風のアモール 

葉月奈津・男

文字の大きさ
5 / 23

第5話 めぐり逢い ①

しおりを挟む
 

 《小竜亭》を逃げ出した三人は、そのままマルコの寝ぐらへと向かった。

 港の古い貨物置き場。
 今は使われていないらしく、何もない広々とした空間だった。
 けれど、見通しが良く、誰かが近づけばすぐに気づける。
 マルコにとっては、身を守るには最適な場所だった。

 掃除も行き届いていて清潔感がある。
 ゆらゆらと洗濯物が揺れているのはご愛敬だろう。

「・・・?」

 ふと、シレーネが首を傾げる。
 洗濯物の中に、あるはずのものがない。
 そんな表情だ。

「ごめんね、お兄ちゃんたち。僕のせいで巻き込んじゃって・・・」

 マルコがうなだれて謝る。
 その手がさりげなく、布の塊を握りこんでいた。
 ちらりと見えたレースの端に、シレーネは目を細める。

「気にしないで。あたしたちが勝手に手を出したんだから。でも、あの人たちって・・・いったい何者なの?」

 シレーネの問いに、マルコは少し黙っていた。
 やがて、意を決したように話し始める。

 あの三人組は、最近この街に現れた海賊。
 港に出入りする中型商船ばかりを狙う、いわば『二流以下』の連中らしい。

 寒波で流氷が増え、船腹に穴が開いて沈没。
 それでも運良く生き延びて浜辺に打ち上げられた彼らは、新しい船を手に入れるため、必死に金を集めている。

 船がなければ海賊じゃない。
 かといって、山賊に転職できるほど器用でもない。
 結局、船を失った海賊なんて、ただの山猿と変わらない。

 だから彼らは、《安心税》と称して港の商人たちから無理やり利益の三割を巻き上げている。
 三人組は、その集金係——つまり、使い走りの下っ端だった。

「まずいな・・・そんな連中を敵に回したら、俺たちの計画にも影響が出るかもしれない」

 アモールがぽつりと呟く。
『計画』とは、もちろん北の大陸への上陸のことだ。

「・・・北の大陸に渡りたいんだよね? だったら、僕が案内してあげるよ。今なら、安全に渡れるはずだから」

 マルコがさらりと言ったその一言に、アモールとシレーネは思わず身体を固くする。

「な、なんで・・・北の大陸に行くって・・・?」

 焦りながら尋ねるアモールに、マルコは笑顔で答える。

「さっきも言ったでしょ? この街は、北の大陸に渡る冒険者と商人でできた街なんだ。 わざわざ歩いて来る人なんて、冒険者か一山当てたい商人くらい。お兄さんたちは、どう見ても商人じゃないから、たぶんそうかなって思っただけだよ」

 楽しそうに笑うマルコ。
 でも、シレーネとアモールの胸中は複雑だった。

 ——こんな少年にまで見透かされるなんて。

 落ち込みそうになる二人をよそに、マルコは話を続ける。

 カリスの街から半日ほど北東に、小さな半島がある。
 そこから北の大陸までの数キロが、年に一度だけ凍りつくことがあるという。

 潮流に乗って集まった流氷がぶつかり合い、結合してできる『氷の道』。
 今年は寒波の影響で、例年よりも広く厚く凍っているはずだと、マルコは言う。

「ただし・・・帰ってこられるかどうかは、保証できないよ。渡った人の話はよく聞くけど、無事に戻ってきた話は、あまり聞かないからね」

 それでも——

 シレーネは、行かなければならない。

【北へ】

 その言葉が、彼女の心を強く引き寄せていた。



 翌朝、太陽が東の空に顔を出す頃——シレーネ、アモール、マルコの三人は、半島の先端に立っていた。

 目の前には、遥か遠くの黒い大陸へと続く、白い氷の道が横たわっている。
 氷の道は、まるで空に浮かぶ橋のようだった。
 白い光が、足元から空へと吸い込まれていく。

 三人の足元には、無数の氷の破片が重なり合い、白く輝く道を形作っていた。
 踏みしめるたびに、パキッ、パキッと乾いた音が響く。
 その音が、どこまでも静まり返った氷原に吸い込まれていく。

「お兄さんたちが何を探してるのか知らないけど、遺跡に行くつもりなら・・・無駄足になるかもよ」

 先頭を歩きながら、マルコが顔だけ後ろに向けて言った。

「遺跡があるの!?」

 シレーネとアモールが同時に叫ぶ。

「うん。母さんが見たんだって。氷の海を渡って、大陸に足を踏み入れたとき——石造りの街を見つけたって。でも、厚い氷に囲まれてて、中には入れなかったらしい。氷を掘る道具を持ってなかったからね」

「その場所、わかってるの?」

 興奮気味にシレーネが尋ねる。

「もちろん。だから僕が案内してるんだよ」

 マルコは、何を今さらという顔で答える。
 そういえば、今朝マルコが用意した荷物の中に、ツルハシとスコップがあった。
 それが『探検』のための装備だと、気づくべきだったのだ。


 冷えきった風が、遮るもののない氷の道を吹き抜ける。
 空気中の水分はほとんどが氷の粒となり、顔に叩きつけられる。
 潮の花も舞い、三人の服も顔も、塩と霜にまみれて白く染まっていく。

 誰も言葉を発さない。
 この状況で話すことは、体力の無駄遣いだからだ。

 そして——その判断が正しかったことが、すぐに証明される。

 風が止んだ。  
 さっきまで吹き荒れていた冷気が、まるで何かを恐れて息を潜めたように、ぴたりと止まった。
 シレーネが思わず足を止める。

「・・・なんか、変じゃない?

 アモールが、広がる氷の道をゆっくりと見渡す。
 彼も感じていた。

 ・・・何かがおかしい。

 漠然とした違和感。
 背筋に冷たいものが走る。

「これは・・・殺気?」

 明確な敵意。
 だが、どこから?

「まさか・・・」

 アモールは自分の疑念を否定しようとする。
 けれど、狩りの旅で培った第六感が告げていた。

 ——殺気は、足元の氷の中から。

 その足元を気にしているのが、もう一人。
 マルコが立ち止まり、氷の地面を見つめている。

「・・・変だな。真ん中なのに・・・薄い? ・・・」

 厚みのバランスがおかしいと、首を傾げている。

「マルコ、この辺りで人を襲う生き物って、何か心当たりあるか?」

「うーん・・・雪影、氷走り、氷女グモくらいかな」

 アモールの記憶にも、それ以上はなかった。
 でも——この殺気は、明らかに異常だった。

「その程度の奴が、これほどの殺気を放つとは思えねぇが・・・」

 バキッ、と氷が割れる音が響いた。
 足元がわずかに揺れ、冷気が一層濃くなる。

 足元から、かすかな振動が伝わってきた。
 まるで、何かが目覚める音のように。

「ッ! シレーネ、マルコ! 気をつけろ、来るぞ!!」

 アモールの叫びと同時に——氷の道から、何かが飛び出した。

 それは、見たこともない異形の怪物だった。

 足はなく、蛇のような鱗に覆われた下半身。
 剥き出しの脳のような頭部から、ギョロリと飛び出した一つ目。
 長く細い腕の先には、刃のような鈎爪。

 この世のものとは思えない姿。

 怪物の鈎爪が、アモールに向かって伸びる。

 アモールは反射的に後方へ跳び、空振りした怪物の右腕に斬りかかる。
 バランスを崩した怪物に、容赦なく斬撃を浴びせる。

 怪物はよろめき、後退。
 反撃する力も残っていない——

 だが、終わっていなかった。

 怪物は、残された力を振り絞って跳躍する。
 狙いは——マルコ。

「わっ!」

「マルコっ!!」

 アモールとシレーネの脳裏に、最悪の光景が過る。
 振り下ろされる鈎爪。
 飛び散る血。
 倒れ伏すマルコ——

 けれど、それは現実にはならなかった。

 マルコは、間一髪で鈎爪を躱していた。

 怪物は、シレーネの方を一瞬だけ見て——氷の中へと潜り、姿を消した。
 その目は、彼女の奥底を見透かすようだった。
 まるで、何かを『確かめた』かのように。

 シレーネは、その視線の意味を測りかねていた。
 けれど、胸の奥に、冷たい何かが沈んでいくのを感じた。

「マルコ、無事か!?」

 アモールが駆け寄り、立ち上がろうとするマルコに手を貸す。

「うん、かすっただけだよ」

 その言葉に、ほっとしつつ、アモールは思わず手を離しそうになる。

「マ、マルコ・・・おまえ・・・!」

「えっ・・・あっ・・・!」

 裂けた服の隙間から、わずかに覗いた膨らみかけの小さな胸。

「お、おまえ・・・女だったのか?」

 マルコは答えなかった。
 うつむいたまま、目を合わせようとしない。

 うつむいたマルコの肩が、わずかに震えていた。
 寒さではない。
 心の奥に触れられた痛みだった。

 怒り、戸惑い、哀しみ——さまざまな感情がせめぎ合い、何を言えばいいのか、わからないようだった。

 風が再び吹き始めた。
 誰も言葉を発さなかった。
 ただ、氷の道の先に、まだ見ぬ答えがあることだけは、三人とも感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さくら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

転生令嬢と王子の恋人

ねーさん
恋愛
 ある朝、目覚めたら、侯爵令嬢になっていた件  って、どこのラノベのタイトルなの!?  第二王子の婚約者であるリザは、ある日突然自分の前世が17歳で亡くなった日本人「リサコ」である事を思い出す。  麗しい王太子に端整な第二王子。ここはラノベ?乙女ゲーム?  もしかして、第二王子の婚約者である私は「悪役令嬢」なんでしょうか!?

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを 

青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ 学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。 お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。 お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。 レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。 でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。 お相手は隣国の王女アレキサンドラ。 アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。 バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。 バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。 せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました

処理中です...