8 / 14
第7話「雨の夜の告白」
しおりを挟む
バルドの嫌がらせは、執拗に続いた。
俺たちが新たな仕入れルートを確保すれば、今度はその道中にチンピラを雇って妨害させようとする。店の評判が持ち直せば、役人に賄賂を渡して、些細なことで営業停止命令を出させようと画策する。
どれも決定的な打撃には至らなかったが、じわじわと、確実に俺たちの心身を削っていく。特に、役所への対応やチンピラとのいざこざは、精神的な疲労が大きかった。
そんな日々が続いた、ある雨の夜。
その日は特に客足が少なく、閉店時間を少し過ぎた頃には、もう店には誰もいなくなっていた。俺は一人、カウンターで溜まった帳簿をつけながら、窓の外を叩く激しい雨音を聞いていた。
ザアザアと降りしきる雨は、まるで今の俺の心のようだ。出口の見えない戦いに、少し疲れを感じていた。
この戦いは、いつまで続くんだろうか……。
ため息をついた、その時だった。
カラン。
静かな店に、扉の鐘の音が響いた。こんな時間に誰だろうと顔を上げると、そこに立っていたのは、ずぶ濡れになったアリアだった。鎧は着ておらず、夜着の上からマントを羽織っただけの軽装だ。紺色の髪が頬に張り付き、雫がぽたぽたと床に落ちている。
「アリアさん!? どうしたんですか、こんな時間に、そんな格好で!」
俺は慌てて駆け寄り、乾いた布で彼女の髪を拭いてやる。彼女の体は、雨のせいでひどく冷え切っていた。
「すまない……。どうしても、お前に会っておきたくて」
か細い声。その表情は、見たこともないほど追い詰められ、悲痛に歪んでいた。
俺は彼女をカウンターの席に座らせ、温かいハーブティーを淹れて差し出した。湯気の立つカップを両手で包み込むように持ちながら、彼女はぽつり、ぽつりと語り始めた。
「今日、バルド様に呼び出された。……これ以上、あの店に関わるのなら、お前の騎士としての未来はない、と」
「なっ……」
「彼は、私の家の当主である父上にまで接触したらしい。ゲルハルト家との縁談を進める代わりに、私を騎士団から引退させる、と。父上は……乗り気のようだ」
アリアは、ぎゅっとカップを握りしめた。その指先が、白くなっている。
「私のせいで、リョウ、君に多大な迷惑をかけていることはわかっていた。だが、君の店まで奪われそうになっているのに、私は……私は何もできずにいる。それどころか、君と会うことすら禁じられようとしている」
彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、ハーブティーの湯気に紛れて、静かにカップの中へと消えていく。
「私は、どうすればいい……? 騎士でいることは、私の誇りだった。でも、ここに来られなくなるのは……君に会えなくなるのは、もっと……」
言葉を詰まらせ、うつむいてしまった彼女の姿に、胸が締めつけられるように痛んだ。氷の華と呼ばれた彼女が、こんなにもか弱く泣いている。その原因が、自分にもあるのだと思うと、たまらなく悔しかった。
俺は黙って彼女の隣に座ると、その冷たい手を、そっと自分の手で包み込んだ。
「アリアさん」
俺の声に、彼女がびくりと肩を震わせる。
「全部、俺が悪いんです。俺がもっと強ければ、あなたにこんな思いはさせなかった」
「違う! 違う、リョウ。君は何も悪くない。君は、いつだって……私を、守ろうと……」
「守れてなんかいませんよ。結局、あなたを泣かせている」
俺たちは、お互いを庇い、お互いを責めた。降りしきる雨の音だけが、二人の間に流れていく。
しばらくして、俺は意を決して口を開いた。
「アリアさん。俺、正直に言います。バルドが怖い。貴族の権力が、怖い。でも、それ以上に怖いのは、あなたを失うことです」
俺の告白に、アリアがはっと顔を上げた。濡れた青い瞳が、まっすぐに俺を捉える。
「この店も、仲間も、もちろん大切です。でも、俺が今、一番守りたいと思ってるのは、あなただ。あなたの笑顔が、俺にとっての陽だまりなんです。だから……」
俺は、彼女の手をさらに強く握った。
「だから、騎士を辞めないでください。あなたの誇りを、夢を、諦めないで。俺が、絶対にあなたとこの店を守りますから。どんな手を使われても、絶対に負けない。だから、信じてください」
熱いものが、喉の奥から込み上げてくる。もう、ただの料理人として彼女を癒やすだけではダメだ。一人の男として、彼女の盾にならなければ。
俺の言葉を、アリアはただ黙って聞いていた。その瞳からは、また新しい涙が止めどなく溢れ出してくる。でも、それは先ほどまでの悲しみの涙とは違っていた。もっと温かくて、きらきらと輝いているように見えた。
やがて彼女は、震える声で言った。
「……君は、ずるいな」
「え?」
「そんなことを言われたら……信じるしかないじゃないか」
彼女はそう言うと、俺の手に、自分の手をそっと重ねた。そして、恥ずかしそうに頬を染めながら、小さな声でつぶやく。
「私も……同じだ。リョウ。私も、君が……」
その先の言葉は雨音にかき消されて、俺には聞こえなかった。
けれど、それで十分だった。言葉にしなくても、彼女の想いは痛いほど伝わってきたから。
外では、いつの間にか雨足が弱まっていた。雲の切れ間から月明かりが差し込み、店の中を優しく照らし出す。
俺たちは、ただ黙って手を取り合っていた。これから先にどんな困難が待ち受けていようとも、もう一人ではない。二人でなら、きっと乗り越えられる。
雨の夜の静かな告白は、二人の心を固く、固く結びつけた。これは、反撃の狼煙を上げる前の、嵐の前の誓いだった。
俺たちが新たな仕入れルートを確保すれば、今度はその道中にチンピラを雇って妨害させようとする。店の評判が持ち直せば、役人に賄賂を渡して、些細なことで営業停止命令を出させようと画策する。
どれも決定的な打撃には至らなかったが、じわじわと、確実に俺たちの心身を削っていく。特に、役所への対応やチンピラとのいざこざは、精神的な疲労が大きかった。
そんな日々が続いた、ある雨の夜。
その日は特に客足が少なく、閉店時間を少し過ぎた頃には、もう店には誰もいなくなっていた。俺は一人、カウンターで溜まった帳簿をつけながら、窓の外を叩く激しい雨音を聞いていた。
ザアザアと降りしきる雨は、まるで今の俺の心のようだ。出口の見えない戦いに、少し疲れを感じていた。
この戦いは、いつまで続くんだろうか……。
ため息をついた、その時だった。
カラン。
静かな店に、扉の鐘の音が響いた。こんな時間に誰だろうと顔を上げると、そこに立っていたのは、ずぶ濡れになったアリアだった。鎧は着ておらず、夜着の上からマントを羽織っただけの軽装だ。紺色の髪が頬に張り付き、雫がぽたぽたと床に落ちている。
「アリアさん!? どうしたんですか、こんな時間に、そんな格好で!」
俺は慌てて駆け寄り、乾いた布で彼女の髪を拭いてやる。彼女の体は、雨のせいでひどく冷え切っていた。
「すまない……。どうしても、お前に会っておきたくて」
か細い声。その表情は、見たこともないほど追い詰められ、悲痛に歪んでいた。
俺は彼女をカウンターの席に座らせ、温かいハーブティーを淹れて差し出した。湯気の立つカップを両手で包み込むように持ちながら、彼女はぽつり、ぽつりと語り始めた。
「今日、バルド様に呼び出された。……これ以上、あの店に関わるのなら、お前の騎士としての未来はない、と」
「なっ……」
「彼は、私の家の当主である父上にまで接触したらしい。ゲルハルト家との縁談を進める代わりに、私を騎士団から引退させる、と。父上は……乗り気のようだ」
アリアは、ぎゅっとカップを握りしめた。その指先が、白くなっている。
「私のせいで、リョウ、君に多大な迷惑をかけていることはわかっていた。だが、君の店まで奪われそうになっているのに、私は……私は何もできずにいる。それどころか、君と会うことすら禁じられようとしている」
彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、ハーブティーの湯気に紛れて、静かにカップの中へと消えていく。
「私は、どうすればいい……? 騎士でいることは、私の誇りだった。でも、ここに来られなくなるのは……君に会えなくなるのは、もっと……」
言葉を詰まらせ、うつむいてしまった彼女の姿に、胸が締めつけられるように痛んだ。氷の華と呼ばれた彼女が、こんなにもか弱く泣いている。その原因が、自分にもあるのだと思うと、たまらなく悔しかった。
俺は黙って彼女の隣に座ると、その冷たい手を、そっと自分の手で包み込んだ。
「アリアさん」
俺の声に、彼女がびくりと肩を震わせる。
「全部、俺が悪いんです。俺がもっと強ければ、あなたにこんな思いはさせなかった」
「違う! 違う、リョウ。君は何も悪くない。君は、いつだって……私を、守ろうと……」
「守れてなんかいませんよ。結局、あなたを泣かせている」
俺たちは、お互いを庇い、お互いを責めた。降りしきる雨の音だけが、二人の間に流れていく。
しばらくして、俺は意を決して口を開いた。
「アリアさん。俺、正直に言います。バルドが怖い。貴族の権力が、怖い。でも、それ以上に怖いのは、あなたを失うことです」
俺の告白に、アリアがはっと顔を上げた。濡れた青い瞳が、まっすぐに俺を捉える。
「この店も、仲間も、もちろん大切です。でも、俺が今、一番守りたいと思ってるのは、あなただ。あなたの笑顔が、俺にとっての陽だまりなんです。だから……」
俺は、彼女の手をさらに強く握った。
「だから、騎士を辞めないでください。あなたの誇りを、夢を、諦めないで。俺が、絶対にあなたとこの店を守りますから。どんな手を使われても、絶対に負けない。だから、信じてください」
熱いものが、喉の奥から込み上げてくる。もう、ただの料理人として彼女を癒やすだけではダメだ。一人の男として、彼女の盾にならなければ。
俺の言葉を、アリアはただ黙って聞いていた。その瞳からは、また新しい涙が止めどなく溢れ出してくる。でも、それは先ほどまでの悲しみの涙とは違っていた。もっと温かくて、きらきらと輝いているように見えた。
やがて彼女は、震える声で言った。
「……君は、ずるいな」
「え?」
「そんなことを言われたら……信じるしかないじゃないか」
彼女はそう言うと、俺の手に、自分の手をそっと重ねた。そして、恥ずかしそうに頬を染めながら、小さな声でつぶやく。
「私も……同じだ。リョウ。私も、君が……」
その先の言葉は雨音にかき消されて、俺には聞こえなかった。
けれど、それで十分だった。言葉にしなくても、彼女の想いは痛いほど伝わってきたから。
外では、いつの間にか雨足が弱まっていた。雲の切れ間から月明かりが差し込み、店の中を優しく照らし出す。
俺たちは、ただ黙って手を取り合っていた。これから先にどんな困難が待ち受けていようとも、もう一人ではない。二人でなら、きっと乗り越えられる。
雨の夜の静かな告白は、二人の心を固く、固く結びつけた。これは、反撃の狼煙を上げる前の、嵐の前の誓いだった。
22
あなたにおすすめの小説
過労死して転生したので絶対に働かないと決めたのに、何をしても才能がバレる件
やんやんつけバー
ファンタジー
過労死して異世界転生。今度こそ絶対に働かないと決めたのに、何をやっても才能がバレてしまう——。農村で静かに暮らすはずが、魔力、農業、医療……気づけば誰も放っておかない。チートで穏やか系の異世界スローライフ。
追放された公爵令息、神竜と共に辺境スローライフを満喫する〜無敵領主のまったり改革記〜
たまごころ
ファンタジー
無実の罪で辺境に追放された公爵令息アレン。
だが、その地では神竜アルディネアが眠っていた。
契約によって最強の力を得た彼は、戦いよりも「穏やかな暮らし」を選ぶ。
農地改革、温泉開発、魔導具づくり──次々と繁栄する辺境領。
そして、かつて彼を貶めた貴族たちが、その繁栄にひれ伏す時が来る。
戦わずとも勝つ、まったりざまぁ無双ファンタジー!
追放されたので田舎でスローライフするはずが、いつの間にか最強領主になっていた件
言諮 アイ
ファンタジー
「お前のような無能はいらない!」
──そう言われ、レオンは王都から盛大に追放された。
だが彼は思った。
「やった!最高のスローライフの始まりだ!!」
そして辺境の村に移住し、畑を耕し、温泉を掘り当て、牧場を開き、ついでに商売を始めたら……
気づけば村が巨大都市になっていた。
農業改革を進めたら周囲の貴族が土下座し、交易を始めたら王国経済をぶっ壊し、温泉を作ったら各国の王族が観光に押し寄せる。
「俺はただ、のんびり暮らしたいだけなんだが……?」
一方、レオンを追放した王国は、バカ王のせいで経済崩壊&敵国に占領寸前!
慌てて「レオン様、助けてください!!」と泣きついてくるが……
「ん? ちょっと待て。俺に無能って言ったの、どこのどいつだっけ?」
もはや世界最強の領主となったレオンは、
「好き勝手やった報い? しらんな」と華麗にスルーし、
今日ものんびり温泉につかるのだった。
ついでに「真の愛」まで手に入れて、レオンの楽園ライフは続く──!
追放勇者の土壌改良は万物進化の神スキル!女神に溺愛され悪役令嬢と最強国家を築く
黒崎隼人
ファンタジー
勇者として召喚されたリオンに与えられたのは、外れスキル【土壌改良】。役立たずの烙印を押され、王国から追放されてしまう。時を同じくして、根も葉もない罪で断罪された「悪役令嬢」イザベラもまた、全てを失った。
しかし、辺境の地で死にかけたリオンは知る。自身のスキルが、実は物質の構造を根源から組み替え、万物を進化させる神の御業【万物改良】であったことを!
石ころを最高純度の魔石に、ただのクワを伝説級の戦斧に、荒れ地を豊かな楽園に――。
これは、理不尽に全てを奪われた男が、同じ傷を持つ気高き元悪役令嬢と出会い、過保護な女神様に見守られながら、無自覚に世界を改良し、自分たちだけの理想郷を創り上げ、やがて世界を救うに至る、壮大な逆転成り上がりファンタジー!
悪役令嬢は廃墟農園で異世界婚活中!~離婚したら最強農業スキルで貴族たちが求婚してきますが、元夫が邪魔で困ってます~
黒崎隼人
ファンタジー
「君との婚約を破棄し、離婚を宣言する!」
皇太子である夫から突きつけられた突然の別れ。
悪役令嬢の濡れ衣を着せられ追放された先は、誰も寄りつかない最果ての荒れ地だった。
――最高の農業パラダイスじゃない!
前世の知識を活かし、リネットの農業革命が今、始まる!
美味しい作物で村を潤し、国を救い、気づけば各国の貴族から求婚の嵐!?
なのに、なぜか私を捨てたはずの元夫が、いつも邪魔ばかりしてくるんですけど!
「離婚から始まる、最高に輝く人生!」
農業スキル全開で国を救い、不器用な元夫を振り回す、痛快!逆転ラブコメディ!
無自覚チートで無双する気はなかったのに、小石を投げたら山が崩れ、クシャミをしたら魔王が滅びた。俺はただ、平穏に暮らしたいだけなんです!
黒崎隼人
ファンタジー
トラックに轢かれ、平凡な人生を終えたはずのサラリーマン、ユウキ。彼が次に目覚めたのは、剣と魔法の異世界だった。
「あれ?なんか身体が軽いな」
その程度の認識で放った小石が岩を砕き、ただのジャンプが木々を越える。本人は自分の異常さに全く気づかないまま、ゴブリンを避けようとして一撃でなぎ倒し、怪我人を見つけて「血、止まらないかな」と願えば傷が癒える。
これは、自分の持つ規格外の力に一切気づかない男が、善意と天然で周囲の度肝を抜き、勘違いされながら意図せず英雄へと成り上がっていく、無自覚無双ファンタジー!
異世界でまったり村づくり ~追放された錬金術師、薬草と動物たちに囲まれて再出発します。いつの間にか辺境の村が聖地になっていた件~
たまごころ
ファンタジー
王都で役立たずと追放された中年の錬金術師リオネル。
たどり着いたのは、魔物に怯える小さな辺境の村だった。
薬草で傷を癒し、料理で笑顔を生み、動物たちと畑を耕す日々。
仲間と絆を育むうちに、村は次第に「奇跡の地」と呼ばれていく――。
剣も魔法も最強じゃない。けれど、誰かを癒す力が世界を変えていく。
ゆるやかな時間の中で少しずつ花開く、スロー成長の異世界物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる