君と紡ぐ物語

桜糀いろは

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第9話 - 2

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「ねぇ。この前、話してた子。その後どうなったの?」
 親友の声で我に返る。どうやら俺は、また店の外を眺めていたようだ。
「……何で、そんなこと聞くんだよ」
 再び会えたものの、うっかり見失った。そう正直に言うことが出来ず、はぐらかしの言葉を口にする。しかし、これはこれで上手くいっていないと言っているようなものだ。案の定、親友は状況を察し、含み笑いを浮かべてきたのだった。
「何でって、いつも冷静な奴が、突然、嬉しそうに女の子の話をしてきたのよ。気にならない方がおかしいでしょ。もうさあ、見つけたらすぐに声掛けなさいよ。チャンスを待っている間に、来なくなっちゃったらどうするの」
「声を掛けてだな、それで来なくなったらどうすんだよ」
「んー、次を探す」
「簡単に見つかればいいけどな」
 見つからなかったから慎重になってんだよ。そう言おうとして言葉を呑んだ。そこまで真剣だとは、知られたくなかったからだ。
「じゃあさ、これはどう? 同性の私が先に仲良くなって、この店に連れてくるの」
 楽しげに言う親友を見て、俺は大事なことを忘れていたことに気がついた。
「……却下だ。お前が手を出さないという保証はないからな」
「確かにそうね。私好みの子だったら、うっかり手出しちゃうかも」
「…………」
 今になって、こいつに彼女のことを話してしまったことを後悔した。ライバルになり得るということを、すっかり忘れていた。それ程までに、俺の頭の中は彼女のことでいっぱいだったのだろうか。
 溜め息を吐き、店の外を見る。こんなことをしていても、どうにもならないことは分かっていた。けれど、どうしても他の事をする気にはなれなかったのだ。
「…………ん?」
 思わず目を凝らす。店の前を一人の女性が横切ってくる。
 身体のラインがハッキリと分かる黒のニットのカーディガンとジーンズ。肩にはエコバッグらしきものを掛けていた。
 俺は幻覚を見ているのだろうか。こんな都合の良い偶然が起きるはずがない。
 いや、幻覚なら、わざわざ見たことのないバッグものが見えているわけがない。
 立ち上がろうとした途端、親友の存在を思い出す。
 チラリと視線を遣る。親友はカウンター内で鼻歌まじりに昼食の準備をしていた。どうやら気づかれてはいないようだ。再度、外を見ようとした。
 もしこれで、彼女がいなかったら?
 俺は少しずつ目を動かしていった。
 居た。しかも彼女は、小首を傾げながら店の扉を眺めていた。
 初めて正面から彼女の顔を見る。飛び抜けて可愛い、というわけではなかったが、悪くはなかった。
 そう思った矢先、彼女が扉に向かってニコッと笑う。
「どうかしたの?」
 親友の声にハッとする。
 俺の頭は、いつから止まっていたのだろうか。
 気づくと彼女は、横を向いて歩き出していたのだった。
「あー、悪い。ちょっと外、行ってくるわ」
「え? 何? どうしたの? ねえっ」
 親友の呼び掛けを無視して店を出る。彼女が歩いていった方向に顔を向けると、店が入っている建物の角を、ちょうど曲がっていくところが見えた。
 慌てて後を追い、通りを覗く。
 するとそこに、彼女の姿はなかった。
「……何でだよ」
 建物の壁に手を突き、視線を落とす。
 次の曲がり角まで十メートル以上はある。それなのに、こんな簡単に見失うものだろうか。
 ふと建物に目を向ける。この建物の二階から上は、全て住居エリアだ。そして、その住居エリアのエントランスは、すぐそこだ。
 俺は咄嗟に駆け出した。
 エントランスはガラス張りになっている。エレベーターは通路の一番奥だ。
 果たして間に合うか――。
「……た」
 緩んだ口から声が漏れる。
 彼女がエレベーターに乗り込む姿が目に入った。
 店に戻ろうと踵を返す。その瞬間、笑みを浮かべた自分と目が合ったような気がした。

 たった、あれだけのことで気がついたというのだろうか。
 店の扉を開けるなり、親友が好奇の目を向けてきたのだ。俺は平静を保ちながら席に座ると、頬杖を突いた。
 彼女は最近、ここに越してきたのだろうか?
 今日初めて、この店に興味を持ったようだった。もしかしたら、近いうちに店を訪れてくるかも知れない。
 その時は、どう接すれば良いのだろうか。
 彼女に逃げられることのなく、距離を縮めるには。
 思考を巡らせている横で、親友がとうとう声を掛けてきた。
「何だか楽しそうね。進展があったら、ちゃんと教えなさいよ? 教えてくれている間だけは、彼女にちょっかい出すのは止めておいてあげる」
「言ったな、お前。それ絶対に守れよ? いいな」
 俺がそう告げると、親友はとても嬉しそうに笑みを返してきたのだった。

 * * *

 愛綾あやが、この店を訪れるようになってから三ヶ月程が経ったある日のことだ。
 いつも土日の午前中に訪れている愛綾が、初めて平日の同じ時間帯に姿を現した。 
しかもだ。ひたすら本を読んで過ごす彼女が、来て一時間を過ぎた頃からスマホをテーブルの上に置き、頻繁に目を向けているのだ。
 スマホが振動すれば手を伸ばし、文字を打ち込む。小さく吹き出したり、呆れたような表情を浮かべたりする。初めて見る仕草の連続に、俺の心はざわついた。
 彼女以外に客はいない。そして注文と会計の時以外、彼女は俺を見ない。
 それを良いことに、俺はさっきからずっと愛綾を観察していた。
 いい歳をして、本当に、何をやっているのだろうか。
 愛綾がこの店に来るようになってからも、彼女を本屋で見かけては、ただ観察をしていた。裏表のある女性を何人も目にしてきたことで、無意識に警戒心を抱いてしまう自分がいたからだ。
 言葉でならいくらでも良いことは言える。しかし、普段の何気ない行動まで偽り続けることは出来ない。その考えから、しばらくの間、様子を窺うことにしたのだ。
 けれどすぐに、愛綾は大丈夫だ、と判断することが出来た。
 試し読みをする際は他人にも配慮をし、子どもを見かければ笑みを浮かべる。会計時には、どの店員に対しても笑顔を向け、さらに会釈までしていく。
 そんな彼女が、いつも一人でいることが不思議で仕方なかった。
 やはり、あのことが関係しているのだろうか。
 出会った日に見てしまった、あの症状が。
 それにしても、愛綾が手に取る本のジャンルは幅広かった。沢山の本を読んできた俺でさえ、知らないものもあった。
 彼女は普段、どんなことを考えているのだろうか。
 何故、その本に興味を持ったのだろうか。
 それを見て、どう感じたのだろか。
 こんなことを思ったのは、愛綾が初めてだった。
 そして、日を追うごとに彼女のことを知りたいという想いが強くなっていった。
 楽しそうに本を読む愛綾を見て、思わず声を掛けそうになったことが何度もあった。しかしその度に、今度は自分の作品が脳裏を過り、俺を迷わせるのだった。
 自分が作ってきた物に、やましさを感じたことは一度もない。けれど、世間には作品から作者の人格を決めつける者が少なからずいる。
 もし、彼女がそうだったら?
 愛綾が偏見を持って、俺を見るようなことがあったら……。
 それを考えた途端、どうしても声を掛けるという次の一歩が踏み出せなかったのだ。
 夢を叶える為に、あっさりと会社を辞めることが出来た自分が、いつの間にか、こんな臆病な人間になっていたとは。
 夢を叶えた代償に、少し悪いものを見過ぎたのかもしれない。
 そうやって、いつもの通り思案に暮れていると、不意に愛綾がスマホをしまうのが見えた。
 一気に意識が目の前の彼女へと向く。
 まさかこれから、やり取りしていた相手と会うのだろうか。息を潜めて、彼女の次の行動を待った。
 一体全体、俺は何をしているのだ。いい加減、呆れてくる。
 今までに、愛綾が文芸書のコーナーに立ち入るところは見たことがなかった。単行本だけでなく文庫本に対しても同様だった。
 おそらく彼女は、小説は読まないのだろう。
 つまり自分が懸念していることは、当分の間、起こらない。
 それなら、ひとまず話し掛けて、様子を見ればいい。
 そうすれば、これ以上、嫌なものを見なくて済むかもしれない。
 いや、落ち着け。ひょんなことから知られてしまうことだってある。そのことを考えながら毎日を過ごすくらいなら、このままで居た方が良いのではないだろうか。
 そうだ、俺のような面倒な奴には、関わらない方がいい。
 俺はそう結論を出し、愛綾に話し掛けようとすることを止めた。
 彼女に背を向け、最後まで据えていた視線を動かそうとした、その瞬間とき――。
 泣いて……るわけないよな。
 愛綾が突然、哀しみと苦しみを織り交ぜた表情を浮かべ、手で顔を覆ったのだ。そのまま両肘をテーブルにつけ、ゆっくりと手を頭の方に滑らしていく。彼女は頭を抱えるような格好で、目を閉じていた。
 まるで何かに耐えているような、そんな感じだった。
 そう……だよな。悩んでいるのは、俺だけではないよな。
 ふと脳裏に、愛綾の笑顔が浮かんだ。誰に対してでもなく、扉を見て笑った時の彼女の自然な笑顔。
 あの笑顔だけでも見られれば充分だろう。自分のことを分かってはもらえなくても、彼女のことを理解しようとすることは出来る。
 俺は、タイミングを見計らおうと、彼女の方に身体を向けた。
 愛綾が肩を小さく上げ、大きく息を吐く。そして姿勢を正し、彼女は本を読み始めた。
 そう、眉間に皺を寄せながら。
 あの癖は直させた方が良いな。俺はふっと笑ってから、席を立った。
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