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夏
波が消えない。
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チャプン、と湯に浸かって私は膝を抱えた。
波立った水面が徐々に沈まる様を眺めて待つ。
私の中に起こったこの波も、同じように静かにおさまってくれればいいのに。
少しもじっとしてくれず、いつまでも荒ぶる波を抱えて、私は途方にくれた。
あのケトルピーラットのカフェでの出来事があってから、頭の中は常に彼のことでいっぱいだ。
他のことを考えようとしても、気づけば彼で埋めつくされてしまっている。
今まで抱いていた幼い恋心が、いかに生温かったのか、今ならわかる。
大体、アマンド様はずるい。
あんなことをされたら、私が彼にとって特別なんじゃないかと思ってしまう。
『可愛がるのはこの子だけって決めてるんだ」
また思い出してしまって、パシャッと顔を洗う。
婚約者だから気を遣って、そんなことを言ってくれたの?
もうメイベルへの気持ちは諦めたから、だから、歩み寄ろうとしてくれているの?
波間にたゆたうオレンジ色の髪のように、私の考えもまとまることなくゆらゆらと揺れていた。
「キーラ、できたわ。どう?」
「素晴らしい出来ですお嬢様!ちゃんとケトルピーラットだとわかります。」
「よかった」
早速刺繍バッジに取り掛かり、私は普通のケトルピーラットの顔と、頬袋を膨らませた顔の2種類を作成した。
「どっちも可愛くて、これはどちらにしようか迷いますね…」
「裏表にするのもありかしら?」
「あ、それいいですね!」
「そしたらピンの位置をどこにすれば良いか考えないとね…」
両方見えるようにするなら、ピンはバッジには直接縫い付けずに紐に引っ掛ける形にした方がいいかもしれない。
そう思案していると、フフッとキーラが笑う。
「アマンド様のお陰ですね」
「…キーラ、唐突に何?」
「ほら、買って頂いたぬいぐるみ、とても参考になったじゃないですか。」
キーラは出窓に視線を向けた。
そこにはケトルピーラットのぬいぐるみが座っている。
こないだの帰り際、カフェの物販コーナーにあった、ケトルピーラットのぬいぐるみの前で、アマンド様が足を止めた。
色も柄も様々な布キレを組み合わせて作ったような、不思議なケトピの人形は実物大くらいの大きさで、短い手足を前に突き出してお座りしている。
店員さんが、チャリティーの一環で、端切れ布を使って孤児院の娘たちが作った一点物だと説明していた。
何個かあったが、アマンド様はニンジンちゃんに似た、オレンジの布が多めのぬいぐるみを購入し、私にくれた。
出窓に置かれた、そのぬいぐるみがにっこり微笑んでいる。
可愛いけど。
確かに、可愛いけど。
私がこれで喜ぶと思われているということは、アマンド様に子供扱いされているようで。
実際に、すごく喜んでしまっているんだけど。
「いつになったら…」
「え?何ですか?」
「ううん、こっちの話」
いつになったら、彼は私を女性としてみてくれるのだろう。
3歳差で、私より早く大人になったアマンド様。
私がデビュタントを終えて成人してからというもの、これといった社交の場に共だって出たことはない。
一緒に夜会に行くこともなければ、彼の婚約者だと、誰かに挨拶する機会もなかった。
仕事が忙しいだろうと、私も彼を誘うことはしなかった。
友人が、夜会を機にパートナーとしてお互い意識するようになった、なんて話をしていたのを思い出す。
一度くらい、一緒に出ていれば、少しはこの関係も変わっていたのかもしれない。
詰めていた息を吐く。
今更だ。
私はメイベルに婚約の解消を約束した。
私が恋したところで、アマンド様の本当の想い人は私じゃない。
恋を自覚した時点で、もう終わりは見えている。
足掻いたって、無駄だもの。
そう何度も心で呟くのに、波は全然消えなくて。
没頭したくて再開したその後の刺繍は、何度も針を刺し間違えてキーラに冷やかされたのだった。
波立った水面が徐々に沈まる様を眺めて待つ。
私の中に起こったこの波も、同じように静かにおさまってくれればいいのに。
少しもじっとしてくれず、いつまでも荒ぶる波を抱えて、私は途方にくれた。
あのケトルピーラットのカフェでの出来事があってから、頭の中は常に彼のことでいっぱいだ。
他のことを考えようとしても、気づけば彼で埋めつくされてしまっている。
今まで抱いていた幼い恋心が、いかに生温かったのか、今ならわかる。
大体、アマンド様はずるい。
あんなことをされたら、私が彼にとって特別なんじゃないかと思ってしまう。
『可愛がるのはこの子だけって決めてるんだ」
また思い出してしまって、パシャッと顔を洗う。
婚約者だから気を遣って、そんなことを言ってくれたの?
もうメイベルへの気持ちは諦めたから、だから、歩み寄ろうとしてくれているの?
波間にたゆたうオレンジ色の髪のように、私の考えもまとまることなくゆらゆらと揺れていた。
「キーラ、できたわ。どう?」
「素晴らしい出来ですお嬢様!ちゃんとケトルピーラットだとわかります。」
「よかった」
早速刺繍バッジに取り掛かり、私は普通のケトルピーラットの顔と、頬袋を膨らませた顔の2種類を作成した。
「どっちも可愛くて、これはどちらにしようか迷いますね…」
「裏表にするのもありかしら?」
「あ、それいいですね!」
「そしたらピンの位置をどこにすれば良いか考えないとね…」
両方見えるようにするなら、ピンはバッジには直接縫い付けずに紐に引っ掛ける形にした方がいいかもしれない。
そう思案していると、フフッとキーラが笑う。
「アマンド様のお陰ですね」
「…キーラ、唐突に何?」
「ほら、買って頂いたぬいぐるみ、とても参考になったじゃないですか。」
キーラは出窓に視線を向けた。
そこにはケトルピーラットのぬいぐるみが座っている。
こないだの帰り際、カフェの物販コーナーにあった、ケトルピーラットのぬいぐるみの前で、アマンド様が足を止めた。
色も柄も様々な布キレを組み合わせて作ったような、不思議なケトピの人形は実物大くらいの大きさで、短い手足を前に突き出してお座りしている。
店員さんが、チャリティーの一環で、端切れ布を使って孤児院の娘たちが作った一点物だと説明していた。
何個かあったが、アマンド様はニンジンちゃんに似た、オレンジの布が多めのぬいぐるみを購入し、私にくれた。
出窓に置かれた、そのぬいぐるみがにっこり微笑んでいる。
可愛いけど。
確かに、可愛いけど。
私がこれで喜ぶと思われているということは、アマンド様に子供扱いされているようで。
実際に、すごく喜んでしまっているんだけど。
「いつになったら…」
「え?何ですか?」
「ううん、こっちの話」
いつになったら、彼は私を女性としてみてくれるのだろう。
3歳差で、私より早く大人になったアマンド様。
私がデビュタントを終えて成人してからというもの、これといった社交の場に共だって出たことはない。
一緒に夜会に行くこともなければ、彼の婚約者だと、誰かに挨拶する機会もなかった。
仕事が忙しいだろうと、私も彼を誘うことはしなかった。
友人が、夜会を機にパートナーとしてお互い意識するようになった、なんて話をしていたのを思い出す。
一度くらい、一緒に出ていれば、少しはこの関係も変わっていたのかもしれない。
詰めていた息を吐く。
今更だ。
私はメイベルに婚約の解消を約束した。
私が恋したところで、アマンド様の本当の想い人は私じゃない。
恋を自覚した時点で、もう終わりは見えている。
足掻いたって、無駄だもの。
そう何度も心で呟くのに、波は全然消えなくて。
没頭したくて再開したその後の刺繍は、何度も針を刺し間違えてキーラに冷やかされたのだった。
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