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第7話「庭園の秘密と芽生える想い」
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アシュフォード公爵邸の裏手には、忘れ去られたように静かな温室があった。
ガラスはところどころ曇り、中には手入れされずに枯れかけている鉢植えがいくつも並んでいる。
私はなぜか、その場所に強く惹かれた。
「ここを、少し手入れしてもよろしいでしょうか」
執事に尋ねると、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに「もちろんでございます」と微笑んでくれた。
それから、私の日課に温室の手入れが加わった。
アンナに手伝ってもらいながら、雑草を抜き、土を入れ替え、枯れた葉を摘んでいく。
不思議なことに、私が触れた植物は、目に見えて元気を取り戻していった。
茶色くしなびていた葉は、みずみずしい緑色に変わり、固く閉じていた蕾は、ほころび始める。
『やっぱり、私にはこういう力があるんだ……』
これは、昔から私だけの秘密だった。
植物に触れると、その声が聞こえるような気がする。水が欲しいのか、光が足りないのか、何となくわかるのだ。
でも、ヴァインベルク公爵家では、この力は歓迎されなかった。
『公爵令嬢が土いじりなど、はしたない』
父にそう言われてからは、誰にも知られないよう、ひっそりと庭の隅の花に触れるだけだった。
エリアナさんのように、誰もが称賛するような『聖なる力』ではない。地味で、誰の役にも立たない力。
そう思っていた。
ある晴れた午後。
私が温室でバラの世話をしていると、不意に背後から声がかかった。
「熱心だな」
振り向くと、キリアン様が入り口に立っていた。
いつもは執務室にこもっている彼が、こんな場所に来るのは珍しい。
「キリアン様……。お仕事はよろしいのですか」
「ああ、少し休憩だ」
彼はゆっくりと温室の中に入ってきて、私が手入れをしている鉢植えに目を留めた。
それは、数日前まで完全に枯れていたはずの、一株の白いバラだった。
今では、青々とした葉を茂らせ、純白の蕾をいくつもつけている。
「見事だな。ここの植物は、もう何年も花を咲かせたことがなかった」
彼の銀色の瞳が、私をまっすぐに見つめる。
その視線に、全てを見透かされているような気がして、心臓がどきりとした。
「君が、咲かせたのか」
「……私が、というわけでは……。ただ、少しお世話をしただけで」
しどろもどろに答える私に、彼は静かな笑みを浮かべた。
それは、あの夜執務室で見た、ほんの一瞬の微笑みとは違う、もっとはっきりとした、優しい笑顔だった。
「やはり君は、特別だ」
その言葉に、息をのむ。
彼は、私のこの力のことを知っていた?
「俺は、ずっと知っていた。君が、誰にも気づかれずに、王宮の庭の片隅で、枯れかけた花を元気づけていたことを」
「え……」
「幼い頃、一度だけ見たことがある。小さな君が、しょんぼりした花に一生懸命話しかけていたのを。次の日、その花は見事に咲き誇っていた」
信じられない。
それは、もう10年以上も前の、私自身も忘れかけていた記憶だ。
あの姿を、彼が見ていたなんて。
「君の力は、祈るだけで奇跡を起こすような、派手なものではないかもしれない。だが、命に寄り添い、慈しみ、育む力だ。それこそが、本物の聖なる力だと、俺は思う」
キリアン様は、そっと私の手を取った。
土で少し汚れた私の手を、彼は全く気にする素振りも見せず、優しく包み込む。
「だから、自分を卑下するな。君は、誰よりも尊い力を持っている」
まっすぐな言葉が、私の心の奥底に染み渡っていく。
誰にも理解されなかった、自分でも価値がないと思っていたこの力を、彼は肯定してくれた。
『本物の聖なる力だ』と、言ってくれた。
じわり、と目の奥が熱くなる。
嬉しくて、くすぐったくて、胸がいっぱいになる。
この人は、本当に私のことを見ていてくれたんだ。
噂や見た目じゃなく、私の本質を。
「ありがとう、ございます……」
涙声でそれだけ言うのが、精一杯だった。
キリアン様は何も言わず、ただ、私の手を握る力を少しだけ強めた。
温室の中は、花の甘い香りと、午後の柔らかな日差しで満ちている。
彼の大きな手から伝わる温もりが、婚約破棄で凍てついていた私の心を、ゆっくりと、でも確実に溶かしていく。
この人の側にいたい。
この温かさを、手放したくない。
私の心に、確かな想いが芽生えた瞬間だった。
ガラスはところどころ曇り、中には手入れされずに枯れかけている鉢植えがいくつも並んでいる。
私はなぜか、その場所に強く惹かれた。
「ここを、少し手入れしてもよろしいでしょうか」
執事に尋ねると、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに「もちろんでございます」と微笑んでくれた。
それから、私の日課に温室の手入れが加わった。
アンナに手伝ってもらいながら、雑草を抜き、土を入れ替え、枯れた葉を摘んでいく。
不思議なことに、私が触れた植物は、目に見えて元気を取り戻していった。
茶色くしなびていた葉は、みずみずしい緑色に変わり、固く閉じていた蕾は、ほころび始める。
『やっぱり、私にはこういう力があるんだ……』
これは、昔から私だけの秘密だった。
植物に触れると、その声が聞こえるような気がする。水が欲しいのか、光が足りないのか、何となくわかるのだ。
でも、ヴァインベルク公爵家では、この力は歓迎されなかった。
『公爵令嬢が土いじりなど、はしたない』
父にそう言われてからは、誰にも知られないよう、ひっそりと庭の隅の花に触れるだけだった。
エリアナさんのように、誰もが称賛するような『聖なる力』ではない。地味で、誰の役にも立たない力。
そう思っていた。
ある晴れた午後。
私が温室でバラの世話をしていると、不意に背後から声がかかった。
「熱心だな」
振り向くと、キリアン様が入り口に立っていた。
いつもは執務室にこもっている彼が、こんな場所に来るのは珍しい。
「キリアン様……。お仕事はよろしいのですか」
「ああ、少し休憩だ」
彼はゆっくりと温室の中に入ってきて、私が手入れをしている鉢植えに目を留めた。
それは、数日前まで完全に枯れていたはずの、一株の白いバラだった。
今では、青々とした葉を茂らせ、純白の蕾をいくつもつけている。
「見事だな。ここの植物は、もう何年も花を咲かせたことがなかった」
彼の銀色の瞳が、私をまっすぐに見つめる。
その視線に、全てを見透かされているような気がして、心臓がどきりとした。
「君が、咲かせたのか」
「……私が、というわけでは……。ただ、少しお世話をしただけで」
しどろもどろに答える私に、彼は静かな笑みを浮かべた。
それは、あの夜執務室で見た、ほんの一瞬の微笑みとは違う、もっとはっきりとした、優しい笑顔だった。
「やはり君は、特別だ」
その言葉に、息をのむ。
彼は、私のこの力のことを知っていた?
「俺は、ずっと知っていた。君が、誰にも気づかれずに、王宮の庭の片隅で、枯れかけた花を元気づけていたことを」
「え……」
「幼い頃、一度だけ見たことがある。小さな君が、しょんぼりした花に一生懸命話しかけていたのを。次の日、その花は見事に咲き誇っていた」
信じられない。
それは、もう10年以上も前の、私自身も忘れかけていた記憶だ。
あの姿を、彼が見ていたなんて。
「君の力は、祈るだけで奇跡を起こすような、派手なものではないかもしれない。だが、命に寄り添い、慈しみ、育む力だ。それこそが、本物の聖なる力だと、俺は思う」
キリアン様は、そっと私の手を取った。
土で少し汚れた私の手を、彼は全く気にする素振りも見せず、優しく包み込む。
「だから、自分を卑下するな。君は、誰よりも尊い力を持っている」
まっすぐな言葉が、私の心の奥底に染み渡っていく。
誰にも理解されなかった、自分でも価値がないと思っていたこの力を、彼は肯定してくれた。
『本物の聖なる力だ』と、言ってくれた。
じわり、と目の奥が熱くなる。
嬉しくて、くすぐったくて、胸がいっぱいになる。
この人は、本当に私のことを見ていてくれたんだ。
噂や見た目じゃなく、私の本質を。
「ありがとう、ございます……」
涙声でそれだけ言うのが、精一杯だった。
キリアン様は何も言わず、ただ、私の手を握る力を少しだけ強めた。
温室の中は、花の甘い香りと、午後の柔らかな日差しで満ちている。
彼の大きな手から伝わる温もりが、婚約破棄で凍てついていた私の心を、ゆっくりと、でも確実に溶かしていく。
この人の側にいたい。
この温かさを、手放したくない。
私の心に、確かな想いが芽生えた瞬間だった。
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