ソレイユ ~いつか降り注ぐ陽射しの下で~

オフィス景

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アイドルの休日の過ごし方

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「うわあああっ!」

 自分の叫び声で修平は目を覚ました。

 かつてない不快な目覚め。身体中びっしょりと寝汗をかいて、気持ち悪いことこの上ない。

「…なんちゅう夢だ……」

 忌々しげに呟き、頭を振った瞬間、異様な痛みが修平の頭を貫いた。

「――」

 あまりの痛みに声も出せない。

 歯を食いしばって、痛みが消えるのを待つ。

 ややあって痛みは落ち着いたが、少しでも動けばすぐにでもぶりかえしてくる。

 衝撃を与えぬようそーっと寝っ転がり、修平は天井を見上げた。

 飲み過ぎだよな、明らかに……

 昨日はどれだけ飲んだのだろう。記憶はないが、散乱する瓶や缶の数を見れば、自分の限界を遥かに超えたことだけは確かなようである。

 飲み過ぎの理由ははっきりしていた。幸織によって持ちこまれた、香織の結婚話である。

 そんなつもりはなかったんだけど、どこかで期待してたんだな。もしかしたら戻れるかもしれないって。

 でなければ、ここまでショックを受けることはないだろう。

 女々しいよな、俺も……

 自嘲する。

 戻ることはない。関わることはないと言いながら、よりを戻せるかもしれないと期待していた。

 まったくお笑い種である。

 だが、考えようによってはこれでよかったのだろう。

 もうこれで思い残すことはないもんな。

 唯一残っていた自分と紫聖殿をつなぐ糸が切れた。もうこれで本当に紫聖殿と関わることはないだろう。

 二十年近くを過ごした場所である。感傷がまったくないわけではない。

 ただ、感傷よりも安堵の方が大きかった。

 もうああなることはないんだ。後は普通に暮らしていけばいい。世の中を甘く見ているわけではないが、あの時の辛さを思えば、大概のことには耐えられるはずである。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 誰とも会う気分でなく、起きるのも億劫だった修平はそのまま放っておいた。

「――お兄ちゃん、いますか?」

 遠慮がちに声をかけながら現れたのは、幸織だった。だぼっとしたストリート系のファッションに、大きな買物袋を提げている。

「うわ」

 部屋に充満するアルコールの臭いに、幸織は大仰に顔をしかめた。

「お酒くさーい!」

 乱暴な足取りで部屋に踏み入った幸織は、カーテンと窓を開け放ち、新鮮な空気を部屋の中に取り入れた。

「もう、こんな中にいたらアル中になっちゃうよ」

「…幸織…頼むから、大きな声出さないでくれ……」

 今にも死にそうな声で修平は言った。

 実際、今の修平にとって幸織の声は凶器以外の何物でもなかった。

「きっと飲み過ぎてるだろうなって思えば、案の定だったわ。ほら、お水飲んでしゃきっとして!」

 冷たい水を満たしたコップを渡され、修平はそれを一気に飲み干した。完全にとはいかないが、少しはすっきりした。

「サンキュ」

「何か食べれそう?」

「う――」

 食べることを想像しただけで吐き気がこみ上げてくる。

 修平の駄目っぷりに幸織は苦笑した。

「辛いかもしれないけど、何か食べなきゃ駄目よ。今二日酔いに効くスープ作ってあげるから、ちゃんと食べてね」

「い、いいよ、無理だよ」

「ダーメ。そんなお兄ちゃん見たくないもん」

「だったら放っといてくれ」

「そういうわけにいかないでしょ」

「天下のアイドルがこんなとこ見られたらえらいことするぞ」

「それでどうにかなっちゃうようなら、アイドルなんて辞めるわよ」

 幸織はあっさり言った。

「何無茶苦茶言ってんだ」

「あたしは本気よ。お兄ちゃんの方がずっと大事だもん」

 真剣な目で修平を見つめる。が、すぐに勝ち誇ったように笑う。

「って言うより、こんなダメダメなお兄ちゃん、滅多に見れないしね」

「う……」

「自分で言うのもなんだけど、アイドルに介抱してもらえるなんてもうないと思うよ。せっかくだから楽しめば」

「楽しめって言われてもなあ……」

 我が身が情けない。だが、今の状態では逆らう気力もない。ということで、修平は幸織の好意を受けることにした。

 エプロンをつけた幸織は、楽しそうに台所に立った。鼻歌など歌いながら作業を進める。じきに美味そうな匂いが修平のところまで届いてきた。

「今日は休みなのか?」

 軽快に動き回る後ろ姿を見ながら、修平は訊いた。

「うん。半年ぶりの休み」

「いいのかよ、貴重な休みをこんなことに使っちまって」

「そう思ったら、次の休みの時に埋め合わせしてくれる?」

「埋め合わせって?」

「デートしよ」

「デートぉ!?」

 修平は素っ頓狂な声をあげ、頭の痛みにのたうちまわった。

「この様子じゃどうせデートする相手もいないんでしょ。ボランティアしてあげるよ」

「余計なお世話だ」

 憮然として答える。

「おまえだって似たようなもんだろうが」

「あたしは作らないだけだもん。その気になれば一人や二人の彼氏くらい」

「そりゃあたいしたもんだ。いいのができたら紹介してくれや」

「む」

 幸織はぷっと頬をふくらませた。

「なによお。お兄ちゃんはあたしが恋人作ってもいいの?」

「何で俺が反対するって思うんだ?」

「普通は妹に彼氏ができるって聞いたら反対するでしょ」

「それは親父だよ。兄貴は反対はしないだろ。どっちかと言えば、応援するんじゃないか?」

 修平は笑った。

「いいの! 反対して欲しいの!!」

「なんだ、そりゃ?」

「だって、反対されて駄目になったら責任取ってもらえるでしょ」

「俺にどんな責任とらせようって言うんだ?」

「責任って言ったら責任よ」

 なぜか幸織は胸を張った。

「お嫁にもらってもらうに決まってるじゃない」

「バーカ。何くだらねえこと言ってんだ」

 冷めきった口調で修平は言った。まともに取り合う気はないらしい。

「くだらなくないもん。あたし本気だよ」

「はいはい」

「むー!」

 怒った幸織は修平の腕を掴んで揺さぶった。この振動は結構な拷問である。

「うわ、バカ、よせ、やめろってば」

 悲鳴を上げる修平だが、頭に血が昇っている幸織は攻撃の手を緩めない。

「お嫁さんにしてくれるって言うまで許さない」

 もう無茶苦茶である。

「わかった! わかったからやめろ!!」

 動きを止めた幸織が修平を睨む。

「お嫁さんにしてくれる?」

「わかったよ」

 ぐったりした修平は投げやりに答えた。

「じゃあ約束。ゆーびきーりげーんまーん、うーそついたらはーりせんぼんのーます。ゆーびきったっ」

 されるがままの修平と強引に約束を交わす。

「はい、婚約成立」

 にっこり微笑む。天使の微笑と言うにふさわしい笑顔だったが、修平にそれを観賞する余裕はなかった。

 ぐったりしていた修平の鼻が、危険な臭いを捉えた。

「おい、なんか焦げ臭くねえか?」

「え?」

 幸織が顔色を変える。

 臭いの発生源は台所。コンロにかけた鍋であった。

「きゃああああーっ!」

 けたたましい悲鳴を上げて、幸織がダッシュする。

 その後ろ姿を見て、修平は苦笑する。

 どこまで本気か知らんが、まだまだお子ちゃまだよな。
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