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【歴史の礎編】
第28話 終わりの始まりは唐突に ②
しおりを挟む「あの者たちは、ほんとうに逃げるのですか?」
ヒルデガルドの報告を聞き終えるや、セザールが疑わしいぞとカロスタークに詰め寄った。
帝国軍を包囲するリューイン軍の陣幕の中でのことだ。
カロスタークを始めとする首脳陣も、前線へと出陣して来ている。
「逃げるよ。指定した時間ギリギリに、ムダなほどの時間をかけてね」
逃げる必要など無いのだが、今回は退いてやる。
そう言わんばかりの虚勢を張ってのものになる。
そうカロスタークは分析していた。
「貴族というのは、めんどくさい生き物ですからね」
やれやれ、と首を振るのはラヴァルである。
真剣な目で睨みを利かせてくる。
厄介だぞ、と言いたいのだろうが、カロスタークは気にかけていなかった。
なぜなら・・・。
「貴族がなにを考えていようが、どうでもいいんだけどな」
そもそも相手にしていなかった。
「時間に猶予ができて、ありがたいくらいだし」
意味ありげな視線を、陣幕の端に送る。
視線を受けた相手が、一礼して出ていった。
◇
夜が明ける。
カロスタークの予言した通り、ベルーノはギリギリどころか少し遅れ気味で出発した。
全員が徒歩、しかも大概は巨大な荷物を背負っている。
馬を置いて行くからには荷馬車が使えない。
食糧他の荷物は全て、自分たちで背負うしかないのだ。
それをリューイン軍は列を作って見送った。
包囲した状態の中で細い道を作り、帝国遠征軍はそこを通り抜けていく。
無言、無表情の視線に曝されながら。
ベルーノは顔を上げて、悠々と歩いているかのように振る舞ったが、その実目がなにも見ていないことは明白だった。
誇大な自尊心を守るので精一杯。
他のことに意識が向かなくなっている。
多くの貴族や将軍もそうだった。
だが、それより下の者たちは違っていた。
敗北したとしても、恥じる理由が彼らにはなかったからだ。
恐れから顔を背ける者はいたが、大半は警戒の意味もあって周囲に目を向けていた。
万が一にもこれが罠なら、突然斬りかかってこられるかもしれない。
逃げる心づもりをしておくのは兵士の鉄則である。
だから、気が付いた。
自分たちを包囲する者たちの中に、見知った顔があることに。
雑兵たちの顔を覚えている者は皆無であったが、タバルとその部下や兵の顔ならば知っている者が多くいたのだ。
十五万からの兵が化け物どもに喰われた。
ベルーノの主張だが、実のところ信じ難い。
なんらかの条件提示を受けて寝返ったのではないか、下級兵士の間でそんな噂が広まっていた。
平然と立ち並ぶタバル隊の姿は、噂を肯定するものとなっている。
「条件って、なんだと思う?」
「わかるかよ!」
「いまなら、スープ一杯でも寝返る奴は寝返るだろうよ」
下級兵士の間で、声を抑えた囁きが交わされた。
「確かに」
気持ちはわかる。
飢えから逃れるためなら、人は殺しも厭わなくなる。
人殺しにならなくていい。
仰ぐ旗を変えるだけで、飢えを凌げるのなら容易いことだ。
「家と畑がもらえるらしいぞ」
辺りを気にしながら、一人の若い兵が口を開いた。
「は? なに言ってんだ、おまえ?」
周囲の兵が「おかしくなったのか?」そんな目を向ける。
「俺、タバル隊に同郷の先輩がいるんだよ」
呆れ顔だった周囲の兵士たちから、バカにするような空気が消えた。
「もしかして、話をしたのか?」
若い兵が頷く。
「昨日の昼だ。昼食の用意で川に水汲みへ行ったら、待ち構えていた」
そこでいろいろと聞かされたのだと告白した。
「だけど、家と畑はあり得なくないか?」
いくらなんでも、厚遇過ぎる。
「家はせいぜい二人で住める程度、畑も小麦を育てられるようなものではないそうだ」
それでも、食っていけるだけのものは手に入ると聞いていた。
「自分の家に畑か」
憧れを多分に含んだ呟きが漏れた。
一兵士の身分では、生涯かけても手の届かない夢。
いや、夢に見ることすら身に余る贅沢だ。
それが、手に入る?
「北王国の荒れた土地で開墾をさせたいってのが、リューイン軍を指揮してる奴の考えなんだそうだ」
「そういうことか」
荒れ果てた土地は何も産まない。
タダで分け与えてでも、開墾を推し進めれば食糧の確保が図れる。
荒れたままにしておくよりいいのだろう。
「今からでも、間に合うかな?」
「おい。本気か?」
乗ってみようと考え始めた兵に、仲間が問いただす。
「本気もなにも、状況を見ろよ。俺らがしょってる食糧は何日分だ? 一番近い南帝国の町。食糧を分けてもらえそうな町まで、十日以上かかるが間に合うか?」
「間に合わねぇな」
背負っている食糧は、多く見積もったとしても五日分といったところだ。
しかも、幹部連中は手ぶらで、減量支給なんて意に介さない。
間違いなく食糧は尽きる。
残ったものを取り合って争う未来が、容易に想像できた。
「今からでも、たぶん間に合う」
若い兵士が言って、後ろを振り返った。
監視しているのか、リューイン軍の中から一隊がついてきている。
背後からの襲撃もあるかと緊張が走った。
しかし。
「タバル隊だ」
僚友だった部隊であると気付いて、過度の力が抜けていく。
今は敵だとしても、見知らぬ他国の兵士よりは安心できる。
話もしやすい。
「い、今からでも駆け込むか?」
「バカ! 周りを見ろ!」
十五万から一万弱。
数を見ればかなり減ったが、一万とて通常で見ればかなりの数なのだ。
集団監視の中での逃亡は無謀だった。
「夜になってからだ」
「わかった」
兵士たちの間で、寝静まってからの脱走が計画されていく。
「見事だな」
静かに呟きを漏らすのはタバルだ。
月明かりの中、部下たちが忙しなく動き回っている。
夜陰に紛れて脱走してくる帝国遠征軍兵士が後を絶たず、対応に追われているからだ。
予想はされていた。
誘いもかけさせたし、これ見よがしに後方を行軍して見せたのもこのためなのだから。
それでも、これほどかとの驚きを持たずにはいられない。
脱走兵の数は二千を超えるだろう。
「見事だな」
もう一度呟いて、タバルは目を閉じた。
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