偽りの断罪で追放された悪役令嬢ですが、実は「豊穣の聖女」でした。辺境を開拓していたら、氷の辺境伯様からの溺愛が止まりません!

黒崎隼人

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06 氷解の兆し

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 リアムは、目の前に置かれたスープの器を、疑念に満ちた目で見つめていた。王都から来た女が作ったものだ。どんな企みがあるか分からない。そう思いながらも、彼はなぜかそれを退けることができなかった。

 彼女の、あまりにも真摯な瞳。そして、スープから立ち上る、素朴で温かい香り。それは、彼がもう何年も嗅いだことのない、優しい匂いだった。

 リアムは意を決したようにスプーンでスープをすくい、警戒しながらそっと口に含んだ。

 その瞬間、彼の凍てついたアイスブルーの瞳が、驚きに見開かれた。

 ――甘い。

 野菜の、優しい甘みが口いっぱいに広がる。カブはとろけるように柔らかく、ジャガイモはほくほくとしていて、滋味深い味わいがした。塩だけのシンプルな味付けが、逆に野菜本来の味を最大限に引き出している。何より、その温かさが、凍てついた体の芯までじんわりと溶かしていくようだった。

 こんなに美味しいものを、食べたことがない。

 彼は驚きを顔に出さないように努めながら、無言で、しかし止まることなくスプーンを動かし続けた。そして、あっという間に器の中のスープをすべて飲み干してしまった。

「……ごちそうさま」

 リアムは、それだけをぶっきらぼうに呟くと、空になった器をセレスティナの方へ押しやった。そして、まるで何事もなかったかのように、再び書類へと視線を戻す。

 しかし、セレスティナは彼の変化を見逃さなかった。空になった器を見て、彼女は小さく、しかし嬉しそうに微笑んだ。

「お口に合ったのなら、よかったです。また、作りますね」

 セレスティナが器を下げて書斎を出ていくと、部屋には再び静寂が戻った。リアムは書類に目を落としたまま、動かない。だが、その意識はもはや文字を追ってはいなかった。

 口の中に残る、優しい甘さと温かさ。そして、部屋を去る間際の彼女の、花が咲くような笑顔。
 それらが、リアムの心に、今まで感じたことのない奇妙な感覚を呼び起こしていた。彼の胸の奥深く、分厚い氷で覆われていた何かが、ピシリ、と小さな音を立ててひび割れたような、そんな感覚。

 その日を境に、リアムの態度に、ほんのわずかな変化が現れ始めた。
 相変わらず口数は少なく、態度は冷たい。しかし、セレスティナが作る食事には、必ず手をつけるようになった。硬い黒パンと干し肉だけの食卓に、温かい野菜スープや、蒸したジャガイモが加わる。それは、この灰色の城に灯った、ささやかな彩りだった。

 そして、リアムは時折、書斎の窓から、遠くに見える温室を静かに眺めるようになった。
 雪がちらつく中、小さな人影が二人、甲斐甲斐しく働いている。土にまみれ、額に汗しながらも、時折楽しそうに笑い合っている姿。

 特に、セレスティナ。公爵令嬢という身分でありながら、泥だらけになることも厭わず、一心不乱に土と向き合う姿。その姿は、リアムが今まで見てきたどんな貴族の令嬢とも違っていた。

 彼女はいったい、何者なのだろう。
 お飾りの厄介者。そう思っていたはずの存在が、気づけば彼の心を少しずつ占め始めている。リアムは、自分自身の心の変化に戸惑いながらも、その姿から目が離せなくなっている自分に気づいていた。

 分厚い氷が、ゆっくりと溶け始める。それはまだ、ほんのわずかな兆しに過ぎなかったが、確かに辺境の地に訪れた、春の足音のようだった。
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