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第5章:旦那様、こっそり食堂始めました
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化粧品事業が軌道に乗り、領地の女性たちに笑顔と現金収入がもたらされた。次なる課題は、領民全体の生活の基盤となる「食」の改善だった。この寒冷地では作物の種類が限られ、食生活は単調で栄養も偏りがち。人々は生きるために食べる、ただそれだけだった。
「食は、文化の基本であり、人の心を温めるものよ」
私は前世の知識を元に、まずは作物の改良から着手した。この土地の気候でも力強く育つジャガイモやカブの品種を選び、より効率的な栽培方法や土壌改良の知識を農夫たちに教えた。さらに、収穫した作物を冬の間も食べられるよう、塩漬けや乾燥といった保存食の作り方も広めていった。
収穫の秋。畑には、これまで見たこともないほど大きく、たくさんのジャガイモやカブが実った。領民たちは豊作に沸き立ったが、問題はその調理法を知らないことだった。彼らはそれをただ茹でるか、焼くかしかしない。
「もったいないわ…。こんなに美味しい食材があるのに」
そこで私は、領民に食の本当の喜びを知ってもらいたいと、ある計画を立てた。カイウス様には内緒で。
城下町の隅にある、使われていない空き家を安く借り受ける。そこを侍女のアンナや化粧品工房の女性たちと協力して掃除し、改装した。テーブルと椅子を並べ、小さな厨房を作る。そして、ささやかな看板を掲げた。
『こまち食堂』
私の前世の名をこっそりと拝借した、小さな食堂の開店だった。
メニューは、この世界にはまだない、私のオリジナル料理。山盛りのジャガイモを使い、挽肉と玉ねぎを混ぜて揚げた「コロッケ」。カブやニンジンを柔らかく煮込んで裏ごしした、心も体も温まる「ポタージュ」。黒パンに挟んで食べるのもお勧めだ。
安くて、美味しくて、ボリューム満点。私の料理は、たちまち領民たちの間で大評判となった。昼時にもなれば、『こまち食堂』は肉体労働を終えた男たちや、子連れの母親たちで満席になった。
「奥様のコロッケ、最高だ!」「こんなに腹が膨れて温まるスープは初めてだ!」
活気あふれる食堂で、エプロン姿の私が忙しく立ち働く。それは悪役令嬢でも公爵夫人でもない、ただの一人の料理人としての、充実した時間だった。
そんなある日。
一人の見慣れない客が食堂の隅の席に座った。深くフードを被り、顔はよく見えないが、その体格の良さと纏う雰囲気から、ただ者ではないことが窺えた。彼はポタージュとコロッケを注文し、静かに食べ始めた。
私は少し気になりながらも、他の客の対応に追われていた。
食事が終わると、男は会計のためにカウンターへやってきた。そして、低い声で私にだけ聞こえるように囁いた。
「……美味かった」
その声に、私はハッとして顔を上げた。フードの隙間から見えたのは、紛れもない、あの銀色の仮面だった。カイウス様がお忍びで来ていたのだ。
「だ、旦那様!? なぜここに…」
私は慌てて小声で問い詰める。
「領内で妙に活気のある場所があると噂になっていたからな。来てみれば、案の定、君の仕業か」
彼の声には呆れの色があった。だが、それだけではない。仮面の奥の瞳が、どこか楽しそうに細められているような気がした。
「私の知らない間に、またこんなことを始めていたとはな……」
彼はそう言うと、会計の倍以上の銀貨をカウンターに置き、くるりと背を向けて店を出て行った。
私はその後ろ姿を、呆然と見送るしかなかった。
その夜、カイウス様が私の離れの館を初めて訪れた。
「食堂の運営資金が足りないのだろう。これを使え」
そう言って、無造作に金の入った袋をテーブルに置く。
「いえ、これは皆で出し合ったお金で…!」
「領地のための事業だ。領主が投資するのは当然だろう。それとも、俺の金は受け取れないと?」
彼の有無を言わせぬ物言いに、私は言葉に詰まった。
彼は、私の事業を止めようとはしない。それどころか、陰ながら支えてくれている。
ただの契約相手のはずなのに。彼の不器用な優しさに、私の胸の奥が、ちくりと熱くなったのを感じていた。
「食は、文化の基本であり、人の心を温めるものよ」
私は前世の知識を元に、まずは作物の改良から着手した。この土地の気候でも力強く育つジャガイモやカブの品種を選び、より効率的な栽培方法や土壌改良の知識を農夫たちに教えた。さらに、収穫した作物を冬の間も食べられるよう、塩漬けや乾燥といった保存食の作り方も広めていった。
収穫の秋。畑には、これまで見たこともないほど大きく、たくさんのジャガイモやカブが実った。領民たちは豊作に沸き立ったが、問題はその調理法を知らないことだった。彼らはそれをただ茹でるか、焼くかしかしない。
「もったいないわ…。こんなに美味しい食材があるのに」
そこで私は、領民に食の本当の喜びを知ってもらいたいと、ある計画を立てた。カイウス様には内緒で。
城下町の隅にある、使われていない空き家を安く借り受ける。そこを侍女のアンナや化粧品工房の女性たちと協力して掃除し、改装した。テーブルと椅子を並べ、小さな厨房を作る。そして、ささやかな看板を掲げた。
『こまち食堂』
私の前世の名をこっそりと拝借した、小さな食堂の開店だった。
メニューは、この世界にはまだない、私のオリジナル料理。山盛りのジャガイモを使い、挽肉と玉ねぎを混ぜて揚げた「コロッケ」。カブやニンジンを柔らかく煮込んで裏ごしした、心も体も温まる「ポタージュ」。黒パンに挟んで食べるのもお勧めだ。
安くて、美味しくて、ボリューム満点。私の料理は、たちまち領民たちの間で大評判となった。昼時にもなれば、『こまち食堂』は肉体労働を終えた男たちや、子連れの母親たちで満席になった。
「奥様のコロッケ、最高だ!」「こんなに腹が膨れて温まるスープは初めてだ!」
活気あふれる食堂で、エプロン姿の私が忙しく立ち働く。それは悪役令嬢でも公爵夫人でもない、ただの一人の料理人としての、充実した時間だった。
そんなある日。
一人の見慣れない客が食堂の隅の席に座った。深くフードを被り、顔はよく見えないが、その体格の良さと纏う雰囲気から、ただ者ではないことが窺えた。彼はポタージュとコロッケを注文し、静かに食べ始めた。
私は少し気になりながらも、他の客の対応に追われていた。
食事が終わると、男は会計のためにカウンターへやってきた。そして、低い声で私にだけ聞こえるように囁いた。
「……美味かった」
その声に、私はハッとして顔を上げた。フードの隙間から見えたのは、紛れもない、あの銀色の仮面だった。カイウス様がお忍びで来ていたのだ。
「だ、旦那様!? なぜここに…」
私は慌てて小声で問い詰める。
「領内で妙に活気のある場所があると噂になっていたからな。来てみれば、案の定、君の仕業か」
彼の声には呆れの色があった。だが、それだけではない。仮面の奥の瞳が、どこか楽しそうに細められているような気がした。
「私の知らない間に、またこんなことを始めていたとはな……」
彼はそう言うと、会計の倍以上の銀貨をカウンターに置き、くるりと背を向けて店を出て行った。
私はその後ろ姿を、呆然と見送るしかなかった。
その夜、カイウス様が私の離れの館を初めて訪れた。
「食堂の運営資金が足りないのだろう。これを使え」
そう言って、無造作に金の入った袋をテーブルに置く。
「いえ、これは皆で出し合ったお金で…!」
「領地のための事業だ。領主が投資するのは当然だろう。それとも、俺の金は受け取れないと?」
彼の有無を言わせぬ物言いに、私は言葉に詰まった。
彼は、私の事業を止めようとはしない。それどころか、陰ながら支えてくれている。
ただの契約相手のはずなのに。彼の不器用な優しさに、私の胸の奥が、ちくりと熱くなったのを感じていた。
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