3 / 23
第二話:前世の記憶とささやかな希望
しおりを挟む
ガタガタと揺れる質素な馬車の中、私は一人、窓の外を流れる景色を眺めていた。きらびやかだった王都の街並みはとうに消え、今は荒涼とした風景が広がっている。
あの夜会から三日。私は城の地下牢に押し込められ、今日、罪人として辺境の地へと護送されている。家族との面会も許されなかった。きっと父も母も、私のせいで辛い立場に置かれているだろう。申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
その時、馬車が大きく揺れた衝撃で、頭を強く壁に打ち付けてしまった。
「いっ……!」
瞬間、脳裏に閃光が走る。
――(莉奈、この実験データ、今日の午後までにまとめておいてくれ)
――(先輩、この構造式、少し変えてみませんか?効果が上がるかもしれません)
――(ああ、もう終電だ……。もっと研究していたいのに)
知らないはずの光景。白衣を着た人々。ずらりと並んだ実験器具。パソコンのモニターに映し出される複雑な化学式。それは、『私』ではない誰かの記憶。
そうだ、思い出した。
私は、エリアーナ・フォン・クラウゼルであると同時に、現代日本で製薬会社の研究員をしていた『高橋莉奈(たかはしりな)』でもあったのだ。過労で倒れ、気づけばこの世界に、公爵令嬢として生を受けていた。忙しい日々に追われるうち、すっかり忘れてしまっていた前世の記憶。
そして、この状況。婚約者の王太子が聖女に夢中になり、悪役令嬢が断罪される。
「……乙女ゲーム、だ」
ポツリと、声が漏れた。そうだ、これは莉奈だった頃に妹が熱中していた『君と紡ぐエターナル・シンフォニー』という乙女ゲームのシナリオそのものだ。私は、ヒロインである聖女をいじめる悪役令嬢、エリアーナ。そしてこの断罪イベントは、どのルートに進んでも回避不可能な強制イベントだったはず。
そうか、だからアラン殿下はあんなにも頑なだったのか。物語の筋書き通りに動かざるを得なかったのだとしたら、少しだけ同情の余地も……いや、ない。自分の頭で考えず、ヒロインの言いなりになる愚か者に同情などするものか。
全てを思い出したことで、パズルのピースがはまるように、今の状況が腑に落ちた。強制イベントなら仕方がない。家門に累が及んだのは痛恨の極みだが、今さら悔やんでもどうにもならない。
ならば、これからどうするか。
追放先は、極寒の北部辺境。人が住むのも困難な不毛の地。絶望するのが普通の反応だろう。
しかし、私の、いや、『莉奈』の心は、別の感情で高鳴っていた。
(研究が、できる……!)
王太子妃としての教育、息の詰まるような王宮の作法、興味のない社交。それら全てから解放されるのだ。そして何より、私がこの世界に来てからずっとやりたかったこと――この世界にしかない薬草を使った、新しい薬の研究。
公爵令嬢という立場では、泥にまみれて薬草を摘んだり、日がな一日研究室にこもったりすることは許されなかった。だが、追放された罪人なら話は別だ。誰に遠慮する必要もない。
(辺境……いいじゃない。誰も知らない薬草の宝庫かもしれない。寒さに強い薬草の品種改良なんて、面白そう!)
思考がどんどん前向きになっていく。莉奈だった頃の研究者としての血が騒ぐのを感じる。持っているのは、着の身着のままと、侍女がこっそり荷物に忍ばせてくれた数種類の薬草の種だけ。それでも、私には『莉奈』としての製薬知識と経験がある。これ以上の財産はない。
ガタン、と馬車が止まった。御者が外から声をかける。
「着いたぞ。ここがヴァレリウス公爵領だ」
私は窓から身を乗り出した。
これから始まる新しい生活への、ささやかな希望を胸に抱いて。
あの夜会から三日。私は城の地下牢に押し込められ、今日、罪人として辺境の地へと護送されている。家族との面会も許されなかった。きっと父も母も、私のせいで辛い立場に置かれているだろう。申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
その時、馬車が大きく揺れた衝撃で、頭を強く壁に打ち付けてしまった。
「いっ……!」
瞬間、脳裏に閃光が走る。
――(莉奈、この実験データ、今日の午後までにまとめておいてくれ)
――(先輩、この構造式、少し変えてみませんか?効果が上がるかもしれません)
――(ああ、もう終電だ……。もっと研究していたいのに)
知らないはずの光景。白衣を着た人々。ずらりと並んだ実験器具。パソコンのモニターに映し出される複雑な化学式。それは、『私』ではない誰かの記憶。
そうだ、思い出した。
私は、エリアーナ・フォン・クラウゼルであると同時に、現代日本で製薬会社の研究員をしていた『高橋莉奈(たかはしりな)』でもあったのだ。過労で倒れ、気づけばこの世界に、公爵令嬢として生を受けていた。忙しい日々に追われるうち、すっかり忘れてしまっていた前世の記憶。
そして、この状況。婚約者の王太子が聖女に夢中になり、悪役令嬢が断罪される。
「……乙女ゲーム、だ」
ポツリと、声が漏れた。そうだ、これは莉奈だった頃に妹が熱中していた『君と紡ぐエターナル・シンフォニー』という乙女ゲームのシナリオそのものだ。私は、ヒロインである聖女をいじめる悪役令嬢、エリアーナ。そしてこの断罪イベントは、どのルートに進んでも回避不可能な強制イベントだったはず。
そうか、だからアラン殿下はあんなにも頑なだったのか。物語の筋書き通りに動かざるを得なかったのだとしたら、少しだけ同情の余地も……いや、ない。自分の頭で考えず、ヒロインの言いなりになる愚か者に同情などするものか。
全てを思い出したことで、パズルのピースがはまるように、今の状況が腑に落ちた。強制イベントなら仕方がない。家門に累が及んだのは痛恨の極みだが、今さら悔やんでもどうにもならない。
ならば、これからどうするか。
追放先は、極寒の北部辺境。人が住むのも困難な不毛の地。絶望するのが普通の反応だろう。
しかし、私の、いや、『莉奈』の心は、別の感情で高鳴っていた。
(研究が、できる……!)
王太子妃としての教育、息の詰まるような王宮の作法、興味のない社交。それら全てから解放されるのだ。そして何より、私がこの世界に来てからずっとやりたかったこと――この世界にしかない薬草を使った、新しい薬の研究。
公爵令嬢という立場では、泥にまみれて薬草を摘んだり、日がな一日研究室にこもったりすることは許されなかった。だが、追放された罪人なら話は別だ。誰に遠慮する必要もない。
(辺境……いいじゃない。誰も知らない薬草の宝庫かもしれない。寒さに強い薬草の品種改良なんて、面白そう!)
思考がどんどん前向きになっていく。莉奈だった頃の研究者としての血が騒ぐのを感じる。持っているのは、着の身着のままと、侍女がこっそり荷物に忍ばせてくれた数種類の薬草の種だけ。それでも、私には『莉奈』としての製薬知識と経験がある。これ以上の財産はない。
ガタン、と馬車が止まった。御者が外から声をかける。
「着いたぞ。ここがヴァレリウス公爵領だ」
私は窓から身を乗り出した。
これから始まる新しい生活への、ささやかな希望を胸に抱いて。
30
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【完結】悪役令嬢は婚約破棄されたら自由になりました
きゅちゃん
ファンタジー
王子に婚約破棄されたセラフィーナは、前世の記憶を取り戻し、自分がゲーム世界の悪役令嬢になっていると気づく。破滅を避けるため辺境領地へ帰還すると、そこで待ち受けるのは財政難と魔物の脅威...。高純度の魔石を発見したセラフィーナは、商売で領地を立て直し始める。しかし王都から冤罪で訴えられる危機に陥るが...悪役令嬢が自由を手に入れ、新しい人生を切り開く物語。
完璧すぎると言われ婚約破棄された令嬢、冷徹公爵と白い結婚したら選ばれ続けました
鷹 綾
恋愛
「君は完璧すぎて、可愛げがない」
その理不尽な理由で、王都の名門令嬢エリーカは婚約を破棄された。
努力も実績も、すべてを否定された――はずだった。
だが彼女は、嘆かなかった。
なぜなら婚約破棄は、自由の始まりだったから。
行き場を失ったエリーカを迎え入れたのは、
“冷徹”と噂される隣国の公爵アンクレイブ。
条件はただ一つ――白い結婚。
感情を交えない、合理的な契約。
それが最善のはずだった。
しかし、エリーカの有能さは次第に国を変え、
彼女自身もまた「役割」ではなく「選択」で生きるようになる。
気づけば、冷徹だった公爵は彼女を誰よりも尊重し、
誰よりも守り、誰よりも――選び続けていた。
一方、彼女を捨てた元婚約者と王都は、
エリーカを失ったことで、静かに崩れていく。
婚約破棄ざまぁ×白い結婚×溺愛。
完璧すぎる令嬢が、“選ばれる側”から“選ぶ側”へ。
これは、復讐ではなく、
選ばれ続ける未来を手に入れた物語。
---
追放された落ちこぼれ令嬢ですが、氷血公爵様と辺境でスローライフを始めたら、天性の才能で領地がとんでもないことになっちゃいました!!
六角
恋愛
「君は公爵夫人に相応しくない」――王太子から突然婚約破棄を告げられた令嬢リナ。濡れ衣を着せられ、悪女の烙印を押された彼女が追放された先は、"氷血公爵"と恐れられるアレクシスが治める極寒の辺境領地だった。
家族にも見捨てられ、絶望の淵に立たされたリナだったが、彼女には秘密があった。それは、前世の知識と、誰にも真似できない天性の《領地経営》の才能!
「ここなら、自由に生きられるかもしれない」
活気のない領地に、リナは次々と革命を起こしていく。寂れた市場は活気あふれる商業区へ、痩せた土地は黄金色の麦畑へ。彼女の魔法のような手腕に、最初は冷ややかだった領民たちも、そして氷のように冷たいはずのアレクシスも、次第に心を溶かされていく。
「リナ、君は私の領地だけの女神ではない。……私だけの、女神だ」
トカゲ令嬢とバカにされて聖女候補から外され辺境に追放されましたが、トカゲではなく龍でした。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
リバコーン公爵家の長女ソフィアは、全貴族令嬢10人の1人の聖獣持ちに選ばれたが、その聖獣がこれまで誰も持ったことのない小さく弱々しいトカゲでしかなかった。それに比べて側室から生まれた妹は有名な聖獣スフィンクスが従魔となった。他にもグリフォンやペガサス、ワイバーンなどの実力も名声もある従魔を従える聖女がいた。リバコーン公爵家の名誉を重んじる父親は、ソフィアを正室の領地に追いやり第13王子との婚約も辞退しようとしたのだが……
王立聖女学園、そこは爵位を無視した弱肉強食の競争社会。だがどれだけ努力しようとも神の気紛れで全てが決められてしまう。まず従魔が得られるかどうかで貴族令嬢に残れるかどうかが決まってしまう。
聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~
夏見ナイ
恋愛
侯爵令嬢リリアーナは、王太子に「地味で役立たず」と婚約破棄され、食糧難と魔物に脅かされる最果ての辺境へ追放される。しかし彼女には秘密があった。それは前世日本の記憶と、食べた者を癒し強化する【奇跡の料理】を作る力!
絶望的な状況でもお人好しなリリアーナは、得意の料理で人々を助け始める。温かいスープは病人を癒し、栄養満点のシチューは騎士を強くする。その噂は「氷の辺境伯」兼騎士団長アレクシスの耳にも届き…。
最初は警戒していた彼も、彼女の料理とひたむきな人柄に胃袋も心も掴まれ、不器用ながらも溺愛するように!? さらに、美味しい匂いに誘われたもふもふ聖獣たちも仲間入り!
追放令嬢が料理で辺境を豊かにし、冷徹騎士団長にもふもふ達にも愛され幸せを掴む、異世界クッキング&溺愛スローライフ! 王都への爽快ざまぁも?
王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります
cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。
聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。
そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。
村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。
かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。
そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。
やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき——
リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。
理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、
「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、
自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。
捨てられた聖女、自棄になって誘拐されてみたら、なぜか皇太子に溺愛されています
日向はび
恋愛
「偽物の聖女であるお前に用はない!」婚約者である王子は、隣に新しい聖女だという女を侍らせてリゼットを睨みつけた。呆然として何も言えず、着の身着のまま放り出されたリゼットは、その夜、謎の男に誘拐される。
自棄なって自ら誘拐犯の青年についていくことを決めたリゼットだったが。連れて行かれたのは、隣国の帝国だった。
しかもなぜか誘拐犯はやけに慕われていて、そのまま皇帝の元へ連れて行かれ━━?
「おかえりなさいませ、皇太子殿下」
「は? 皇太子? 誰が?」
「俺と婚約してほしいんだが」
「はい?」
なぜか皇太子に溺愛されることなったリゼットの運命は……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる