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第8話 めぐり逢い ④
しおりを挟む「シレーネ! 無事か? 生きてるなら返事しろ!!」
「・・・大丈夫。ケガはしてないわ。ただ、身体中ホコリだらけになっちゃったけど」
少し間をおいて、かすかな声が返ってきた。
その様子に、アモールはひとまず胸をなで下ろす。
だが、目の前の瓦礫は分厚く、量も多い。
取り除くのは、ほぼ不可能に思えた。
「どこかに回り込める道があるはずだ。俺が行くまで、うろちょろするなよ」
「期待しないで待ってるわ」
強がる声が返ってくる。
無理に明るく振る舞っているのが、ありありと伝わってきた。
「・・・ま、今はこっちの方が重要だけどな」
アモールは、部屋の反対側に退いていたマルコと、その隣に座り込む女性に目を向けた。
彼女が何者なのか——それを知らなければ、次の行動には移れない。
彼女は全身を血で染めていたが、それは自分のものではなかった。
体中に傷はあるものの、命に関わるものではない。
ただ、怪物に襲われたショックと疲労で、意識が朦朧としていたのだ。
アモールにできるのは、彼女が自分の力で立ち直るのを見守ることだけだった。
◇
部屋の空気は、しばらくの間、沈黙に包まれた。
彼女の肩が、かすかに震えているのが見える。
それは寒さではなく、心の奥に残った恐怖の余波だった。
「・・・申し訳ありません。ご迷惑をおかけして・・・」
ようやく意識を取り戻したのか、彼女は頭を下げた。
年の頃は二十代後半。
化粧っ気のない整った顔立ちに、透き通るような白い肌。
腰まで届く、絹糸のような栗色の髪が、かすかに波打っている。
マルコは、そっとサラサの隣に座り、黙って小さな布を差し出した。
サラサはそれを受け取り、血のついた頬をゆっくりと拭った。
その動作が、彼女の意志の回復を物語っていた。
冷たい印象はなく、むしろ穏やかで優しい。
まるで『清楚可憐』という言葉をそのまま形にしたような女性だった。
サラサは、胸元のペンダントにそっと手を添えた。
目を閉じ、何かを祈るように唇を動かす。
その祈りが終わる頃、彼女の瞳には、再び光が宿っていた。
祈りの言葉が終わると、ペンダントが一瞬だけ淡く光った。
まるで、誰かが応えてくれたかのように。
「私はサラサ。サラサ・サクラン・メルクマール。水と大気を司る女神、シャイナ・シュテラールを祀るシリア教団の神官です。教団の信託により、この地に派遣されましたが・・・途中で怪物に襲われ、仲間は全員・・・」
なるほど。
氷原で怪物が突然姿を消したのは、ダメージだけでなく、この女性たちを『新たな獲物』として察知したからだったのか。
アモールはそう気づいたが、口には出さなかった。
これ以上、彼女の心を乱す必要はない。
「それで、これからどうするつもりですか? 先に進むのですか?」
アモールは、相手が聖職者であることに敬意を払い、丁寧に尋ねた。
サラサは、静かにうなずく。
「・・・この地に発生する災厄を未然に防ぐこと。それが私の役目です。たとえ命を落とすことになっても、行かねばなりません」
その言葉には、揺るぎない決意が込められていた。
だが、勝算があるとは思えなかった。
——こんな美人を、簡単に死なせるのはもったいない。
そう思ったアモールだったが、口から出たのは、まったく別の言葉だった。
「・・・あんたじゃ、犬死にするだけだ。ここでマルコと一緒に待ってな。この先は、俺一人で行く」
言ってから、自分でも驚いた。
けれど、不思議と取り消す気にはなれなかった。
理屈じゃない。
シレーネに付き合ってここまで来たように、サラサを行かせてはいけない——そう思ったのだ。
「で、ですが・・・」
サラサが慌てて言いかけるのを、アモールは遮る。
「あんな使い走りの怪物にも遅れを取るようじゃ、足手まといだ。あんたはマルコのお守でもしててくれ。神官なんだろ? 結界くらい張れるんじゃないのか?」
突き放すような口調。
けれど、それは二人の安全を思っての言葉だった。
サラサも、それを理解していた。
だから、彼女は静かにうなずいた。
「・・・わかりました。私はここに残り、あなたの成功を祈ります。それと、これを持っていってください」
サラサが懐から取り出したのは、光を放つ石の詰まった皮袋だった。
「これは『魔晶石』といって、魔法の力を結晶化したものです。色によって効果が異なります」
青:氷柱を打ち出す。攻撃だけでなく、足場や支えにも使える。
黄:空間に電流を放つ。複数の敵にダメージを与える。
白:竜巻を発生させ、数分間自由に操作できる。
緑:体液の流れを調整し、回復や毒の中和に効果がある。
「緑は20個。他は5個ずつしかありません。白の魔晶石は、かつて風の英雄が竜を封じるために使ったと伝えられているほど強力ですが、どれも
一度使うとなくなってしまうので、使いどころは慎重に」
「へぇ~、そいつは便利だな。ありがたくもらっておくよ。・・・そうだ、マルコ。ちょっと」
皮袋を懐にしまいながら、アモールが思い出したようにマルコを呼んだ。
本当なら、アモールと一緒に行きたい。
駄々をこねてでも、ついて行きたい——
でも、それができないことを、マルコは知っていた。
彼女の心の中では、子供の我儘と、大人の理解がせめぎ合っていた。
そして、勝ったのは——後者だった。
小走りで駆けてきたときの、静かな表情がそれを物語っていた。
「いいか、マルコ。よく聞けよ」
アモールは、彼女の耳元に顔を寄せ、小声で話し始める。
「これは、すごく大事なことだ。もし夜明けが来ても、何も起きなかったら——縄をつけてでもいい、サラサを連れて街へ戻れ。そして、援軍を呼んでこい。あの女を無事に街へ連れて行けるのも、援軍を案内できるのも、おまえだけだ。わかるな?」
『夜明けが来ても何も起きない』——それはつまり、アモールが失敗したとき。
彼が、戻らなかったとき、だ。
マルコにも、その意味はすぐに伝わった。
彼女は何も言わず、涙で潤んだ瞳でアモールを見つめ、やがて、静かにコクリと頷いた。
「・・・あっ、今気づいたけどさ。おまえ、本当は女なんだから『マルコ』って名前、ちょっと変だよな。本名はなんて言うんだ?」
おどけた調子で尋ねるアモール。
けれど、その目は真剣だった。
「・・・マリーナ。マリーナ・リスニィ・・・よ」
言い終えた途端、マリーナはくるりと身を翻し、サラサのもとへ駆けていった。
初めて『女言葉』を使った照れもあったのだろう。
サラサの隣に並んだ彼女の手が、二度、三度振られる。
それを確認して、アモールは静かに背を向けた。
背を向けたその瞬間、彼はすべてを背負う覚悟を決めていた。
誰にも見せない、静かな誓いだった。
彼の歩く先には——数千年を越えて、なお息づく謎と神秘が待っている。
そして、誰も知らない『真実』が、そこにあるはずだった。
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