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番外編「エリアの特製まかないスープ」
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「エリアの特製まかないスープ」
リツが、新たな香辛料の情報を求めて、数日間、隣国の市場まで旅に出ることになった。彼が長期で店を空けるのは、開店以来初めてのことだった。
「店のことは任せたぞ、二人とも」
「おう、心配すんな。俺とエリアでしっかり守っとく」
「はい! 行ってらっしゃい、リツさん!」
ガルドとエリアに見送られ、リツは馬車に乗り込んだ。しかし、彼の姿が見えなくなると、エリアは途端にそわそわし始めた。リツのいない厨房。それは、彼女にとってあまりにも広く、静かに感じられた。
「(リツさんがいない間、私がみんなのご飯を作らなくちゃ…)」
《畑のテーブル》では、営業後のまかない料理をリツが作ることが多かった。彼の作るまかないは、店のメニューとはまた違う、家庭的で優しい味がして、従業員みんなの楽しみだった。その大役を、今回は副料理長のエリアが担うことになったのだ。
「よし! やってやろうじゃない! リツさんをびっくりさせるような、私だけのオリジナル料理を作って、みんなを唸らせてみせる!」
エリアはエプロンをきゅっと締め直し、意気込んだ。しかし、いざ新しいメニューを考え始めると、これがなかなかに難しい。リツの真似をしようとすればするほど、何かが違うと感じてしまう。リツの料理は、科学的な知識と緻密な計算の上に成り立っている。感覚と勢いで料理を作ってきたエリアには、その領域を再現するのは困難だった。
初日のまかないは、リツのレシピを忠実に再現した肉の煮込み。味は悪くないはずなのに、従業員の反応は「美味しいですけど…いつものリツさんのと、ちょっとだけ違いますね」という微妙なものだった。
二日目は、背伸びをして創作料理に挑戦した。しかし、食材の組み合わせが悪く、なんとも言えない味の料理が完成してしまい、大失敗に終わった。
「うぅ…私には、才能ないのかも…」
すっかり自信をなくし、厨房で一人膝を抱えるエリア。その時、彼女の脳裏に、ふと、遠い昔の記憶が蘇った。
それは、彼女がまだ故郷の獣人族の村で暮らしていた頃の思い出。森で駆け回って転んでしまい、泣きながら家に帰った日。母が、大きな鍋でコトコトと煮込んでくれた、温かいスープの記憶だ。
村で採れる数種類の木の実と、滋養のある根菜、そして森のキノコをたっぷり入れて煮込んだ、素朴なスープ。特別な材料は何も入っていない。けれど、そのスープを飲むと、不思議と体の痛みも、心の悲しさも、すうっと消えていくような気がした。母の愛情が、最高の隠し味だった。
「…そうだ。私には、私の味があるはずだ」
エリアは顔を上げた。リツさんの真似をする必要はない。私にしか作れない、私の料理を作ればいいんだ。
彼女はすぐに畑へ向かい、野菜を収穫した。そして、子どもの頃に母親が使っていた食材を思い出しながら、森で木の実やキノコを集めてくる。
厨房に戻ると、エリアは試行錯誤を始めた。リツから教わった、野菜の甘みを引き出すための炒め方。アクを丁寧に取り除き、スープを澄ませる技術。そして、故郷の母親が教えてくれた、木の実をすり潰してスープにコクを加える知恵。
リツの技術と、故郷の味が、エリアの中で一つに融合していく。何度も味見を繰り返し、塩加減を調整し、煮込み時間を変えてみる。そして、ついに彼女だけのスープが完成した。
琥珀色に輝くスープの中には、柔らかく煮込まれた根菜と、香り高いキノコがたっぷりと入っている。木の実はスープに溶け込み、優しいとろみと深いコクを生み出していた。
その日の夜、まかないとしてスープが食卓に並ぶと、従業員たちはその豊かな香りに驚きの声を上げた。
「エリアさん、これ、すごい良い匂いがしますね!」
一口飲んだ従業員たちは、皆、目を丸くした。
「おいしい…! すごく優しい味がする…」
「体の芯から温まるようです。なんだか、お母さんを思い出す味ですね」
スープは、あっという間に空になった。誰もが「おかわり!」と声を上げる。従業員たちからの大絶賛に、エリアの目にはうっすらと涙が浮かんだ。自分の料理が、みんなを笑顔にできた。その事実が、何よりも嬉しかった。
数日後、リツが旅から帰ってきた。長旅の疲れが見える彼に、エリアは「お帰りなさい!」と、例のスープを差し出した。
リツは、その香りをかいだだけで、目を見開いた。そして、一口飲むと、何も言わずに、ただ深く、味わうように目を閉じた。
やがて、ゆっくりと目を開けた彼は、最高の笑顔で言った。
「…うまい。これは、君にしか作れない、最高の味だ。俺には、作れない」
その言葉は、どんな賛辞よりもエリアの心に響いた。リツは、彼女が自分自身の力で、新しい一歩を踏み出したことを見抜いてくれたのだ。
「エリアの特製まかないスープ」。それは後に、《畑のテーブル》の正式なメニューには載らない、従業員と、特に親しい常連客だけが知る、心温まる裏メニューとして、仲間内だけで長く愛され続ける一品となった。
リツが、新たな香辛料の情報を求めて、数日間、隣国の市場まで旅に出ることになった。彼が長期で店を空けるのは、開店以来初めてのことだった。
「店のことは任せたぞ、二人とも」
「おう、心配すんな。俺とエリアでしっかり守っとく」
「はい! 行ってらっしゃい、リツさん!」
ガルドとエリアに見送られ、リツは馬車に乗り込んだ。しかし、彼の姿が見えなくなると、エリアは途端にそわそわし始めた。リツのいない厨房。それは、彼女にとってあまりにも広く、静かに感じられた。
「(リツさんがいない間、私がみんなのご飯を作らなくちゃ…)」
《畑のテーブル》では、営業後のまかない料理をリツが作ることが多かった。彼の作るまかないは、店のメニューとはまた違う、家庭的で優しい味がして、従業員みんなの楽しみだった。その大役を、今回は副料理長のエリアが担うことになったのだ。
「よし! やってやろうじゃない! リツさんをびっくりさせるような、私だけのオリジナル料理を作って、みんなを唸らせてみせる!」
エリアはエプロンをきゅっと締め直し、意気込んだ。しかし、いざ新しいメニューを考え始めると、これがなかなかに難しい。リツの真似をしようとすればするほど、何かが違うと感じてしまう。リツの料理は、科学的な知識と緻密な計算の上に成り立っている。感覚と勢いで料理を作ってきたエリアには、その領域を再現するのは困難だった。
初日のまかないは、リツのレシピを忠実に再現した肉の煮込み。味は悪くないはずなのに、従業員の反応は「美味しいですけど…いつものリツさんのと、ちょっとだけ違いますね」という微妙なものだった。
二日目は、背伸びをして創作料理に挑戦した。しかし、食材の組み合わせが悪く、なんとも言えない味の料理が完成してしまい、大失敗に終わった。
「うぅ…私には、才能ないのかも…」
すっかり自信をなくし、厨房で一人膝を抱えるエリア。その時、彼女の脳裏に、ふと、遠い昔の記憶が蘇った。
それは、彼女がまだ故郷の獣人族の村で暮らしていた頃の思い出。森で駆け回って転んでしまい、泣きながら家に帰った日。母が、大きな鍋でコトコトと煮込んでくれた、温かいスープの記憶だ。
村で採れる数種類の木の実と、滋養のある根菜、そして森のキノコをたっぷり入れて煮込んだ、素朴なスープ。特別な材料は何も入っていない。けれど、そのスープを飲むと、不思議と体の痛みも、心の悲しさも、すうっと消えていくような気がした。母の愛情が、最高の隠し味だった。
「…そうだ。私には、私の味があるはずだ」
エリアは顔を上げた。リツさんの真似をする必要はない。私にしか作れない、私の料理を作ればいいんだ。
彼女はすぐに畑へ向かい、野菜を収穫した。そして、子どもの頃に母親が使っていた食材を思い出しながら、森で木の実やキノコを集めてくる。
厨房に戻ると、エリアは試行錯誤を始めた。リツから教わった、野菜の甘みを引き出すための炒め方。アクを丁寧に取り除き、スープを澄ませる技術。そして、故郷の母親が教えてくれた、木の実をすり潰してスープにコクを加える知恵。
リツの技術と、故郷の味が、エリアの中で一つに融合していく。何度も味見を繰り返し、塩加減を調整し、煮込み時間を変えてみる。そして、ついに彼女だけのスープが完成した。
琥珀色に輝くスープの中には、柔らかく煮込まれた根菜と、香り高いキノコがたっぷりと入っている。木の実はスープに溶け込み、優しいとろみと深いコクを生み出していた。
その日の夜、まかないとしてスープが食卓に並ぶと、従業員たちはその豊かな香りに驚きの声を上げた。
「エリアさん、これ、すごい良い匂いがしますね!」
一口飲んだ従業員たちは、皆、目を丸くした。
「おいしい…! すごく優しい味がする…」
「体の芯から温まるようです。なんだか、お母さんを思い出す味ですね」
スープは、あっという間に空になった。誰もが「おかわり!」と声を上げる。従業員たちからの大絶賛に、エリアの目にはうっすらと涙が浮かんだ。自分の料理が、みんなを笑顔にできた。その事実が、何よりも嬉しかった。
数日後、リツが旅から帰ってきた。長旅の疲れが見える彼に、エリアは「お帰りなさい!」と、例のスープを差し出した。
リツは、その香りをかいだだけで、目を見開いた。そして、一口飲むと、何も言わずに、ただ深く、味わうように目を閉じた。
やがて、ゆっくりと目を開けた彼は、最高の笑顔で言った。
「…うまい。これは、君にしか作れない、最高の味だ。俺には、作れない」
その言葉は、どんな賛辞よりもエリアの心に響いた。リツは、彼女が自分自身の力で、新しい一歩を踏み出したことを見抜いてくれたのだ。
「エリアの特製まかないスープ」。それは後に、《畑のテーブル》の正式なメニューには載らない、従業員と、特に親しい常連客だけが知る、心温まる裏メニューとして、仲間内だけで長く愛され続ける一品となった。
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