君と紡ぐ物語

桜糀いろは

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第5話 - 1

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「京也さん。これは一体……」
 文音は目を凝らすようにして、カウンターの上に積み上げられた文庫本の背表紙を見ていった。
(小説が二十冊……。しかもこれって……)
 隣に座っている人物に文音はそっと視線を移す。
「ああ、官能小説だ。意図あって、男女の恋愛ものに絞ってある。ほとんどが女性向けのものだが、女性でも読めそうな男性向けも用意しておいた。好みの問題が大いにあるだろうからな、気に入ったものだけ読め。もし、気に入るものがなければ、文音が読みたいと思うものを買ってこい。勿論、金は俺が出す。いや……むしろ、そこからやるべきだったか」
 京也がニヤリと笑う。文音は咄嗟に口を動かした。
「えっと、それで、これはどういう意図があって、わたしの席に置いてあるのでしょうか?」
「そうだな、ひとまず先に進むか。いいか、これから真面目な話をするからな。よく聞けよ」
 そう言って京也は、本当に真面目な顔をしてから口を開いた。
「セックスの質は、高度なコミュニケーションが取れるかどうかで変わる。質の良いセックスをしたいのなら、頭を使う必要がある。ちなみに、頭を使うといっても、テクニックを駆使するということではない。お互いに信頼を築きながら、思いやりを持ってするということだ。むしろ、それが出来ていないと、いくらテクニックを使ったところで、深い満足感は得られない」
 不意に文音は京也から視線を外し、唇を軽く噛んだ。
「どうした?」
「あ……ちょっと、胸にぐさりと刺さるものがあって……」
 苦々しい笑みを浮かべて文音は答えた。すると京也が、まるでその痛みを感じたかのような表情をしてきたのだった。文音は慌てて言葉を足す。
「あの、傷ついたとかいうわけじゃなくて、その、反省したというか……。なので、気にせず続けてください。お願いします」
「分かった」
 京也はそう返事をした後、文音の頭を撫でながら額にキスをする。文音の頬がほんのりと赤く色づき、京也が笑みを零す。
「基本はよく理解したということで続ける。それでだ。そうは言っても、文音には痛みと、それに対する恐怖が起こる。ああ、そうだ。念の為、聞くが、病院で検査しても特に異常はなかったんだろ?」
「はい……」
「それなら、精神的なものか身体的機能の問題が考えられる。その二つに対し、根本的なところ、つまり文音の意識と習慣を変えてみることから試してみようと思う。信じられないかもしれないが、その二つを変えるだけで解決することは多い。もしそれでも駄目だった場合、医療的な手を考える」
「わかりました」
「で、やっとここで、そこにある官能小説に至る。ひとまず、文音のセックス=痛くて怖いものという認識を、セックス=本当は気持ちの良いもの、に変えたい。もちろん、文音にとって、そう簡単なことではないことは分かっている。それでも、何とかして、そう思い込ませるところまで持っていきたい。なぜなら、人間の脳は、思い込みから病気になったり、健康にもなったりする。思い込みの力というのは侮れないんだ。というわけでだ。その認識を変える方法として、官能小説を読んでもらう。フィクションではあるものの、小説はイメージトレーニングに最適だからな」
「わ、わかりました……」
 相槌を打ちながら、文音は積み上げられた官能小説たちに目を向けた。
「安心しろ。ここで読めとは言わない。まあ、文音がここで読みたいって言うなら、止めはしないがな」
「言いませんっ。お家で読みます」
 文音は顔を赤らめ、くつくつと笑う京也を軽く睨んだ。
「んで、次。それと同時に、文音には身体の機能を整えてもらう」
「は、はい」
 身体という単語から、文音は無意識に肩を強張らせた。
「そう、それだ。文音は真面目すぎるせいか、しょっちゅう身体に力が入っている。何度も言ってるが、リラックスすることを意識しろ。全身がガチガチに固まっていると入るものも入らないからな。それに、普段から身体が緩んでいないと、血行も悪くなって、色々な所に不具合が起きる」
「う……」
(不具合だらけです……)
 そう心の中で呟いた瞬間、それを見透かしたかのように京也が得意気に笑った。
「そして、その上で、筋力を鍛えること。特に、骨盤底筋という筋肉が衰えていると、女性特有の問題が起こりやすくなるようだ。文音は以前、長時間働いては、ずっと座りっぱなしだったんだろ? おそらく、その影響がかなりあるのではないかと、俺は推測している」
「なるほど……」
(京也さん、たった一晩で、そこまで調べてわかったのかな……)
 彼の話は、一年以上前から調べていた自分ですら知らないことだらけだった。いくら知識に自信があったとはいえ、女性の身体のことを、女性以上に詳しく知っている男性なんて、世の中にそう多くはいないはずだ。
(そこだけは、昨日、帰ってから調べたとか? あれ、じゃあ、小説はいつ選んだんだろう? 目的があって用意したくらいなんだから、軽くでも目は通してあるはずだよね)
 京也の顔を、文音はまじまじと見た。
(寝不足って感じはしないし……むしろ、いつもより元気みたい。てことは、もともとその辺のことに詳しかったのかな?)
 文音はふと、積み上げられた文庫本に目を遣った。
(もしかして……、京也さんて――)
「何だ? 何か気になることでもあったか?」
「え……あ、いえ。何もないです」
 文音は咄嗟に笑顔を浮かべ、京也の方を振り向いた。
(大丈夫、怪しんではいるけど、バレてないみたい)
 首を傾げる京也を見て、文音はほっと胸を撫で下ろした。
「そうか。じゃあ、文音立って」
「え?」
 またもや文音は無意識に身構えた。その直後、京也がくっと笑い出す。
「何で、そうやってすぐに緊張するんだよ。大丈夫だ。ほら、手貸せ」
 そう言って京也は、身体ごとこっちを向き、ふっと表情を緩めてから手を差し出してきた。言われた通りに文音は手を乗せる。すると京也は、その手を軽く握り、自身の方へと引っ張ったのだった。文音が席から立ち上がると、彼はすかさず文音の腰にもう一方の手を回した。
「文音。俺の肩に、両手を置け」
 京也の顔を見ながら、文音はこくりと頷く。彼の均整のとれた顔には、もう慣れたと思っていたのに、なぜか初めて言葉を交わした時と同じくらい胸がドキドキしていた。
 京也の肩にそっと触れる。その途端、京也がぐっと腰を抱き寄せてきた。
 と同時に、何かが、足の間へと入り込んでくる。
「ちょ! ちょっと、京也さん! どこ触ってるんですか!」
 文音は慌てて京也から離れようとした。しかし、腰に回された彼の逞しい腕によって阻止される。さらには、彼の足と足の間に身体を挟まれ、文音は一切の身動きが取れなかった。
「どこって、今話してた骨盤底筋だ。文音が分かってなさそうな顔をしてたからな」
「あれは違がっ……」
「何だ、場所、知ってたのか」
「え、あ……、いえ、知らないですけど……って、京也さん! ここ、お店ですよ! お客さん来たらどうするんですか!」
「まだ、店開けてないだろ」
「でも、外から見えちゃ……」
「大丈夫だ。俺で見えない」
 京也が目を細めて顔を覗き込んできた。文音は頬を紅潮させながら唇をきゅっと閉じ、京也の目をじっと見つめた。彼の指先が、ゆっくりと谷間を通るようにして滑っていく。デニムのパンツを穿いていたおかげで、思っていたほどの刺激はなかった。そう文音が安堵した瞬間、京也の指先が敏感な場所を掠めた。
「んっ……もう、京也さん!」
「文音、ここに力、入れられるか?」
「へ? ……ちから?」
 文音は改めて、京也の指先に意識を向けた。
(膣の、入口あたり……だよね)
 そこを京也が軽く圧迫している。ただ、それだけしか分からなかった。
「力を入れるって、どういうことですか?」
 文音が首を傾げると、京也の指先がやや後方へと移った。
「んじゃ、こっち」
「ひぁ……!」
 京也があるポイントを押した途端、文音は声を上げて小さく飛び跳ねた。京也がまた、くつくつと笑う。
「どうだ? 後ろの方はちゃんと出来るか?」
 文音は頬を膨らませて、京也を睨んだ。
「そんなに怒るなよ。文音の為に、分かりやすくしてやったんだぞ。いいか、一番良いのは、どっちも力を入れられるようになることだ。本当なら、もっと事細かに説明しておきたいところだが、情報を一度にたくさん与えすぎるのも良くないからな。とりあえず、今から渡す本を参考にして、毎日欠かさず、ストレッチをすること」
 京也はそう言って、カウンターの下から新たに二冊の本を取り出してきた。
「こっちが身体を緩めるための本。で、こっちが主に下半身の筋力を鍛えるための本な。無理に全部やる必要はない。その代わり、少しでもいいから毎日ちゃんと続けること。ただし、もう一度言っておくが、必ず身体を緩めてから鍛えるんだぞ。いいな」
「はい。わかりました。やってみます」
 文音は返事と一緒に、しっかりとした頷きを返した。そしてすぐに、ちらと時計に目を遣った。
「あのー、そろそろ、ここに積まれた官能小説たちを、ロッカーにしまいにいっても、よろしいでしょうか?」
「ああ。ちゃんと真面目に読むんだぞ。テストするからな」
「て、テスト? って、どんなのですか」
 文音の言葉に、京也は口角を上げて笑んだ。
(あの笑い、ものすごく嫌な予感がする……)
「ほら、事務所のドア開けてやるから、本置いてこいよ」
 京也が答えをはぐらかして席を立つ。文音はますます確信を深めたのだった。
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