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第2話「覚醒する魔香と最初の出会い」
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黒の森に一人放り出されてから三日が過ぎた。俺はゴブリンを眠らせたあの香りを改良し、今では森の比較的弱い魔物を手なずけられるようになっていた。
やり方は単純だ。魔物が好む木の実や花の蜜を集め、【調香】スキルでその香りを凝縮・増幅させる。その香りを嗅いだ魔物は、俺を「餌をくれる存在」と認識して敵意をなくすのだ。
おかげで数匹のゴブリンや、狼に似た魔物ガルムを従えられ、安全な寝床の確保や食料調達が格段に楽になった。
「よし、今日はこのくらいにしておくか」
俺は従えたガルムの頭を撫でながら、森の奥へと続く道を見つめた。この森の生態系の頂点に立つ魔物は一体どんな存在なのか。そして、そいつを支配できたなら……俺の力はどこまで強くなるのだろう。
ガイアスたちへの復讐心は片時も忘れていない。だが今は、この過酷な環境で生き抜くために力を蓄える時だ。
俺は探索を続ける中で小さな洞窟を見つけ、そこを仮のアジトにしていた。集めた素材を並べ、新しい香りの調合に没頭する。それは元の世界で調香師として研究に明け暮れていた日々を思い出させた。だが、今の俺が創り出しているのは人を癒すフレグランスではない。生きるため、そしていつか復讐を果たすための、禁断の香りだ。
その日、俺はさらに森の奥深くへと足を踏み入れていた。より強力な香りを作るための希少な素材を探すためだ。従えたゴブリンたちに周囲を警戒させながら、慎重に進んでいく。
鬱蒼とした木々が途切れ、少し開けた場所に出た。そこには小さな泉があり、陽の光が水面をきらきらと反射させている。まるで物語に出てくるような幻想的な光景だ。
だが、その穏やかな雰囲気を壊すように、怒声と金属音が響き渡った。
「こっちだ!逃がすな!」
「クソっ、すばしっこいエルフめ!」
見ると、豪華な装飾の鎧をまとった騎士風の男たちが、一人の女性を追い詰めていた。女性は長く美しい銀の髪をなびかせ、尖った耳を持つことからエルフだとわかる。その衣服はところどころ破れ、白い肌には痛々しい傷が刻まれていた。
彼女は必死に逃げ惑っているが、多勢に無勢。すぐに数人の騎士に囲まれてしまった。
「観念しろ、お姫様。おとなしく捕まれば、痛い思いはさせんぞ」
下卑た笑いを浮かべるリーダー格の男。奴隷商人か、あるいは何かの追手か。どちらにせよ、まともな連中ではないことは確かだ。
エルフの女性は恐怖と絶望に染まった翡翠色の瞳で、騎士たちを睨みつけている。その気高い姿に、俺はなぜか目を奪われた。追放された自分と、追い詰められた彼女の姿が重なったのかもしれない。
『助ける……?馬鹿を言え。俺に何ができる』
一度はそう思った。だが、女性の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたのを見た瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。
俺は茂みに身を隠しながら懐から小瓶を取り出す。中に入っているのは、先日完成させたばかりの新作、「惰弱の香」だ。これは人の闘争本能を著しく減退させ、全身を気だるい倦怠感で満たす効果がある。
俺は風向きを計算し、瓶の蓋を開けた。ふわりとラベンダーに似た、しかしどこか甘ったるい香りが風に乗って騎士たちの元へと流れていく。
「ん……?なんだか、身体がだるい……」
「おい、どうした。急に眠気が……」
騎士たちが次々と武器を取り落とし、その場にへたり込んでいく。リーダー格の男だけがかろうじて意識を保っていたが、その顔は困惑に満ちていた。
「な、なんだこれは……魔法か……?くそっ……身体に力が……」
男が泉に膝をついたのを確認し、俺は茂みから姿を現した。
「それ以上、その子に近づくな」
突然現れた俺に、男もエルフの女性も驚いた顔を向ける。
「き、貴様、何者だ!」
「ただの通りすがりだ。だが、か弱い女の子を寄ってたかって追い詰めるような奴らは、見ていて胸糞が悪いんでね」
俺が言うと、背後の森から俺が手なずけたゴブリンやガルムたちが姿を現す。騎士たちは、その異様な光景に完全に戦意を喪失したようだった。
リーダー格の男は這うようにしてその場から逃げ去り、他の騎士たちもそれに続く。あっという間に、泉の周りには俺とエルフの女性だけが残された。
女性はまだ警戒を解いていない様子で、俺をじっと見つめている。その翡翠色の瞳は、傷ついた小動物のように怯えていた。
「もう大丈夫だ。あいつらは戻ってこない」
俺はできるだけ穏やかな声で話しかけ、ゆっくりと彼女に近づいた。彼女の腕の傷からは血が滲んでいる。
「ひどい怪我だ。手当てをさせてくれないか」
懐からもう一つの小瓶を取り出す。これは回復効果のある薬草をブレンドした「治癒の聖香」だ。瓶の蓋を開けると、ミントのような爽やかで清涼感のある香りが広がった。
俺は清潔な布に香りを染み込ませ、彼女の傷にそっと当てる。
「っ……!」
女性は一瞬身をこわばらせたが、すぐに痛みが引いていくことに気づいたのか、驚いたように自分の腕を見つめた。布を当てた場所から淡い緑色の光が放たれ、切り傷がみるみるうちに塞がっていく。
「……すごい。聖魔法……ですか?」
「いや、これはただの香りだよ。俺のスキルで、薬草の効果をちょっとだけ高めてるだけだ」
完全に傷が消えたことを確認し、俺は布を離した。女性は信じられないといった様子で、すべすべになった自分の肌を撫でている。
やがて彼女は俺に向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。あなたに命を救われました。私はフィリア、と申します」
「俺はレンだ。フィリア、なんであんな奴らに追われていたんだ?」
俺が尋ねると、フィリアの表情が曇った。
「私は……故郷を追われた身なのです。王族の血を引いていますが、その力を疎まれ……国から……」
彼女の言葉は途切れ途切れだったが、事情はなんとなく察しがついた。高貴な生まれだが、居場所を失った。その点では俺と同じようなものか。
「そうか。行くあてがないなら、とりあえず俺のところに来るか?大したもてなしはできないが、雨風はしのげる」
俺の申し出に、フィリアは翡翠色の瞳を大きく見開いた。そして、その瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「よろしいのですか……?見ず知らずの、私のような者を……」
「お互い様だろ。俺も追放された身だからな」
俺は自嘲気味に笑った。その言葉が、彼女の最後の警戒心を解きほぐしたようだ。
「レン、様……」
フィリアは震える声で俺の名前を呼んだ。彼女の身体から、ふわりと甘く、それでいてどこか儚い、花の蜜のような香りがした。
その香りを吸い込んだ瞬間、俺の身体の奥底で何かが疼くのを感じる。俺の【調香】スキルが、彼女の放つ生命の香りに強く反応していた。
この子がいれば、俺はもっと強力な香りを創り出せるかもしれない。
そんな打算的な考えが頭をよぎったが、それ以上に彼女を守りたいという純粋な気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
「様なんてよせよ。レンでいい。さあ、行こう。俺たちのアジトへ」
俺が手を差し出すと、フィリアは少し躊躇った後、その小さく柔らかな手を俺の手に重ねた。彼女の体温がじんわりと伝わってくる。
こうして、俺の追放生活に初めての仲間ができた。孤独な復讐者の隣に咲いた、気高く美しい一輪の花。彼女との出会いが、俺の運命を、そしてこの世界の理さえも大きく変えていくことになるのを、この時の俺はまだ知らなかった。
やり方は単純だ。魔物が好む木の実や花の蜜を集め、【調香】スキルでその香りを凝縮・増幅させる。その香りを嗅いだ魔物は、俺を「餌をくれる存在」と認識して敵意をなくすのだ。
おかげで数匹のゴブリンや、狼に似た魔物ガルムを従えられ、安全な寝床の確保や食料調達が格段に楽になった。
「よし、今日はこのくらいにしておくか」
俺は従えたガルムの頭を撫でながら、森の奥へと続く道を見つめた。この森の生態系の頂点に立つ魔物は一体どんな存在なのか。そして、そいつを支配できたなら……俺の力はどこまで強くなるのだろう。
ガイアスたちへの復讐心は片時も忘れていない。だが今は、この過酷な環境で生き抜くために力を蓄える時だ。
俺は探索を続ける中で小さな洞窟を見つけ、そこを仮のアジトにしていた。集めた素材を並べ、新しい香りの調合に没頭する。それは元の世界で調香師として研究に明け暮れていた日々を思い出させた。だが、今の俺が創り出しているのは人を癒すフレグランスではない。生きるため、そしていつか復讐を果たすための、禁断の香りだ。
その日、俺はさらに森の奥深くへと足を踏み入れていた。より強力な香りを作るための希少な素材を探すためだ。従えたゴブリンたちに周囲を警戒させながら、慎重に進んでいく。
鬱蒼とした木々が途切れ、少し開けた場所に出た。そこには小さな泉があり、陽の光が水面をきらきらと反射させている。まるで物語に出てくるような幻想的な光景だ。
だが、その穏やかな雰囲気を壊すように、怒声と金属音が響き渡った。
「こっちだ!逃がすな!」
「クソっ、すばしっこいエルフめ!」
見ると、豪華な装飾の鎧をまとった騎士風の男たちが、一人の女性を追い詰めていた。女性は長く美しい銀の髪をなびかせ、尖った耳を持つことからエルフだとわかる。その衣服はところどころ破れ、白い肌には痛々しい傷が刻まれていた。
彼女は必死に逃げ惑っているが、多勢に無勢。すぐに数人の騎士に囲まれてしまった。
「観念しろ、お姫様。おとなしく捕まれば、痛い思いはさせんぞ」
下卑た笑いを浮かべるリーダー格の男。奴隷商人か、あるいは何かの追手か。どちらにせよ、まともな連中ではないことは確かだ。
エルフの女性は恐怖と絶望に染まった翡翠色の瞳で、騎士たちを睨みつけている。その気高い姿に、俺はなぜか目を奪われた。追放された自分と、追い詰められた彼女の姿が重なったのかもしれない。
『助ける……?馬鹿を言え。俺に何ができる』
一度はそう思った。だが、女性の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたのを見た瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。
俺は茂みに身を隠しながら懐から小瓶を取り出す。中に入っているのは、先日完成させたばかりの新作、「惰弱の香」だ。これは人の闘争本能を著しく減退させ、全身を気だるい倦怠感で満たす効果がある。
俺は風向きを計算し、瓶の蓋を開けた。ふわりとラベンダーに似た、しかしどこか甘ったるい香りが風に乗って騎士たちの元へと流れていく。
「ん……?なんだか、身体がだるい……」
「おい、どうした。急に眠気が……」
騎士たちが次々と武器を取り落とし、その場にへたり込んでいく。リーダー格の男だけがかろうじて意識を保っていたが、その顔は困惑に満ちていた。
「な、なんだこれは……魔法か……?くそっ……身体に力が……」
男が泉に膝をついたのを確認し、俺は茂みから姿を現した。
「それ以上、その子に近づくな」
突然現れた俺に、男もエルフの女性も驚いた顔を向ける。
「き、貴様、何者だ!」
「ただの通りすがりだ。だが、か弱い女の子を寄ってたかって追い詰めるような奴らは、見ていて胸糞が悪いんでね」
俺が言うと、背後の森から俺が手なずけたゴブリンやガルムたちが姿を現す。騎士たちは、その異様な光景に完全に戦意を喪失したようだった。
リーダー格の男は這うようにしてその場から逃げ去り、他の騎士たちもそれに続く。あっという間に、泉の周りには俺とエルフの女性だけが残された。
女性はまだ警戒を解いていない様子で、俺をじっと見つめている。その翡翠色の瞳は、傷ついた小動物のように怯えていた。
「もう大丈夫だ。あいつらは戻ってこない」
俺はできるだけ穏やかな声で話しかけ、ゆっくりと彼女に近づいた。彼女の腕の傷からは血が滲んでいる。
「ひどい怪我だ。手当てをさせてくれないか」
懐からもう一つの小瓶を取り出す。これは回復効果のある薬草をブレンドした「治癒の聖香」だ。瓶の蓋を開けると、ミントのような爽やかで清涼感のある香りが広がった。
俺は清潔な布に香りを染み込ませ、彼女の傷にそっと当てる。
「っ……!」
女性は一瞬身をこわばらせたが、すぐに痛みが引いていくことに気づいたのか、驚いたように自分の腕を見つめた。布を当てた場所から淡い緑色の光が放たれ、切り傷がみるみるうちに塞がっていく。
「……すごい。聖魔法……ですか?」
「いや、これはただの香りだよ。俺のスキルで、薬草の効果をちょっとだけ高めてるだけだ」
完全に傷が消えたことを確認し、俺は布を離した。女性は信じられないといった様子で、すべすべになった自分の肌を撫でている。
やがて彼女は俺に向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。あなたに命を救われました。私はフィリア、と申します」
「俺はレンだ。フィリア、なんであんな奴らに追われていたんだ?」
俺が尋ねると、フィリアの表情が曇った。
「私は……故郷を追われた身なのです。王族の血を引いていますが、その力を疎まれ……国から……」
彼女の言葉は途切れ途切れだったが、事情はなんとなく察しがついた。高貴な生まれだが、居場所を失った。その点では俺と同じようなものか。
「そうか。行くあてがないなら、とりあえず俺のところに来るか?大したもてなしはできないが、雨風はしのげる」
俺の申し出に、フィリアは翡翠色の瞳を大きく見開いた。そして、その瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「よろしいのですか……?見ず知らずの、私のような者を……」
「お互い様だろ。俺も追放された身だからな」
俺は自嘲気味に笑った。その言葉が、彼女の最後の警戒心を解きほぐしたようだ。
「レン、様……」
フィリアは震える声で俺の名前を呼んだ。彼女の身体から、ふわりと甘く、それでいてどこか儚い、花の蜜のような香りがした。
その香りを吸い込んだ瞬間、俺の身体の奥底で何かが疼くのを感じる。俺の【調香】スキルが、彼女の放つ生命の香りに強く反応していた。
この子がいれば、俺はもっと強力な香りを創り出せるかもしれない。
そんな打算的な考えが頭をよぎったが、それ以上に彼女を守りたいという純粋な気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
「様なんてよせよ。レンでいい。さあ、行こう。俺たちのアジトへ」
俺が手を差し出すと、フィリアは少し躊躇った後、その小さく柔らかな手を俺の手に重ねた。彼女の体温がじんわりと伝わってくる。
こうして、俺の追放生活に初めての仲間ができた。孤独な復讐者の隣に咲いた、気高く美しい一輪の花。彼女との出会いが、俺の運命を、そしてこの世界の理さえも大きく変えていくことになるのを、この時の俺はまだ知らなかった。
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