風のアモール 

葉月奈津・男

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第10話 旅立つ者は ②

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「そうか・・・シレーネは『器』。つまり、道具扱いってわけか」

 予想できたことだった。
 悪者が若い女性を狙う理由なんて、そんなものだ。

「で、ゼナへの対処法は?」

【・・・わたしを、女神スラインローゼを覚醒させるしかありません】

 女性の声が、空気を震わせるように響く。

【今、スラインローゼの意識はゼナの封印を抜け出したものの、無理な突破のせいで散り散りになっています。

 わたしも、その一部にすぎません。

 残る三つの意識と本体を探し出してください。

 そうすれば、スラインローゼが『なんとか』できるはずです】

「・・・待てよ、『スラインローゼがなんとか』ってどういうことだ? 君がスラインローゼなんじゃないのか?」

 アモールは違和感を覚え、問いただす。

【疑念を抱かれるのも無理はありません。

 わたし自身、戸惑っているのです。先ほども言ったように、スラインローゼの意識は四つに分かれてしまいました。

 そして、それぞれが別の人格を持っています。

 つまり、私たちは『スラインローゼの一部』ではあるけれど、実質的には他人なのです】

「スラインローゼとしての『部分』?」

【はい。それぞれが《理性》《記憶》《力》《感情》のいずれかを内に秘めています。

 わたしは《理性》を持っていて、それを保つために肉体を持っていません。

 ですが、他の三人は実体を持ち、普通の人間と変わらない姿をしています。

 そして、覚醒には順番があります。

 《理性》→《記憶》→《力》→《感情》の順でなければなりません】

 アモールにも、その理由は何となく理解できた。

 記憶がないまま力を得れば、暴走する。
 ゼナの二の舞になるだけだ。

「それはわかった。・・・じゃあ、覚醒の方法は?」

 これが最後の質問だと、アモールは心の中で思った。

【その答えは、わたしにもわかりません。 前例がなく、他の三人に会ったこともないので・・・。

 ですが、わたし自身の覚醒には、これからする質問への答えが鍵になります】

 一瞬、空気が張り詰める。

【・・・ゼナの暴走を止めてくださいますか?】

 アモールは、答えを返すのに少しだけ躊躇した。
 だが、すぐに悟る。

 深く考える必要はない。
 自分の気持ちに、素直になればいい。

「・・・あぁ、止めてみせるさ。 俺と、俺の愛する人たちのために。・・・倒すんじゃなくて、止める」

 その言葉に、女性は静かに頷き——そして、姿を消した。


 残されたのは、緑色の小さな宝珠。
 一般的な宝珠の四分の一ほどのサイズ。

 アモールは、それをそっと拾い上げる。

「これが・・・女神スラインローゼの《理性》か」

 手の中の宝珠は、静かに、確かに輝いていた。

    ◇

 この階から上に行く方法は、ただ一つ。
 アモールは元の通路を戻り、階段を使って上階へと進んだ。

 そして——その先に広がっていたのは、予想を遥かに超える広さだった。

「・・・こいつは、捜し甲斐がありそうだな」

 すでに塔の中ではなく、奥にある山の内部に入り込んでいるようだった。
 迷っている暇はない。
 考えている時間もない。
 シラミ潰しに探すしかない——そう覚悟した矢先。

 意外にも、目的の女性はすぐに見つかった。

 声が聞こえたのだ。

 閉鎖された空間では、声が反響して位置の特定が難しい。
 だが、アモールの集中力と耳がそれを捉えた。

 女は、階の奥まった一室にいた。

 扉を開けた瞬間——彼女は壁に、さかさまの全裸でつるされていた。

 見た瞬間、先ほど出会った『理性』との関わりを感じた。
 容姿はまったく違うのに、雰囲気が似ていたのだ。

「く・・・。つっ・・・。ぁ・・・」  

 彼女は、体を小刻みに震わせながら、断続的に呼吸を繰り返していた。  
 肌には魔力の粒子がまとわりつき、淡く光る膜のように汗を浮かべている。  
 その呼吸は浅く、意識の奥で何かと必死に抗っているようだった。

「・・・なにをしてるんだ?」

 自分でも間の抜けた質問だと思いながら、アモールが尋ねる。

 彼女の瞳は、かすかに揺れていた。
 忘れてはいけない何かを、必死に守ろうとしているように。

「私は、女神スラインローゼの《記憶》を・・・有する者。  

 魔導師ダルトンによって、結界の中に・・・繋がれています」

 目を凝らすと、壁だと思っていたものが、無数の触手だった。  
 それらは彼女の四肢と胴を絡め取り、宙に吊るしていた。

 触手は、色とりどりの魔力を放ちながら、彼女の神経に干渉していた。  
 痛みと幻覚の境界を曖昧にし、記憶の断片を無理やり引き出そうとしている。

 逆さに吊るされ、肉体と精神を揺さぶられ続ける。  
 すべては、《記憶》としての覚醒を妨げるための呪術的な仕掛けなのだろう。


 容姿が理性とは違うことに一瞬不審を抱いたが、肉体を持たない理性と、生身のこの女性が同じ姿である方が不自然だ。
 そう自分に言い聞かせて、アモールは尋ねる。

「この部屋を中心に、正三角形を形作る位置に、結界を張るための魔術的な仕掛けがあります。

 この結界がある限り、私の覚醒はありえません。

 スラインローゼの意識が分離し、それぞれが人格を持つ最大の理由は——魔導師ダルトンが、復活を妨げるために呪いをかけたからです。

 人格が強ければ強いほど、元に戻る妨げになる。この結界は、私の人格を強化するように働いています。

 だから、私を覚醒させるには——結界を破壊していただくしかありません」

 その言葉に、アモールは静かに頷いた。

 次なる試練は、魔導師の仕掛けた呪いの結界。
 それを破ることで、記憶の意識を解放する。

 そして、スラインローゼの覚醒へ——、一歩、近づくことになる。


「壊すって言っても、どうやって?」

 物理的なものなら、いくらでも壊してやる。
 だが、魔術で張られた結界となると話は別だ。
 やり方を間違えれば、逆効果になりかねない。

「結界を繋ぐ三カ所には、この部屋と同じように触手を持つ魔獣がいます。それを倒せばいいのです。私を拘束している魔獣に力を与えているのが、その三体なのですから」

「・・・実に単純な方法だな。わかった、行ってくるよ」

「気を・・・つけて・・・」

 彼女の声を背に、アモールは部屋を後にした。

「正三角形を形作る、か。・・・なんだかなぁ、わかりやす過ぎる」

 目の前には四つの通路。
 一つは今来た道。
 残る三つのうち、一つは左にまっすぐ、二つは右へY字に分かれている。

「その分、魔獣はとんでもなく強いのかもな・・・。それでも、やるしかないんだよな、俺は」

 ぶつぶつと独りごちつつ、アモールは右手前の通路を選び、突き進む。

 突き当たりの扉を開けると——そこには、全身から無数の触手を生やした魔獣がいた。

「・・・なんて、気味の悪い奴だ」

 魔獣の背には、数人の女性が捕らえられていた。
 彼女たちは意識が朦朧としており、ぐったりとした様子で吊るされている。

 どうやらこの魔獣は、捕らえた者の意識を奪い、生命力を吸い取っているらしい。

「・・・さて、どう攻めるか」

 魔獣はその場から動かず、まるでオブジェのように沈黙していた。
 だが、その沈黙の奥に、異様な知性が潜んでいるようにも感じられた。

 動かないはずの目が、わずかにアモールを追っていた。
 まるで、試しているかのように。

 結界の維持に集中しているのだろう。
 隙だらけに見えるが、下手に刺激すれば、捕らわれた女性たちが危険だ。

「本当なら、サラサにもらった魔晶石で一気に吹き飛ばしたいところだけど・・・」

 アモールは魔獣の巨体を見上げ、剣一本での接近戦が難しいことを悟る。

「・・・直接当てなきゃいいんだよな」

 そうつぶやき、アモールは黄色の魔晶石を取り出した。

 石を構え、魔獣の足元に向けて放つ。

 一瞬の静寂——次の瞬間、石から放たれた雷が床を貫き、爆音とともに石を砕いた。
 稲妻が床を裂いた瞬間、部屋全体が白く染まり、影が一斉に跳ね上がった。

 稲妻が床をえぐり、魔獣のバランスを崩す。

 捕らえられていた女性たちが宙に投げ出される。
 魔獣は結界の維持よりも、自身の危機を優先し、アモールに向かって突進してきた。

「よし・・・来いよ」

 アモールは剣を構え、次の一撃に備えた。
 剣を構えたその瞬間、すべての音が遠ざかった。
 心臓の鼓動だけが、耳に残った。
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