風のアモール 

葉月奈津・男

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第11話 旅立つ者は ③

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「フン、思う壺だ」

 突進してきた魔獣の動きは、あまりにも単調だった。
 アモールはその場で仰向けに倒れ込み、すれ違いざまに白の魔晶石を起動。
 氷柱が魔獣の腹を貫き、まるでモズのはやにえのように串刺しにされた魔獣は、絶命した。

「ふぅ・・・みんな、無事か?」

 安堵の息をつきながら、アモールは捕らわれていた女性たちのもとへ駆け寄る。

 だが——

「うっ・・・こ、これは・・・!」

 そこにあったのは、若い娘たちの姿ではなかった。
 乾ききった皮膚、空虚な眼窩。
 そこに横たわっていたのは、命を吸い尽くされたミイラだった。

 おそらく、彼女たちの命はとうの昔に尽きていたのだ。
 魂だけが、肉体に縛られ、終わることのない苦しみに囚われていたのだろう。

「・・・かわいそうにな。せめて、安らかに眠ってくれ」

 アモールは短く黙祷を捧げ、静かにその場を後にした。

 もう、遠慮は無用だった。

 右奥の部屋にいた二体目の魔獣は、黄色の魔晶石で雷撃を浴びせ、一撃で黒焦げに。
 左の通路にいた三体目は、白の魔晶石で呼び出した氷の竜巻に巻き込まれ、切り裂かれた。


 残るは——《記憶》の覚醒。

 アモールは気を引き締め、彼女の待つ部屋へと戻った。

 だが——

「なっ・・・!? なんでだ・・・!」

 部屋の中は、以前よりもさらに混沌としていた。
 触手はなおも蠢き、むしろ活性化しているように見えた。

 《記憶》の女性は、苦悶の表情を浮かべ、触手に絡め取られたまま、必死に声を絞り出す。

「・・・結界の要が失われたことで、魔獣の魔力と、捕らわれていた魂の意識が逆流してきているのです・・・! は、早く・・・魔獣を・・・でないと・・・!」

 何が起きているのか、すべてを理解する暇はなかった。
 だが、彼女の切羽詰まった声に、アモールの身体は自然に動いていた。

「任せろ!」

 彼は剣を抜き、彼女に絡みつく触手を次々と斬り払っていく。

 最初は切ってもすぐに再生していた触手も、結界の源を失った今、次第にその力を失っていく。

 やがて——最後の一本が地に落ち、静寂が戻った。

 アモールは剣を収め、彼女のもとへと駆け寄った。


 女神スラインローゼの意識を構成する一つ、《記憶》を持つ女性は、魔獣から解放され、ぐったりと床に横たわっていた。

 瞳は虚空を見つめ、荒い呼吸が唇から漏れている。
 その呼吸に合わせて、胸が上下していた。

「おい、しっかりしてくれよ。あんたを覚醒させなきゃ、先に進めないんだ。目を覚ましてくれ」

 アモールの呼びかけにも、彼女は反応しない。
 まるで心がここにないようだった。

「こんなところでグズグズしてたら、あのダルトンにシレーネが・・・!」

 その言葉が口をついた瞬間——彼女の身体がピクリと動いた。

「・・・っ!」

 突然、彼女は上体を起こし、アモールにしがみついてくる。

「おい、どうした・・・?」

 彼女の瞳は焦点が合っておらず、言葉にならない声を漏らしていた。

 アモールはすぐに気づいた。
 さっき彼女自身が言っていた、『魔獣に囚われていた少女たちの意識が逆流している』という話。
 その影響で、彼女の人格が不安定になっているのだ。

「・・・くそ、これはまずいな」

 彼女の意識が崩れかけている。
 このままでは、覚醒どころか、彼女自身が壊れてしまう。

「落ち着け・・・今は俺が、あんたを守る」

 アモールは彼女の肩を支え、静かに語りかける。
 彼女の意識が戻るまで、焦らず、急がず、寄り添うしかなかった。

 しばらくして—— 彼女の身体が淡い緑の光に包まれ始める。

「・・・これは・・・!」

 光は徐々に強まり、部屋全体を照らす。
 そして、彼女の瞳に、ようやく正気の光が戻った。

「・・・ありがとう。あなたの言葉が、私を引き戻してくれました」

 彼女は静かに微笑み、床に座り込む。

 その手には、小さな緑色の宝珠が握られていた。

「これが・・・《記憶》の意識か」

 アモールは、彼女の手から宝珠を受け取り、そっと懐にしまった。

 スラインローゼの覚醒——その第二段階が、今、完了した。
 そのはずだが・・・目の前の女性の苦しみは終わっていなかった。

「・・・」

 アモールには、何が起きたのかすぐには理解できなかった。  
 ただ一つ確かなのは、今この女性の中で、激しい変化が起きているということ。  
 そして、それが女神スラインローゼの覚醒に関わっているということだった。

 彼女の瞳は虚空を見つめたまま、微かに震えていた。  
 その表情には、苦痛とも陶酔ともつかない色が浮かび、  
 まるで、誰かの記憶と感情が入り混じっているようだった。

 彼女の指先が、無意識にアモールの腕を探る。  
 それは助けを求めるようでもあり、何かを確かめようとするようでもあった。

 彼女の中で、女神としての記憶と、人間としての本能が交錯している——  
 そんな印象を、アモールは受けた。

 女神としての記憶に、アモールは対処の仕方を知らない。
 だが、人間としての本能になら、多くはないが経験もある。

 ゆっくり、静かに、対応した。
 彼女が壊れないように。彼女が戻ってこられるように。

 彼女を包んでいた緑の光は、徐々に下腹部へと集まり——やがて、ひときわ強く輝いたかと思うと、宝珠の形に変わり、彼女の足元に転がった。

 光が集まる瞬間、空気が震えた。
 まるで、遠くで誰かが息を呑んだように。

 静まり返った室内に、彼女の荒い呼吸だけが響いていた。

 アモールは、彼女のそばに静かに座る。

「・・・ごめんなさい。全部覚えてます。私が・・・誘ったんです」

「いや、俺も・・・あんたが普通じゃないってわかってて、止めなかった。謝る必要なんてないさ」

 気まずい空気が、二人の間に流れる。

「・・・あっ、そういえば、スラインローゼの《記憶》が・・・」

 話題を変えようと、アモールは宝珠に目を向ける。

「魔獣は、私の人格と一緒に女神の《記憶》まで破壊しようとしていたんです。

 そのために、私の意識の外側を壊して、囚われていた少女たちの感覚を流れ込んだ。 

 その結果として・・・私の中で、女神としての記憶と、人間としての本能が分離してしまったのです」

 彼女はそう言いながら、まだ火照った身体をアモールに寄せる。
 その瞳には、どこか寂しげな光が宿っていた。

「・・・今の私は、女神の《記憶》から分かれた『残り』なんです。肉体の記憶、未練、そういうものが形になって残ってしまった」
 でも、残り物にも意味がある。
 誰かに触れて、誰かを導くぐらいのことはできるはずだから。

 視線が、アモールに絡みつくように向けられた。

「・・・そうか。じゃあ、君の名前は?」

「メモリーって呼んで。・・・記憶の残りだから」

「メモリー・・・悪いけど、俺、急いでるんだ。シレーネを助けなきゃならない。案内してくれるって言ってたよな?」

「うん、隠し通路があるの。私が案内する。・・・た・だ・し」

 語尾にスタッカートが入った瞬間、アモールは嫌な予感を覚える。

「キスして。・・・まだしてくれてないでしょ?」

「・・・」

 複雑な思いが込み上げる。
 でも、彼女の瞳は真摯で、どこか切ない。

 アモールは、静かに彼女の手を取り——そっと唇を重ねた。

 それは、感謝と祈りのようなキスだった。

 唇が触れた瞬間、時間が止まったようだった。
 風も、光も、すべてが静かに見守っていた


 メモリーは、目を閉じたまま、微かに笑った。
 その笑みは、過去の痛みをそっと手放すようだった。
 誰かに触れて、ようやく自分を許せたのかもしれない。
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