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番外編「氷の聖女様と、春の芽吹き」
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王都での一件から、数ヶ月が過ぎた。アーデルベルト領には、穏やかな春が訪れていた。雪解け水が小川のせせらぎとなり、痩せた大地にも、健気な緑の芽が顔を出し始めている。
リディアは、カイウスから提供された一区画の畑で、新たな実験に没頭していた。ジャガイモの新品種改良。王国からの援助で取り寄せた数種類の種芋を、異なる土壌、異なる肥料の組み合わせで栽培し、その生育データを記録する。それが、彼女の最近の主な日課だった。
『サンプルC-3区画。土壌:火山灰ベース。肥料:魚粉。発芽率:92%。生育速度:予測値を7%上回る。良好なデータ』
リディアは、手にした記録板に、硬質な文字で数値を書き込んでいく。その姿は、農作業をする令嬢というよりは、野外調査を行う研究者のそれに近かった。
そんな彼女の元に、数人の子供たちが、おそるおそる近づいてきた。領主の館で働く使用人たちの子供たちだ。彼らは、リディアのことを「氷の聖女様」と呼び、畏れながらも、強い好奇心を抱いていた。
「あのう……聖女様。何を、してらっしゃるんですか?」
一番年長の少年が、代表して尋ねた。
「ジャガイモの生育パラメータの最適化実験です」
リディアは、子供たちの方を振り向きもせず、淡々と答えた。その専門用語だらけの答えに、子供たちは、ぽかんと口を開けている。
「じゃがいも……?」
「ぱら、めーたー……?」
子供たちが、顔を見合わせて首を傾げる。
それを見ていたカイウスが、苦笑しながら近づいてきた。彼は最近、リディアの畑仕事(という名の実験)に付き合うのが、半ば日課となっていた。
「こらこら、お前たち。リディア様の邪魔をしちゃいけないぞ。リディア様は、もっと美味しくて、たくさん採れるジャガイモを作るために、難しいお勉強をされているんだ」
カイウスが分かりやすく言い換えると、子供たちは「へえー!」と声を上げた。
「聖女様、すごーい!」
「おっきいジャガイモ、食べたい!」
子供たちの純粋な『期待』と『賞賛』の感情データが、リディアに届く。それは、大人のそれよりも、ずっとノイズが少なく、ストレートな波形をしていた。
一人の小さな女の子が、リディアのそばまで駆け寄ると、手に持っていた一輪のタンポポを、恥ずかしそうに差し出した。
「聖女様、どうぞ。きれいです」
リディアは、差し出された黄色い花と、女の子の顔を、交互に見つめた。
『対象:少女。行動:花の贈呈。感情パラメータ:純粋な『好意』。見返りを求めない、利他的行動の一種。サンプルとして、非常に興味深い』
リディアは、記録板を脇に置くと、その小さな花を受け取った。そして、少しの間、それを観察した後、おもむろに立ち上がり、自分の畑の一角を指差した。
「この花は、特定のアルカロイドを含んでいます。それを、この区画の土に混ぜ込むと、害虫忌避の効果が期待できるかもしれません。有用なサンプルの提供に、感謝します」
「……え?」
女の子は、きょとんとしている。
リディアは、受け取ったタンポポを、こともなげに土に鋤き込み始めた。美しい花への感傷など、彼女には一切ない。ただ、その物質的な有用性だけを評価しているのだ。
カイウスは、頭を抱えた。
「リディア様……それは、そういうことじゃないと思うんだが……」
子供たちも、自分たちのプレゼントが、肥料(のようなもの)にされてしまったことに、少しショックを受けているようだった。
しかし、リディアは、そんな周囲の反応には気づかない。彼女は、ふと何かを思いついたように、子供たちに向き直った。
「あなたたちにも、タスクを与えましょう。この畑の周辺で、異なる種類の虫を、それぞれ5匹ずつ捕獲してきてください。虫の種類と、作物の生育状況の相関関係を分析する上で、重要なデータとなります。最も多様なサンプルを収集した者には、報酬を与えます」
「ほうしゅう?」
子供たちの目が、きらりと光った。
「ええ。カイウス様に頼んで、甘いお菓子を用意してもらいましょう」
その言葉に、子供たちは、わっと歓声を上げた。
「やるー!」
「お菓子のためなら、頑張る!」
さっきまでのしょげた様子はどこへやら、子供たちは、蜘蛛の子を散らすように、虫捕りへと駆け出していった。その背中を見送りながら、カイウスは、やれやれと肩をすくめた。
「君は、本当に……人の心を、独特な方法で動かすんだな」
「私は、彼らの労働意欲を最大化するための、最適なインセンティブを提示しただけです。結果的に、彼らの満足度も向上し、私の研究データも集まる。Win-Winの関係です」
リディアは、こともなげに言った。
カイウスは、そんな彼女の横顔を見ながら、思わず笑みがこぼれた。
氷のように冷徹で、どこまでもロジカル。でも、彼女のその在り方が、結果的に、この土地に温かい笑顔と、豊かな実りをもたらしている。
春の日差しの下、子供たちの賑やかな声が響き渡る。
リディアは、その声をBGMに、再びジャガイモの観察へと戻った。彼女の記録板の隅に、先ほどの少女がくれたタンポポの花びらが、一枚だけ、付着していた。
その小さな黄色が、リディアの無機質な世界に、ほんの少しだけ、彩りを添えていることに、彼女自身は、まだ気づいていなかった。
リディアは、カイウスから提供された一区画の畑で、新たな実験に没頭していた。ジャガイモの新品種改良。王国からの援助で取り寄せた数種類の種芋を、異なる土壌、異なる肥料の組み合わせで栽培し、その生育データを記録する。それが、彼女の最近の主な日課だった。
『サンプルC-3区画。土壌:火山灰ベース。肥料:魚粉。発芽率:92%。生育速度:予測値を7%上回る。良好なデータ』
リディアは、手にした記録板に、硬質な文字で数値を書き込んでいく。その姿は、農作業をする令嬢というよりは、野外調査を行う研究者のそれに近かった。
そんな彼女の元に、数人の子供たちが、おそるおそる近づいてきた。領主の館で働く使用人たちの子供たちだ。彼らは、リディアのことを「氷の聖女様」と呼び、畏れながらも、強い好奇心を抱いていた。
「あのう……聖女様。何を、してらっしゃるんですか?」
一番年長の少年が、代表して尋ねた。
「ジャガイモの生育パラメータの最適化実験です」
リディアは、子供たちの方を振り向きもせず、淡々と答えた。その専門用語だらけの答えに、子供たちは、ぽかんと口を開けている。
「じゃがいも……?」
「ぱら、めーたー……?」
子供たちが、顔を見合わせて首を傾げる。
それを見ていたカイウスが、苦笑しながら近づいてきた。彼は最近、リディアの畑仕事(という名の実験)に付き合うのが、半ば日課となっていた。
「こらこら、お前たち。リディア様の邪魔をしちゃいけないぞ。リディア様は、もっと美味しくて、たくさん採れるジャガイモを作るために、難しいお勉強をされているんだ」
カイウスが分かりやすく言い換えると、子供たちは「へえー!」と声を上げた。
「聖女様、すごーい!」
「おっきいジャガイモ、食べたい!」
子供たちの純粋な『期待』と『賞賛』の感情データが、リディアに届く。それは、大人のそれよりも、ずっとノイズが少なく、ストレートな波形をしていた。
一人の小さな女の子が、リディアのそばまで駆け寄ると、手に持っていた一輪のタンポポを、恥ずかしそうに差し出した。
「聖女様、どうぞ。きれいです」
リディアは、差し出された黄色い花と、女の子の顔を、交互に見つめた。
『対象:少女。行動:花の贈呈。感情パラメータ:純粋な『好意』。見返りを求めない、利他的行動の一種。サンプルとして、非常に興味深い』
リディアは、記録板を脇に置くと、その小さな花を受け取った。そして、少しの間、それを観察した後、おもむろに立ち上がり、自分の畑の一角を指差した。
「この花は、特定のアルカロイドを含んでいます。それを、この区画の土に混ぜ込むと、害虫忌避の効果が期待できるかもしれません。有用なサンプルの提供に、感謝します」
「……え?」
女の子は、きょとんとしている。
リディアは、受け取ったタンポポを、こともなげに土に鋤き込み始めた。美しい花への感傷など、彼女には一切ない。ただ、その物質的な有用性だけを評価しているのだ。
カイウスは、頭を抱えた。
「リディア様……それは、そういうことじゃないと思うんだが……」
子供たちも、自分たちのプレゼントが、肥料(のようなもの)にされてしまったことに、少しショックを受けているようだった。
しかし、リディアは、そんな周囲の反応には気づかない。彼女は、ふと何かを思いついたように、子供たちに向き直った。
「あなたたちにも、タスクを与えましょう。この畑の周辺で、異なる種類の虫を、それぞれ5匹ずつ捕獲してきてください。虫の種類と、作物の生育状況の相関関係を分析する上で、重要なデータとなります。最も多様なサンプルを収集した者には、報酬を与えます」
「ほうしゅう?」
子供たちの目が、きらりと光った。
「ええ。カイウス様に頼んで、甘いお菓子を用意してもらいましょう」
その言葉に、子供たちは、わっと歓声を上げた。
「やるー!」
「お菓子のためなら、頑張る!」
さっきまでのしょげた様子はどこへやら、子供たちは、蜘蛛の子を散らすように、虫捕りへと駆け出していった。その背中を見送りながら、カイウスは、やれやれと肩をすくめた。
「君は、本当に……人の心を、独特な方法で動かすんだな」
「私は、彼らの労働意欲を最大化するための、最適なインセンティブを提示しただけです。結果的に、彼らの満足度も向上し、私の研究データも集まる。Win-Winの関係です」
リディアは、こともなげに言った。
カイウスは、そんな彼女の横顔を見ながら、思わず笑みがこぼれた。
氷のように冷徹で、どこまでもロジカル。でも、彼女のその在り方が、結果的に、この土地に温かい笑顔と、豊かな実りをもたらしている。
春の日差しの下、子供たちの賑やかな声が響き渡る。
リディアは、その声をBGMに、再びジャガイモの観察へと戻った。彼女の記録板の隅に、先ほどの少女がくれたタンポポの花びらが、一枚だけ、付着していた。
その小さな黄色が、リディアの無機質な世界に、ほんの少しだけ、彩りを添えていることに、彼女自身は、まだ気づいていなかった。
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