風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

文字の大きさ
70 / 84
通常版

第9話 旅立つ者は ①

しおりを挟む
 

 シレーネがくぐった扉とは反対側——左の扉から部屋を出たアモールは、石造りの通路をひたすら歩き続けていた。

 通路はまっすぐに伸び、先がまったく見えない。

「・・・行き止まりだったら、笑えねぇな」

 そんな不安も、すぐに杞憂に終わった。
 三十分ほど歩いたところで、通路は右へと緩やかにカーブし始めたのだ。

 さらに二十分後、右手に短い通路と上へ続く階段が現れる。

 どうやら、あの部屋は左右どちらに進んでも、最終的には同じ場所にたどり着く構造だったらしい。

「チッ・・・それなら、シレーネに『動くな』なんて言わなきゃよかったな」

 悔やんでも仕方がない。
 アモールは再び歩き出す。
 あと五十分も歩けば、シレーネのもとに戻れる——

 そう思った矢先だった。

 五分も経たないうちに、彼女と『再会』することになる。
 最悪の形で。

 シレーネは、二体の怪物と一緒だった。

 それは、巨大なミミズのような化け物。
 青黒い体躯、長さは五十メートル、胴回りは三メートル。
 どう見ても、自然に生まれた生物ではない。

 一体がシレーネを背に乗せ、もう一体が前に出て、まるで護衛のように進んでいた。

 アモールが剣を抜こうとした、その瞬間——前にいたミミズが突進し、彼を高々と跳ね飛ばした。

 激しい衝撃が全身を貫く。

 宙を舞いながらも、アモールの視線はシレーネを捉えていた。

 青ざめた顔。
 一瞬、死を覚悟する。

 だが—— 彼女の胸が、かすかに上下しているのが見えた。

 その瞳が、ほんの一瞬だけ彼を見た気がした。
 助けを求めるでもなく、ただ、何かを託すように。

 生きている。

 なら、やるべきことは一つ。
 目の前の怪物を斬り倒し、彼女を取り戻すだけだ。

 空中で剣を抜き、着地の勢いをそのままに振り向きざま斬り払う。
 刃が、怪物の肉に食い込んだ。

 だが、それはシレーネを乗せた個体ではなかった。

 彼女を乗せたミミズは、アモールを無視して突き進み、すでに姿を消していた。

「シレーネっ・・・! クソッ!!」

 追っても無駄だと、狩人の本能が告げていた。
 怒りがこみ上げる。
 彼女を奪った怪物に、そして——目の前で何もできなかった自分自身に。

 その怒りは、残ったもう一体のミミズへと向けられた。

      ◇

 数分後——そこにあったのは、巨大な肉の塊だけだった。

「・・・こんなんじゃ、気晴らしにもならねぇ」

 苛立ちを抑えきれず、アモールは剣を肉塊に突き立てた。

 カチンッ!

「・・・ん?」

 金属同士がぶつかる、硬質な音。

 肉をかき分けていくと、中から現れたのは——銀細工の装身具の破片だった。

 腕輪、首飾り、宝石。
 どれも腐食し、色褪せ、歪んでいた。

 だが——

 ひとつだけ、異彩を放つものがあった。

 細く緻密な鎖に、大きな碧色の宝石がついた額冠。
 それだけは、まるで新品のように輝いていた。

 アモールの視線が、宝石に吸い寄せられる。

 深く、澄んだ空のような青。
 見つめていると、空の彼方へと吸い込まれていくような感覚に陥る。

 そして——その宝石の奥に、ぼんやりと『何か』が映り始めた。



「なんだ・・・?」

 宝石の中に映ったのは、一人の女性だった。

 その姿は徐々に大きくなり、やがて宝石をはみ出して空間いっぱいに広がる。
 そして、一般的な人間女性のサイズで落ち着いた。

 どこかサラサに似た雰囲気を持つ女性。
 サラサが『人形』なら、この女性は『絵』のような印象だった。

 白金の髪は清水のようにまっすぐに流れ、月光のような柔らかい肌を、薄緑の服とショールが包んでいる。
 肩から吊るされた服は膝上までを覆い、膝下には樹皮模様のブーツ。

 そして、哀しげに潤む赤い瞳が印象的だった。

「・・・美人に会えたのは嬉しいが、幽霊には興味ねぇぞ」

 動揺を隠すため、アモールは軽口を叩く。
 だが、女性はそれを無視して、事態は急速に進んでいく。

 彼女が現れた瞬間、空気がわずかに震えた。
 まるで、時の流れそのものが一拍遅れたように。」


【わたしは幽霊ではありません】


 空気を震わせない、声に似た『音のようななにか』が響く。

【わたしの名はスラインローゼ・シュテラール。この地に眠る神の一族の一柱です。三千年の長きにわたり、この日が来ることを信じ、待ち続けていました】

 神の存在を否定する気はない。
 ただ、信じたことも祈ったこともないアモールだった。
 だが、なぜかこのスラインローゼの話だけは、聞いてみようという気になった。

 彼は静かに腰を下ろす。

【三千年前——  
 創造主である父母神が次元の彼方へと消えました。  

 その後、私たちは男神ゼナ・リムズベルを新たな指導者と定め、世界を見守っていました。  

 しかし、ある女神が人間の男と恋に落ち、神の座と力を捨てて人間となったのです。  

 その結果、神々の力のバランスが崩れ、ゼナの心と力が暴走。  
 男神たちは全滅し、私たち女神も封印され、眠りにつきました。  

 ただ封印されたわけではありません。  
 ゼナの暴走を抑えるため、私たちは氷の竜と寒波を生み出し、被害を最小限に食い止めたのです】

 スラインローゼの瞳には、今もありありとその情景が映し出されている。
 ゼナの瞳が紅く染まり、空が裂けた。
 女神たちは氷の竜を呼び、世界を凍てつかせた。
 そんな、情景が。

「・・・だが、それも限界に来た。今がその時ってことだな?」

 アモールが割り込む。
 原因はどうでもいい。
 彼にとって重要なのは、『今どうするか』だった。

【・・・簡単に言えば、そうです】

「簡単で結構。あんたには色々思い入れがあるだろうけど、俺が知りたいのは二つだけだ。一つ、シレーネを連れ去ったのは誰で、目的は何か。二つ、そのゼナって奴を正気に戻すか、ぶっ倒す方法。それだけだ」

 無礼な言い方かもしれない。
 でも、アモールにとってはこれでも十分丁寧なつもりだった。

 神々のトラブルを人間に押しつけるな——そう思っていた。

【・・・わかりました。
 シレーネという女性をさらったのは、魔導師ダルトンの仕業でしょう。

 彼はゼナの力を我が物にしようと企んでいました。
 ただ、自分にその力を受け入れる器がないことも理解していた。

 だから、もっと安易で安全な方法を選んだのです】

「その方法ってのは?」

【若い女性を『器』として選び、ゼナの力を一度その胎内に引き入れる。

 女性の体は強い生命力と器を持っているため、これは難しくありません。

 その上で、女性と交わることで、少しずつ安全に力を得ることができるのです】

 ——汚い。

 目的のためなら、他人を犠牲にし、卑劣な手段も辞さない。
 そういう相手ほど、厄介な敵はいない。

 自分の手を汚さず、居場所を隠し、罠を仕掛けてくる。
 一つ一つは小さくても、常に警戒を強いられ、精神を削られる。

 そして、そんな奴ほど——、一瞬の油断で命を奪ってくる。

 できることなら、関わりたくないタイプ。
 しかも、スラインローゼの話が本当なら、ダルトンは三千年も生き続けている。

 まさに、化け物。

 シレーネのことがなければ、回れ右して二度と近づかなかっただろう。

 でも——今は違う。

 彼女を取り戻すためなら、どんな化け物だろうと、相手にするしかない。
 今ここに、伝説の勇者様はいない。

 いるのは、しがない狩人の——

 自分だけだ。

 ただ、・・・覚悟しろ。

 狩人は、獲物を逃がさない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

そんな彼女の望みは一つ

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢がそのまま攻略対象である許嫁と結婚させられたら?ってお話。 小説家になろう様でも投稿しています。

令嬢の皮を被ったヘビースモーカー、侍女に化けて敵情視察。〜猫を拾ってタバコを吸っていただけなのに、なぜか次期伯爵に愛の告白をされました〜

御厨そら
恋愛
「婚約破棄されたのよ!」 最悪に仲の悪い姉・ルイーザが泣き崩れる姿を見て、妹のフィオレは歓喜した。 自室にダイブして爆笑し、お祝いに父の書斎からくすねた一級品の葉巻をくゆらす——。 ​そんなフィオレに、父が下した命令は「姉を振った男、ライネーリ伯爵邸への潜入調査」だった。 黒髪おカッパのカツラにメガネ、そばかすメイクで別人『侍女モニカ』に変装し、いざ敵地へ! ​……のはずが。 厨房の男と隠れてタバコを吸い、子猫のルーを拾って可愛がり、義眼の同僚と秘密を共有し、気づけば屋敷の面々と仲良くなっていく。 さらには、姉を振ったはずの次期伯爵ジェラルドが、なぜか偽姿のフィオレを執拗に追いかけてきて……? ​「君に行ってほしくないんだ。結婚してくれ、フィオレ」 ​ちょっと待って。私、変装してるよね? そもそもアンタ、お姉ちゃんの元婚約者でしょ!? そして潜入先の書斎で見つけた、**『次女フィオレは10年前に死亡している』**という不可解な報告書の謎。 ​一つの体を共有する姉妹の、あまりに歪で、あやしい「ヒ・ミ・ツ」の物語。

処理中です...