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第7話 めぐり逢い ③
しおりを挟む穴を降り切ったとき、アモールの目に飛び込んできたのは——青ざめた顔のシレーネとマルコだった。
二人に近づくにつれ、彼女たちが見ているものが、アモールにも見えてくる。
そして、追いついた瞬間——彼もまた、言葉を失った。
そこは、ドーム状の氷の広場だった。
広場の中心には、螺旋状に削られた坂が上へと伸びていた。
けれど、彼らの足を止めたのは、それではなかった。
坂に沿って、氷の壁に埋め込まれていたもの——それこそが、彼らの心から勇気を奪い去った。
音がなかった。
息をする音さえ、氷に吸い込まれていくようだった。
「・・・人間、か?」
アモールが、絞り出すように呟く。
氷の壁に埋め込まれていたのは、紛れもない人間だった。
鎧をまとい、剣を構えた剣士。
ローブを着て、杖を持った魔術師。
神官、吟遊詩人——
すべて、冒険者たちだった。
そして、全員が額と胸に穴を穿たれていた。
計画的に殺され、意図的に並べられている。
それは、墓ではなかった。
「・・・女はいないんだね」
意外にも冷静だったのは、マルコだった。
幼い頃から、北の大陸へ渡る冒険者を見送り、その多くが帰ってこないことを知っていた。
この旅に対する覚悟は、三人の中で一番できていたのだ。
「こんなところに突っ立ってたら、あたいらまで氷づけになっちゃうよ。先に進もう」
声は明るかった。
でも、握りしめた拳は、わずかに震えていた。
その声がなければ、三人は本当に凍りついていたかもしれない。
アモールとシレーネは、光に吸い寄せられる虫のように、マルコの声に導かれて歩き出す。
螺旋の坂を上り切ったとき——彼らの目に飛び込んできたのは、床一面に散らばる武器の残骸だった。
剣、杖、戦斧——どれも、砕けたように壊れていた。
折れた、ではない。
まるで、何かに叩き潰されたような壊れ方だった。
「・・・なんなの? これ」
シレーネが、足元に注意しながら問いかける。
その答えは、すぐに見つかった。
彼らの行く手を遮るもの——厚さ三メートルにも及ぶ、半透明の氷の壁。
その向こうには、ぼんやりと石造りの街が見えていた。
まるで時が止まった――凍り付いたかのような静けさが漂っている。
「これが・・・母さんの言ってた遺跡だ。やっぱり、母さんは正しかったんだ!」
マルコの声が、氷の壁に吸い込まれるように響いた。
その静けさは、まるで街そのものが、彼女の言葉に耳を傾けているかのようだった。
壁の中心部には、比較的薄い部分があり、そこが一メートルほど削り取られていた。
床に散らばる武器の残骸は、ここまでたどり着いた冒険者たちが、壁の向こうへ行こうとして果たせなかった証だった。
「・・・さてと。じゃあ、事前情報の恩恵にあずかるとしようか。マルコ、ツルハシ」
アモールが手を差し出す。
三人の目の前には、氷の壁。
その向こうには、誰も踏み入れたことのない遺跡が、静かに待っていた。
四十分後。
氷の壁には人が出入りするには十分すぎるほどの穴が開いていた。
厚さ一メートルとはいえ、所詮は氷。
岩盤を砕くために作られたツルハシの前では、時間の問題だった。
壁の内側は、意外にも清浄な空気に満ちていた。
数千年もの間、閉ざされていたはずなのに、淀みは感じられない。
だが、廃墟であることは間違いなかった。
建物は崩れ、倒れ、まともな形を保っているのは、街の反対側に寄り添うように立つ石造りの塔だけだった。
「迷うまでもないな。サクサク行こう」
三人は、瓦礫の街を横切り、塔の前に立つ。
扉はすでに朽ち果て、原形を留めていなかった。
「マルコ、シレーネでもいい。何か布切れ、持ってないか? このままじゃ、埃で息が詰まりそうだ」
塔の中に足を踏み入れたアモールが、顔だけ振り返って言う。
足元には、数センチの埃が積もっていた。
「包帯ならあるけど・・・口を覆うようなものはないなぁ」
マルコが申し訳なさそうに首を振る。
「ハンカチなら二枚あるわ。大きめだからマスク代わりになるはず」
シレーネが一枚をアモールに渡し、自分も口元を覆う。
マルコはマフラーで代用した。
準備が整い、三人は塔の中へと進む。
舞い上がる埃に目を細めながら、まっすぐ奥へと進んでいく。
中は広い空間だった。
奥には、上階へと続く崩れかけた階段がある。
他に道はなさそうだった。
三人は、慎重に階段を上っていく。
氷原の寒気は届かず、代わりに湿ったカビ臭い空気が漂っていた。
その中に、微かな異臭が混じる。
——何かがいる。
生きているとは言い難い。
けれど、確かに『何か』が、この空間に存在していた。
階段を上りきると、そこは一つの部屋だった。
光源は不明だが、部屋全体がうっすらと光っている。
そして——その光に照らされていたのは、氷原で戦ったあの怪物だった。
「・・・あ!」
マルコが声を上げる。
怪物の背後に、誰かがいた。
影になっていてはっきりとは見えないが、その細い体つきと、かすかに聞こえる苦しげな声から、若い女性だとわかった。
ただ、なんだろう?
怪物の殺気が薄く感じた。
目の前の『敵』には興味がない、とでもいうように。
その視線は、『別の一人』に向けられていた。
まるで、何かを『確かめる』ように——あるいは、『思い出そう』としているかのように。
「・・・傷を負ってるな。俺とシレーネで奴の注意を引く。マルコ、おまえはあの人の手当てを頼む。いいな?」
「うん!」
「えぇ、当然よ」
アモールは剣を抜き、じりじりと間合いを詰める。
「雑魚に構ってる暇はない。一気にいくぞ。シレーネ、右から回り込んでくれ」
「了解!」
シレーネが猫のように素早く動き、右へ回り込む。
アモールはマルコに目配せし、怪物に正面から斬りかかった。
怪物は反射的に右へ身をひねる。
それは、アモールの狙い通りだった。
できた隙間を、マルコがリスのように駆け抜ける。
「さて、ケリをつけようか。怪物ちゃん」
一度勝った相手。
しかも今回は、シレーネが側面から牽制している。
怪物は反撃の隙もなく、斬撃を浴び、深手を負っていく。
「これで、終わりだっ!」
アモールがそう叫んだ、その瞬間——気が緩んだ。
怪物は、生への執念を力に変え、最後の悪あがきを見せた。
狂ったように暴れ、鈎爪を振り回す。
シレーネは咄嗟に、近くの腐りかけた扉を蹴破り、隣の部屋へと飛び込む。
怪物がその後を追おうとする。
その動きは、もはや生き物のものではなかった。
何かに操られているような、歪んだ執念だった。
「行かせるかっ!!」
アモールは、手にしていたツルハシを投げつけた。
ツルハシは回転しながら飛び、怪物の背中に突き刺さる。
悲鳴を上げた怪物はバランスを崩し、扉の横の壁に激突。
骨の砕ける音が響き、ずるずると崩れ落ちていく。
アモールが止めを刺そうと近づいた、そのとき——
「っ・・・!」
扉の上の天井が崩れ落ちた。
古びた建物の天井は、怪物の衝撃に耐えきれなかったのだ。
轟音が塔を揺らし、粉塵が一気に舞い上がった。
アモールの耳がキーンと鳴る。
瓦礫の雪崩が収まったとき、右の部屋への入り口は完全に塞がれていた。
「シレーネ!!」
アモールは、瓦礫の向こうに向かって、必死に叫んだ。
声が裏返るほどの叫びだった。
シレーネの名を呼ぶたびに、胸が締めつけられる。
マルコは何も言わなかった。
ただ、拳を握りしめたまま、瓦礫の向こうを見つめていた。
粉塵の向こうで、シレーネの咳き込む声が一瞬だけ聞こえた。
それが、彼女の無事を示す唯一の証だった。
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