253 / 261
【歴史の礎編】
第29話 手から砂が零れるがごとく ①
しおりを挟む「どういうことだ?」
「・・・」
朝、呆然として問いを投げるベルーノに、幹部たちは沈黙で応えた。
目前には、無人の天幕が並んでいる。
武器も、食糧すらも置き捨てて、兵士たちが消えていた。
いや、逃げていた。
争った形跡はない。
すべてがキッチリと整理された陣営から、兵士だけがいないのだ。
逃走したことを疑う余地なんてない。
「どうなっているのだ!?」
ベルーノが喚きだしたが、応える者はいない。
失望感と徒労感だけが漂った。
それでも、彼らは脱走を選ぶことができなかった。
地元に家族を残している。
ここで逃げたのでは、家族の安全が危うくなるのだ。
さりとて、ベルーノともども帰ったとしても、未来に展望はない。
幹部たちのほとんどが、生きて帰ることを諦めていた。
敵と戦って死ぬ以外の道を見出すことができなかったのである。
「もしくは、飢え死にもあり得るか」
故郷への長い道程を思い、幹部の一人は笑みを浮かべた。
死の予感で漂白された笑みを。
◇
朝。
リューイン軍の陣営では、盛大に朝食の準備が進められている。
「『投降して来た兵は3000を超えています。ご指示通り、兵を続けることを希望する者は隊に加え、辞めたいという者は遺棄された天幕とともに残して追尾を続けます』とのことです」
タバルからの伝言をファルケが届けてくれた。
「なにもせず、追尾するだけで敵戦力の三割を無力化したわけだな」
ふむふむとラヴァルが感心している。
これについては、間違いなく『なにも』だから守銭奴・・・もとい、商人も言うことがないのだ。
「今後も続いてくれると助かるね。ともかく、出発前に幸先の良いことだ」
満足そうに微笑み、カロスタークはカリカリに焼き上がったパンを頬張った。
◇
その頃、本隊の惨状を知らぬまま、合流を急ぐ帝国軍の部隊があった。
食糧の買い出しのため、アートルダム国へと行っていたエルウィン隊である。
食糧の買い付けはうまくいった。
安いとまでは言わないが、そこそこの値で取引ができた。
荷馬車は全て食糧でパンパン。
無事に任務遂行を成し遂げ、意気揚々と部隊を進めている。
そのエルウィンの目に友軍の姿が映った。
歩兵ばかりの部隊のようだが、きちんと帝国軍の軍旗を掲げている。
「ずいぶんな余裕を見せてくれるじゃないか。お出迎えとはね」
十五万もの兵を敵地に送り込んでいるものと思い込んでいるエルウィンに、目の前の味方がそう見えたのは無理からぬことであっただろう。
「よっぽど食糧が欲しいんだね」
クスクスと笑うこともできた。
だが、その笑いは長く続くことなく、エルウィンは顔を引き攣らせることになる。
◇
ベルーノが追撃を受けることはなかった。
元皇女との約定通りに。
しかし・・・。
「クソが!」
冷静さを売りにすべき秘書官が、罵声を吐き捨てた。
確かに攻撃はされていない。
攻撃は。
それでも、その気になりさえすれば即時に攻撃へ移れる、そんな位置で敵軍が追尾し続けてくる。
しかも、ついてきているタバルの部隊が、昨日は1500程だったのに今や2800ぐらいに増えているのだ。
こちらは、2500・・・いや、3000以上も減っているのに。
兵力差が縮まっているということだ。
こちらから逃げた兵力の七割以上を吸収しているものと思われる。
だとしたら、明日には逆転しているかもしれない。
そう思うと気が気ではない。
気力をガリガリと削られているのが、否応なしに実感させられていた。
罵声を吐きたくもなる。
自分ですらそうなのだ。
ベルーノの心情はいかばかりか。
秘書官の視線に気が付くこともなく、ベルーノは表情のなくなった顔で歩いている。
その姿はまるで死人だ。
戦ってもいないのに兵が減っていく。
ベルーノには理解できないことが起きていた。
最初の十五万を化け物どもに喰われたと認識したがゆえに、ベルーノの中では夜な夜な化け物どもが現れて、人を骨も残さず喰らう妄想が渦巻いていた。
戦って雑兵たちが死んでいくことには痛痒を感じなかったであろうベルーノだが、姿の見えない化け物が兵を喰らっているとの妄想には恐怖した。
次は自分かもしれないのだ。
考えたくなどないのに、厭な考えばかりが頭に浮かぶ。
歩いてばかりで、気を紛らすものがないせいだ。
ベルーノの精神は、自分が妄想の中で生み出した化け物と対峙し続けることで摩耗していく。
この人はもう、長くないな。
秘書官は頭を振って、主君を見限った。
歩調を緩め、後方へと下がっていく。
以前から意を通じている兵士の一団がいるのだ。
万が一のときには、彼らと逃げる算段である。
秘書官の考えも、逃亡兵のものと同じだったのだ。
このままでは先がないと。
生き残る可能性があるとするならば、リューイン軍への投降だけだと。
あとはタイミングを待とうとしていた。
そんな状態だったから、それが起きたとき彼は部隊の後方にいて、止めることができなかった。
止めようとはしたのだが、間に合わなかったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
老婆令嬢と呼ばれた私ですが、死んで灰になりました。~さあ、華麗なる復讐劇をお見せしましょうか!~
ミィタソ
恋愛
ノブルス子爵家の長女マーガレットは、幼い頃から頭の回転が早く、それでいて勉強を怠らない努力家。さらに、まだ少しも磨かれていないサファイアの原石を彷彿とさせる、深い美しさを秘めていた。
婚約者も決まっており、相手はなんと遥か格上の侯爵家。それも長男である。さらに加えて、王都で噂されるほどの美貌の持ち主らしい。田舎貴族のノブルス子爵家にとって、奇跡に等しい縁談であった。
そして二人は結婚し、いつまでも幸せに暮らしましたとさ……と、なればよかったのだが。
新婚旅行の当日、マーガレットは何者かに殺されてしまった。
しかし、その数日後、マーガレットは生き返ることになる。
全財産を使い、蘇りの秘薬を購入した人物が現れたのだ。
信頼できる仲間と共に復讐を誓い、マーガレットは王国のさらなる闇に踏み込んでいく。
********
展開遅めですが、最後までお付き合いいただければ、びっくりしてもらえるはず!
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
乙女ゲームに転生するつもりが神々の悪戯で牧場生活ゲームに転生したので満喫することにします
森 湖春
恋愛
長年の夢である世界旅行に出掛けた叔父から、寂れた牧場を譲り受けた少女、イーヴィン。
彼女は畑を耕す最中、うっかり破壊途中の岩に頭を打って倒れた。
そして、彼女は気付くーーここが、『ハーモニーハーベスト』という牧場生活シミュレーションゲームの世界だということを。自分が、転生者だということも。
どうやら、神々の悪戯で転生を失敗したらしい。最近流行りの乙女ゲームの悪役令嬢に転生出来なかったのは残念だけれど、これはこれで悪くない。
近くの村には婿候補がいるし、乙女ゲームと言えなくもない。ならば、楽しもうじゃないか。
婿候補は獣医、大工、異国の王子様。
うっかりしてたら男主人公の嫁候補と婿候補が結婚してしまうのに、女神と妖精のフォローで微妙チートな少女は牧場ライフ満喫中!
同居中の過保護な妖精の目を掻い潜り、果たして彼女は誰を婿にするのか⁈
神々の悪戯から始まる、まったり牧場恋愛物語。
※この作品は『小説家になろう』様にも掲載しています。
ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です
山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」
ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。
靴を落としたらシンデレラになれるらしい
犬野きらり
恋愛
ノーマン王立学園に通う貴族学生のクリスマスパーティー。
突然異様な雰囲気に包まれて、公開婚約破棄断罪騒動が勃発(男爵令嬢を囲むお約束のイケメンヒーロー)
私(ティアラ)は周りで見ている一般学生ですから関係ありません。しかし…
断罪後、靴擦れをおこして、運悪く履いていたハイヒールがスッポ抜けて、ある一人の頭に衝突して…
関係ないと思っていた高位貴族の婚約破棄騒動は、ティアラにもしっかり影響がありまして!?
「私には関係ありませんから!!!」
「私ではありません」
階段で靴を落とせば別物語が始まっていた。
否定したい侯爵令嬢ティアラと落とされた靴を拾ったことにより、新たな性癖が目覚めてしまった公爵令息…
そしてなんとなく気になる年上警備員…
(注意)視点がコロコロ変わります。時系列も少し戻る時があります。
読みにくいのでご注意下さい。
【連載版】婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
短編では、なろうの方で異世界転生・恋愛【1位】ありがとうございます!
読者様の方からの連載の要望があったので連載を開始しました。
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
※連載のためタイトル回収は結構後ろの後半からになります。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる