風のアモール 

葉月奈津・男

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第6話 めぐり逢い ②

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「・・・そうだよ。男のふりしてたこと、怒ってるんでしょ?」

 マルコはうつむいたまま、ぽつりとつぶやいた。

「でも、どうしても見たかったんだ。母さんが見た遺跡を。街の人は誰も信じてくれなかったけど・・・あたしは信じてる。だから、自分の目で確かめたかったんだよ」

 その声は、どこか大人びていた。
 母を早くに亡くし、父は年に数えるほどしか帰ってこない。
 広い街で、たった一人で生きてきた少女の言葉だった。

「・・・男でも女でも、マルコはマルコだ。気にしないって言ったら嘘になるけど・・・気にしたところで、おまえが男になるわけじゃないだろ?」

 アモールはそう言って、そっと外套をマルコにかけた。

『少年』が『少女』になったところで、大して変わらないよ。
 そんな態度を崩さない。
 考えてみれば、子供を案内人にしている時点で、本来なら非難されてしかるべきだ。
 その自覚は、彼の中にちゃんとあった。

 ふと見ると、後方に控えていたシレーネがこちらを見ていた。
 その微笑みが、一部始終を聞いていたことを物語っている。

 マルコが女性であることへの驚きもないようだ。
 同性同士、気づきがあったのかもしれない。


 ——それなら、教えておいてほしかった。

 そうしたら、もう少し気づかいができたかもしれない。

「・・・さて。着替えたら出発だ。こんな場所でのんびりしてる余裕はない。さっきの怪物が仲間を連れて戻ってくるかもしれないしな」

「うん!」

 マルコは荷物を抱えて、氷山の陰へと姿を消す。
 その背中を見送るアモールのもとへ、シレーネが近づいてきた。

「・・・いいこと言うじゃない。でも、あたしは八方美人な男って、ちょっと苦手」

 クスクスと笑ったあと、シレーネの表情が真剣になる。

「あの怪物・・・心当たりある?」

「・・・残念ながら、俺の知り合いにはいないタイプだったな」

 冗談めかして言いながらも、アモールの目は笑っていなかった。

「あんなの、見たことも聞いたこともない。とても自然に生まれた生き物とは思えない。・・・考えたくはないけど、誰かが『造った』のかもな。人間技じゃないけどさ」

『怪物を造る』—— それは、かつて神々と交わっていた時代に存在した魔術師たちの伝説。
 もしそれが現実なら、神に匹敵する力を持つ何者かが、今も存在しているということになる。

 そして、そいつは——確実に、彼らの行く手に立ちはだかる。

 その想像を前に、二人は沈黙した。
 何を言っても、暗い結論にしかならないとわかっていたから。

 そこへ、着替えを終えたマルコが戻ってくる。


「・・・行きましょう。ここで考えても、答えは出ないわ」


 シレーネの言葉に、三人は再び氷原の旅へと足を踏み出した。

     ◇

 その後は、何の障害もなく進むことができた。
 けれど三人とも、それが『静けさ』ではなく『異様な気配』であることを肌で感じていた。


 北へ進むにつれ、鳥肌が立つ。
 それは冷気ではない。
 霊気に近い、何か得体の知れないものに対する、本能的な拒絶反応だった。

 生き物が長居できる場所ではない。
 意志ある者だけが、足を踏み入れる場所。

 どこを見ても、灰色の世界が広がっていた。

 三人は、ついに氷の道を踏破し——遥かなる北の大陸に足を踏み入れた。

 マルコの母が語った《遺跡》は、三十を超える《白き竜》の中でも、特に巨大な七つの竜に囲まれた平原にあるという。

 そして今、彼らの目の前には——確かに《白き竜》が荒れ狂っていた。

 七つの巨大な竜巻が、中央の平原を取り囲んでいる。
 その中心に、遺跡らしき影が見えた。

 だが——

「・・・どうやって行けばいいの?」

 シレーネが呟く。

 平原は、海抜五百メートル近い山の頂上にあった。
 まるで、大地が削り取られ、遺跡だけが残されたかのように。

 それはつまり、遺跡が『何かの力』によって守られているということ。

「まぁ、素直に入れるとは思ってなかったけどな・・・マルコ、おまえの母さんは、どうやってあそこに行ったんだ?」

 アモールが尋ねる。

 けれど、マルコは首を横に振るだけだった。

「・・・わからない。母さん、詳しく話してくれなかった。まさか、あたしがここまで来るなんて思ってなかったんだろうし・・・それに、あんなに早く死んじゃうなんて、思ってなかったんだよ」

 風が、静かに吹き抜ける。

 三人の視線は、灰色の空の下、竜巻に囲まれた遺跡へと向けられていた。

「・・・ただ、この話をするとき、母さんが必ず言ってた言葉があるんだ」

 マルコは、幼い頃の記憶を必死にたぐり寄せながら口を開いた。

「『目に見えるだけが真実とは限らない。目に見えないところにも、真実はある』って」

 まるで、伝説に出てくる謎かけのような言葉だった。

「うーん・・・俺、昔から謎解きって苦手なんだよなぁ。シレーネ、君はわかるかい?」

 アモールが苦笑まじりに尋ねるが、シレーネは無言だった。
 問いを無視したわけではない。
 ただ、自分の考えに夢中で、耳に入っていなかったのだ。

 シレーネは、答えを探していた。
 目に見えない何か——それが、ずっと彼女を導いている気がしていた。

 この先に、何かがある。
 確信ではない。
 ただ、心の奥で誰かが頷いている気がした。

「・・・もしかしたら、目に見えるものばかりに気を取られて、大事な何かを見逃してるのかも。・・・もう少し、近くまで行ってみよう」

 三人はすでに《白き竜》の結界ギリギリまで近づいていた。
 これ以上進めば、竜巻の影響下に入る。

 それでも、シレーネは歩き出した。
 この旅が危険なものであることは、最初から覚悟していた。
 立ち止まるつもりなど、なかった。

 もちろん、アモールもマルコも同じだった。
 すぐに彼女の後を追う。

 《白き竜》—— それは、氷雪を巻き込んで吹き荒れる巨大な竜巻。
 だが、その動きはまるで意志を持つかのようで、人々は畏れと敬意を込めて、そう呼んだのだった。

 竜巻の中心から、かすかな光が漏れていた。
 まるで、何かが呼吸しているように。

「こっちだよ」
 マルコに促され、再び歩き出す。


 近づくにつれ、山の姿がはっきりと見えてくる。
 頂上を地上と平行に切り取られたような、正確すぎる円錐形。
 自然の造形とは思えない、何者かの意志を感じさせる形だった。

 三人は、地を這うようにして竜巻の隙間を抜け、ついに山の表面に手が届く距離までたどり着いた。

 その表面は驚くほど滑らかで、登るための突起もない。
 ピッケルを打ち込もうとしても、凍りついた土はそれを拒み、人の侵入を許そうとはしなかった。

「ね、ねぇ・・・これって、血じゃない?」

 疲れた様子で足元を見ていたマルコが、赤黒い染みを指さす。

「・・・ああ、確かに血だ。でも、なんでこんな場所に・・・?」

 血痕は、山の外周を左回りに続いていた。
 三人は、無言のままその跡を追って歩き出す。

 三十分ほど進んだ先で、血の跡は途切れた。
 代わりに、地面にぽっかりと開いた穴が現れる。

 大人が腹ばいになって、ようやく入れるほどの狭さ。
 中は真っ暗で、どこまで続いているのかもわからない。

 穴の奥から、湿った土と鉄の匂いが漂ってきた。
 空気が重く、息をするだけで胸が圧迫されるようだった。

「俺が行こう」

 アモールが前に出る。

「だめよ。アモールがやられたら、誰が戦うの? あたしが行く」

 シレーネが制するが、足元はわずかに震えていた。

「無理しないで。あたいが行くよ」

 マルコが、明るい声で言った。

「身体も小さいし、小回りもきく。ロープを足に巻いて降りるから、何かあったら二人で引っ張って。ね?」

 その声は、あまりにも自然で、頼もしかった。
 アモールとシレーネは、何か言いかけたが——その声の前では、どんな否定も意味をなさなかった。

「怖くないわけじゃない。でも、母さんが見た景色を、あたしも見たい」

「・・・わかった。 でも、何かあったらすぐ叫べ。いいな?」

「うんっ!」

 マルコは右足にロープを巻きつけ、頭から穴へと滑り込んでいく。
 その小さな背中が、闇に吸い込まれていった。

 アモールとシレーネは、ロープの動きを見つめながら、祈るような気持ちで待ち続けた。

 不安な時間が、永遠にも思えた。
 


 ——二十分後。

 ロープの動きが止まり、下からくぐもった声が届く。
 はっきりとは聞き取れなかったが、少なくとも悲鳴ではなかった。

「・・・行こう」

 シレーネが先にロープを手に取り、穴へと身を滑らせる。
 アモールはロープをしっかりと固定しながら、後に続いた。

 この穴が、唯一の逃げ道になるかもしれない。
 だからこそ、慎重に、確実に。

 三人は、未知の地下へと足を踏み入れた。

 二人の背中を見つめながら、アモールはそっと剣の柄に手を添えた。
 何があっても、守ると決めていた。



 闇の奥で、何かが蠢く気配がした。
 風も届かぬはずの地下から、かすかな囁きが聞こえた気がした。
 言葉ではない、けれど意味を持つ何かが。

 三人はまだ、それに気づいていなかった。
 それは、長い眠りから目覚めたばかりの何か。
 三人の足音が、その存在を呼び覚ましていた。
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