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番外編「とある平和な日、もふもふを添えて」
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再翻訳戦争――と、後世に大げさに語られることになるだろう戦いから、1ヶ月ほどが過ぎた。
希望の谷は、その名の通り、希望に満ちた、平和な日々を取り戻していた。
***
そんな、ある晴れた日の午後。
僕は、自室の椅子に座って、読書に耽っていた。
この谷が豊かになるにつれて、交易で手に入る本の種類も増えてきた。知識欲を満たす時間というのは、僕にとって、何物にも代えがたい、至福のひとときだ。
コンコン、と。
控えめなノックの音がして、扉が、そろりと開かれた。
ひょこり、と顔を覗かせたのは、銀色の髪と、ぴこぴこと動く耳。ミナだった。
「カイリ、いる?」
「ああ、いるよ。どうした、ミナ?」
僕がそう言うと、ミナは、おずおずと、部屋の中に入ってきた。
そして、僕の足元に、ちょこんと座り込んだ。
「……あのね」
ミナは、何か言いたそうに、もじもじしている。
その手には、木の櫛が、大事そうに握られていた。
「ん?」
「……しっぽ、とかしてほしい」
ミナは、顔を真っ赤にしながら、上目遣いで、僕を見上げてきた。
その背後では、彼女の感情を正直に表すように、ふさふさの銀色の尻尾が、期待を込めて、ぱたぱたと揺れている。
『……これは、断れない』
僕は、読書を中断し、苦笑しながら、椅子から立ち上がった。
「分かった。おいで」
僕が床に座ると、ミナは、嬉しそうに、僕の前に、ちょこんと背中を向けて座った。
僕は、彼女から櫛を受け取り、その見事な銀色の尻尾を、優しく、梳かし始めた。
ミナの尻尾は、驚くほど、手触りが良かった。
柔らかくて、滑らかで、いつまでも触っていたくなるような、極上の感触。
これぞ、もふもふ、というやつだろうか。
「……ふぁ……」
僕が、丁寧に、毛並みを整えてやると、ミナは、気持ちよさそうに、喉を鳴らした。
その姿は、まるで、飼い主に甘える、子猫のようだった。
「ミナは、尻尾の手入れが、上手だな。いつも、綺麗にしてる」
「……うん。おかあさんに、おそわった。しっぽは、おんなのこの、いのちだって」
「命、か。大げさだな」
僕は、くすりと笑った。
「……でも、カイリにとかしてもらうのが、いちばん、きもちい」
ミナは、ぽつり、と、そんなことを言った。
その言葉に、僕の胸は、きゅん、と、甘く締め付けられた。
しばらく、無言のまま、僕は、ミナの尻尾を梳かし続けた。
部屋の中には、櫛が、柔らかな毛を梳く、サリ、サリ、という、心地よい音だけが響いている。
穏やかで、満ち足りた時間。
そんな、平和なひとときを、ぶち壊す声が、部屋の外から聞こえてきた。
「カイリ―!いるー?大変だよー!」
バン!と、勢いよく扉が開かれ、リリアが、息を切らしながら、部屋に飛び込んできた。
「どうした、リリア。そんなに慌てて」
「ど、泥棒だよ!畑に、泥棒が入ったの!」
「泥棒?」
僕は、眉をひそめた。
この、希望の谷に、泥棒が入るなんて、にわかには信じがたい。
この谷の住民は、皆、真面目で、心優しい人たちばかりのはずだ。
「どんな奴だったんだ?」
「それが……すっごく、小さくて、茶色くて、もじゃもじゃしたのが、たくさん!」
「……は?」
リリアの、要領を得ない説明に、僕は、首を傾げた。
小さくて、茶色くて、もじゃもじゃ……?
僕とリリア、そして、ミナも連れて、問題の畑へと駆けつけた。
畑の周りには、すでに、何人かの村人が集まって、騒いでいた。
そして、僕は、その「泥棒」の正体を見て、思わず、脱力してしまった。
畑の中で、僕たちが丹精込めて育てた人参を、一心不乱に、かじっているのは、十数匹の、野生のウサギだった。
どうやら、城壁の、どこか小さな隙間から、入り込んできたらしい。
「……これが、泥棒の正体か」
僕が、呆れて言うと、リリアは、ぷうっと、頬を膨らませた。
「笑い事じゃないよ!このままじゃ、畑の人参が、全部、食べられちゃう!」
確かに、彼女の言う通りだ。
このウサギたちは、僕のスキルで豊かになった、栄養満点の野菜の味を覚えてしまったのだろう。放っておけば、今後も、被害が拡大するかもしれない。
「よし、捕まえるぞ!」
村人たちが、網や袋を手に、ウサギたちを捕獲しようと、畑に駆け込んだ。
しかし、ウサギたちは、驚くほど、素早い。
ぴょんぴょんと、巧みに、人間たちの手をかいくぐり、逃げ回っている。
「くそっ!ちょこまかと、すばしっこい奴らめ!」
村人たちは、完全に、翻弄されていた。
「カイリ、何とかしてよ!あんたの、不思議な力でさ!」
リリアが、僕に、助けを求めてきた。
「やれやれ。こんなことに、スキルを使いたくはないんだがな」
僕は、ため息をつきながら、ウサギたちに、意識を集中させた。
『【再翻訳】、発動。対象、あの「野生のウサギたち」。翻訳後の概念は……』
さて、どうするか。
彼らを、傷つけるのは、本意ではない。
ただ、畑から、追い出すだけでいい。
『……そうだ。「この畑の人参は、実は、ものすごく苦くて不味い」という、揺るぎない認識』
僕が、スキルを発動した瞬間、ウサギたちの動きが、ぴたり、と止まった。
彼らは、今まで、美味しそうに、かじっていた人参を、くんくん、と疑わしそうに、匂いを嗅いでいる。
そして、おそるおそる、もう一口、かじった。
次の瞬間、ウサギたちは、まるで、毒でも食べたかのように、ぶるぶると、体を震わせた。
そして、口にした人参を、ぺっ、と吐き出すと、一目散に、脱兎のごとく、森の中へと逃げ帰っていった。
一匹残らず。
「……え?」
その、あまりにも、あっけない結末に、村人たちは、きょとんとしていた。
「……帰って、いった……?」
リリアが、不思議そうに、つぶやく。
「ああ。もう、2度と、この畑の人参を、食べに来ることはないだろう」
僕は、そう言って、笑った。
僕のスキルにかかれば、極上の人参も、世界で一番、不味い食べ物に、早変わりだ。
「……よく分からないけど、すごい……」
リリアは、感心したように、頷いていた。
一件落着。
僕たちは、安堵して、広場へと戻った。
すると、ミナが、僕の服の袖を、また、くいっと引っ張った。
「カイリ」
「ん?どうした、ミナ?」
「……さっきの、つづき」
ミナは、そう言うと、僕の前に、また、ちょこんと座り、背中を向けた。
その手には、いつの間にか、また、木の櫛が握られている。
そして、ふさふさの尻尾が、期待を込めて、揺れている。
どうやら、彼女は、尻尾ブラッシングの続きを、おねだりしているらしい。
僕は、その、あまりの可愛さに、抗うことができなかった。
「分かった、分かった」
僕は、苦笑しながら、櫛を手に取った。
隣では、リリアが、「あたしも、髪、梳かしてほしいなー」なんて、冗談を言っている。
平和だ。
本当に、平和な、一日だった。
こんな、何でもない、穏やかな日常。
もふもふと、ドタバタと、そして、優しい笑顔に満ちた、一日。
僕が、本当に、守りたかったものは、これだったのかもしれないな、と。
僕は、ミナの、温かい尻尾を梳かしながら、そんなことを、考えていた。
希望の谷は、その名の通り、希望に満ちた、平和な日々を取り戻していた。
***
そんな、ある晴れた日の午後。
僕は、自室の椅子に座って、読書に耽っていた。
この谷が豊かになるにつれて、交易で手に入る本の種類も増えてきた。知識欲を満たす時間というのは、僕にとって、何物にも代えがたい、至福のひとときだ。
コンコン、と。
控えめなノックの音がして、扉が、そろりと開かれた。
ひょこり、と顔を覗かせたのは、銀色の髪と、ぴこぴこと動く耳。ミナだった。
「カイリ、いる?」
「ああ、いるよ。どうした、ミナ?」
僕がそう言うと、ミナは、おずおずと、部屋の中に入ってきた。
そして、僕の足元に、ちょこんと座り込んだ。
「……あのね」
ミナは、何か言いたそうに、もじもじしている。
その手には、木の櫛が、大事そうに握られていた。
「ん?」
「……しっぽ、とかしてほしい」
ミナは、顔を真っ赤にしながら、上目遣いで、僕を見上げてきた。
その背後では、彼女の感情を正直に表すように、ふさふさの銀色の尻尾が、期待を込めて、ぱたぱたと揺れている。
『……これは、断れない』
僕は、読書を中断し、苦笑しながら、椅子から立ち上がった。
「分かった。おいで」
僕が床に座ると、ミナは、嬉しそうに、僕の前に、ちょこんと背中を向けて座った。
僕は、彼女から櫛を受け取り、その見事な銀色の尻尾を、優しく、梳かし始めた。
ミナの尻尾は、驚くほど、手触りが良かった。
柔らかくて、滑らかで、いつまでも触っていたくなるような、極上の感触。
これぞ、もふもふ、というやつだろうか。
「……ふぁ……」
僕が、丁寧に、毛並みを整えてやると、ミナは、気持ちよさそうに、喉を鳴らした。
その姿は、まるで、飼い主に甘える、子猫のようだった。
「ミナは、尻尾の手入れが、上手だな。いつも、綺麗にしてる」
「……うん。おかあさんに、おそわった。しっぽは、おんなのこの、いのちだって」
「命、か。大げさだな」
僕は、くすりと笑った。
「……でも、カイリにとかしてもらうのが、いちばん、きもちい」
ミナは、ぽつり、と、そんなことを言った。
その言葉に、僕の胸は、きゅん、と、甘く締め付けられた。
しばらく、無言のまま、僕は、ミナの尻尾を梳かし続けた。
部屋の中には、櫛が、柔らかな毛を梳く、サリ、サリ、という、心地よい音だけが響いている。
穏やかで、満ち足りた時間。
そんな、平和なひとときを、ぶち壊す声が、部屋の外から聞こえてきた。
「カイリ―!いるー?大変だよー!」
バン!と、勢いよく扉が開かれ、リリアが、息を切らしながら、部屋に飛び込んできた。
「どうした、リリア。そんなに慌てて」
「ど、泥棒だよ!畑に、泥棒が入ったの!」
「泥棒?」
僕は、眉をひそめた。
この、希望の谷に、泥棒が入るなんて、にわかには信じがたい。
この谷の住民は、皆、真面目で、心優しい人たちばかりのはずだ。
「どんな奴だったんだ?」
「それが……すっごく、小さくて、茶色くて、もじゃもじゃしたのが、たくさん!」
「……は?」
リリアの、要領を得ない説明に、僕は、首を傾げた。
小さくて、茶色くて、もじゃもじゃ……?
僕とリリア、そして、ミナも連れて、問題の畑へと駆けつけた。
畑の周りには、すでに、何人かの村人が集まって、騒いでいた。
そして、僕は、その「泥棒」の正体を見て、思わず、脱力してしまった。
畑の中で、僕たちが丹精込めて育てた人参を、一心不乱に、かじっているのは、十数匹の、野生のウサギだった。
どうやら、城壁の、どこか小さな隙間から、入り込んできたらしい。
「……これが、泥棒の正体か」
僕が、呆れて言うと、リリアは、ぷうっと、頬を膨らませた。
「笑い事じゃないよ!このままじゃ、畑の人参が、全部、食べられちゃう!」
確かに、彼女の言う通りだ。
このウサギたちは、僕のスキルで豊かになった、栄養満点の野菜の味を覚えてしまったのだろう。放っておけば、今後も、被害が拡大するかもしれない。
「よし、捕まえるぞ!」
村人たちが、網や袋を手に、ウサギたちを捕獲しようと、畑に駆け込んだ。
しかし、ウサギたちは、驚くほど、素早い。
ぴょんぴょんと、巧みに、人間たちの手をかいくぐり、逃げ回っている。
「くそっ!ちょこまかと、すばしっこい奴らめ!」
村人たちは、完全に、翻弄されていた。
「カイリ、何とかしてよ!あんたの、不思議な力でさ!」
リリアが、僕に、助けを求めてきた。
「やれやれ。こんなことに、スキルを使いたくはないんだがな」
僕は、ため息をつきながら、ウサギたちに、意識を集中させた。
『【再翻訳】、発動。対象、あの「野生のウサギたち」。翻訳後の概念は……』
さて、どうするか。
彼らを、傷つけるのは、本意ではない。
ただ、畑から、追い出すだけでいい。
『……そうだ。「この畑の人参は、実は、ものすごく苦くて不味い」という、揺るぎない認識』
僕が、スキルを発動した瞬間、ウサギたちの動きが、ぴたり、と止まった。
彼らは、今まで、美味しそうに、かじっていた人参を、くんくん、と疑わしそうに、匂いを嗅いでいる。
そして、おそるおそる、もう一口、かじった。
次の瞬間、ウサギたちは、まるで、毒でも食べたかのように、ぶるぶると、体を震わせた。
そして、口にした人参を、ぺっ、と吐き出すと、一目散に、脱兎のごとく、森の中へと逃げ帰っていった。
一匹残らず。
「……え?」
その、あまりにも、あっけない結末に、村人たちは、きょとんとしていた。
「……帰って、いった……?」
リリアが、不思議そうに、つぶやく。
「ああ。もう、2度と、この畑の人参を、食べに来ることはないだろう」
僕は、そう言って、笑った。
僕のスキルにかかれば、極上の人参も、世界で一番、不味い食べ物に、早変わりだ。
「……よく分からないけど、すごい……」
リリアは、感心したように、頷いていた。
一件落着。
僕たちは、安堵して、広場へと戻った。
すると、ミナが、僕の服の袖を、また、くいっと引っ張った。
「カイリ」
「ん?どうした、ミナ?」
「……さっきの、つづき」
ミナは、そう言うと、僕の前に、また、ちょこんと座り、背中を向けた。
その手には、いつの間にか、また、木の櫛が握られている。
そして、ふさふさの尻尾が、期待を込めて、揺れている。
どうやら、彼女は、尻尾ブラッシングの続きを、おねだりしているらしい。
僕は、その、あまりの可愛さに、抗うことができなかった。
「分かった、分かった」
僕は、苦笑しながら、櫛を手に取った。
隣では、リリアが、「あたしも、髪、梳かしてほしいなー」なんて、冗談を言っている。
平和だ。
本当に、平和な、一日だった。
こんな、何でもない、穏やかな日常。
もふもふと、ドタバタと、そして、優しい笑顔に満ちた、一日。
僕が、本当に、守りたかったものは、これだったのかもしれないな、と。
僕は、ミナの、温かい尻尾を梳かしながら、そんなことを、考えていた。
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