動しかねないということだ。加えてスキルの【狂化】も危険極まりない。【強化】の恩恵を受けて戦っている最中に人格が変われば、アルカトラでのガジュのように容易く体の自由を奪われる。

 警戒すべきは間違いなく第二人格であろう。

「まぁとにかく正気を取り戻したなら俺達も早くイリシテアに向かおう。今頃ユンとクルトが二人で頑張ってるだろうからな。」
「は、はい!」

 『秩序と混沌の鬼ごっこ作戦』はまだ終わっていない。イリシテアに魔物をけしかけ、バーゼを何とか引き摺り出す。シャルル奪還の為にはまずこれを達成しなければならないのである。ガジュ達がそれを確かめながら歩き出すと、二人の前に見慣れた着ぐるみが現れる。

「ガジュガジュキュキュキュキュ!!!早く、早く来てくれ!今度は、今度はユンがぁ!」
「はぁ?何だ、あいつまで暴れ始めたのか?もしそうなら俺はいい加減にキレるぞ。」
「違う!吾輩達がゴブリンと共にイリシテアに着いたら、バーゼと一緒にシャルルが現れたんだ!そしてユンが【投獄】でどこかに飛ばされた!」

 考えうる限り最悪の事態。浅はかな作戦にはこういう事態が付き物だ。
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