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通常版
第12話 旅立つ者は ④
しおりを挟む「・・・これでいいかい?」
「うん、ありがと」
メモリーは微笑みながら立ち上がり、手には女神スラインローゼの《記憶》の宝珠を握っていた。
「しっかり案内してくれよ。これで道に迷ったりしたら・・・生殺しにするからな」
さっきまでの神秘的な雰囲気はどこへやら、町娘のような軽い口調になったメモリーに、アモールは少し戸惑いながらも、そっと外套を彼女の肩にかけてやる。
「わかってるって、こっちよ!」
妙に明るい返事に、一抹の不安を覚えながら、アモールは後に続いた。
——そして、その不安は数分で現実になる。
「あ、あれ? あんまり使ったことない通路だから・・・」
「だから?」
「迷っちゃったみたい、あはははは」
仏頂面で睨むアモールの視線を、笑ってごまかすメモリー。
「あのな、『あはははは』じゃないだろ。なんとかしろよ」
「しょうがないでしょ。今の私は女神の《記憶》とは別物なんだから、曖昧にもなるわよ」
「・・・他の場所を探したほうがいいんじゃないのか?」
はじめから期待していなかっただけに、アモールの諦めは早かった。
「う~ん。でも、なんか変なのよ。この辺りに来ると、記憶がぼやけるの。まるで、そこだけ抜け落ちてるっていうか・・・隠されてるっていうか」
まるで、誰かが意図的に記憶の一部を塗りつぶしたような、そんな感覚だった。
『隠されている』——それはつまり、女神スラインローゼ自身が、何かを封じている可能性がある。
それが男神ゼナの暴走と関係しているなら、その暴走を止めると誓ったアモールが、避けて通るわけにはいかなかった。
たとえ、それが女神の心の奥に踏み込むことになったとしても——
「あっ、ここだわ! この壁が開くのよ!」
メモリーが指さしたのは、周囲と何も変わらない石壁だった。
「・・・本当だろうな?」
露骨に疑いの目を向けるアモールの前で、メモリーは壁の一部を押し込む。
すると、離れた場所の石がせり出してくる。
しかも、一つではなく、幅一メートルほどにわたって次々と。
その動きが止まったとき——そこには、奥へと続く隠し通路が現れていた。
「・・・やるじゃないか」
アモールは小さく息を吐き、剣の柄に手を添えながら、通路の奥を見つめた。
その先に、何が待っているのか——まだ誰にも、わからなかった。
「スラインローゼの《記憶》。私が覚えてる限りでは、この先に部屋があって・・・その天井に、上へ続く抜け穴があるはずよ」
人ひとり通るのがやっとの細道を先導しながら、メモリーがそう言った。
今度ばかりは彼女の言葉に偽りはなく、通路の先には重厚な石の扉と、奥行きのある部屋があった。
アモールが扉を開け、中を見渡す。
特に変わった様子のない、静かな石の部屋——
だが、メモリーが一歩足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
彼女の手に握られていた《記憶》の宝珠が光を放ち、それに呼応するように、室内の空気が揺らぎ始める。
そして—— 空間に、ぼんやりとした映像が浮かび上がった。
それは、一組の男女の姿。
そのうちの女性は、まさにスラインローゼの『理性』と同じ姿だった。
「・・・やっぱり、ここで何かあったんだ。それも、ゼナの暴走に関わる、重要な何かが」
アモールは、目の前の現象を自分なりに解釈しようとする。
だが、理解する必要はなかった。
なぜなら、女神の《記憶》は、言葉よりも確かに、『その時』を再現してみせたのだから。
空間が揺れ、視界が滲む。
気づけば、彼らはその場に立ち会っているような錯覚に包まれていた。
◆
「スラインローゼ、おまえ、本気で人間のもとへ行くつもりか? 神族としての誇りを、忘れたのか?」
最初に口を開いたのは男——おそらく、ゼナ。
「神族の誇りなど、何の役に立ちましょうか。
その誇りのために、私たちは子を持つことすら許されない。
このままでは、神族は緩やかな滅びの道を歩むだけです。
命あるものが命を繋ぐのは、創造神が与えた権利であり、義務。
それを実行しようとする私を、なぜ止めるのですか?」
「だが、その相手に人間を選ぶとは・・・神の血を汚すつもりか!」
怒りをあらわにするゼナ。
それに真っ直ぐ向き合うスラインローゼ。
どちらも、一歩も引く気はなかった。
長い沈黙のあと—— ゼナが背を向け、吐き捨てるように言った。
「・・・勝手にしろ。だが、この聖域を出たら最後、二度と戻れるとは思うな」
その背中を、スラインローゼは唇を噛みしめながら見送る。
「・・・バカ」
その呟きが、誰に向けられたものかはわからなかった。
彼女は静かに両手を上げ、瞳を閉じる。
額冠の宝珠が光を放ち、次の瞬間——その姿は、白い鳥へと変わった。
「ホーッ・・・!」
高く澄んだ鳴き声とともに、光に包まれた鳥は空間から消えた。
数瞬の静寂——
「キャッ!」「あっ!」「うっ!」
カランッ。
室内に、三つの声と一つの音が響く。
そこに現れたのは、三人の女性の姿と、一つの額冠。
いや、正確には——三つの人格と、女神の記憶の核だった。
「ケケケケケッ・・・さすがは女神様。わたくしごときの魔力では、完全な封印は無理だったようですなぁ」
しゃがれた声とともに、床から現れたのは一人の小柄な男。
「「「ダルトン!」」」
三人の人格が、異口同音に叫ぶ。
『貴様、何をした!!』
怒声の三重奏が、男に叩きつけられる。
「ククク・・・なぁに、大したことではありませんよ。わたくしの夢の実現のために、スラインローゼ様にもご協力いただこうと考えましてね。
しばらく姿を消していただこうと、記憶の封印を試みたのです。
ですが、さすがは神の一族。 わたくしの術では、完全な封印はできませんでした。
肉体と精神を分離するのが、精一杯だったというわけです」
楽しげに語るその顔には、冷たい光が宿っていた。
「ですが、ご安心ください。皆さんも、すぐに封印して差し上げますからね」
「・・・世迷いごとを!」
先に動いたのは——《力》だった。
他の人格が戸惑う中、怒りに満ちた魔力が一気にダルトンへと放たれる。
精神体だからこそ、全身全霊を込めたその一撃は、空間を震わせるほどの威力だった。
「・・・すばらしい。すばらしい力ですよ。これが、もうすぐわたくしのものになる。わくわくしますね。フフフフフ・・・」
ダルトンは、迫り来る魔力を見て笑った。
それは、勝利を確信した者の顔だった。
その笑みには、世界を壊してでも手に入れたい何かが、確かに宿っていた。
「ほい、これで一つ封じましたよ」
懐から短い錫杖を取り出し、高々と掲げる。
その瞬間——《力》の魔力は錫杖の宝玉へと吸い込まれ、続いて《力》そのものも、光の渦に飲み込まれてしまった。
「キャハハハハ! おバカさんですね。女神に喧嘩を売るのに、何の準備もせずに来るわけないでしょう?
策は重ねて弄するものなのです。
さて、次はどちらを封じてあげましょうか?
ヒッヒッヒッ」
《力》を失った今、残るは《心》と《記憶》。
だが、彼女たちに打つ手はなかった。
その時——ズガッ! ガガガガ……!
大地を揺るがす衝撃が、部屋全体に響き渡る。
「ヒョッヒョッヒョッ・・・順調です。
完璧に、わたくしの思うがままに進んでおりますよ。
・・・あなた方も、この衝撃の意味を知りたいでしょう?
見せて差し上げますよ、最期のはなむけにねェ」
ダルトンは水晶球を宙に放り投げる。
球は空中で静止し、内部に映像が浮かび上がった。
『ゼナ!』
《心》と《記憶》が叫ぶ。
一目で、何が起ころうとしているのかを悟った。
映し出されたゼナは、いつもの整った姿ではなかった。
衣は裂け、全身から青白い炎が立ち上っている。
それは魔法力——精神世界の力が、物質界の空気に触れて発光している状態だった。
通常、魔法力が空気を電離させるほど強くなることはない。
それは世界そのものを消滅させかねない、禁忌の領域。
神族といえども、本能的に避けるはずの力。
だが、ゼナは——その境界を越えていた。
神であることを忘れた神——その姿は、畏怖ではなく、恐怖そのものだった。
『そんな・・・ゼナともあろう者が、魔に憑かれるなんて・・・』
魔に憑かれる——それは、密閉された空間、魔力増幅器、そして強い感情の爆発が重なったときに起こる現象。
怒り、哀しみ、憎しみ—— 負の感情が魔気を引き寄せ、神族にさえ影響を与える。
『ダルトン・・・あなたほどの臆病者が、世界の破滅など望むはずがない。狙いは、ゼナの《力》ね!』
「ご名答。さて、事態をご理解いただけたようですし・・・そろそろ眠っていただきましょうか。永遠にね」
ダルトンは両腕を《心》と《記憶》へ向けて突き出す。
球状に凝縮された魔法力が飛び出し、二人を包み込む。
「・・・ダ、ダメ・・・ゼナ・・・止めなきゃ・・・ゼナを・・・!」
苦痛に身悶えながら、《心》は呟く。
その思いだけが、彼女のすべてだった。
だが、女神の《力》を間接的に手にしたダルトンの魔力には抗えず、 彼女の姿は徐々に希薄になっていく。
「あなた方には、別の《器》をご用意しております。わたくしの術が完成するまで、果てることのない悦楽の日々をお楽しみください」
《心》は、離れた場所に用意された《器》へと吸い寄せられていく。
意識が薄れていく中、ゼナを止めたいという思いだけが、異常に高まっていく。
その思いは、極限状態で分離を起こし——《理性》と《感情》に分かれた。
分離した《理性》は、ダルトンの力から逃れるため、そばにあった額冠へと乗り移った。
そして——《記憶》の記憶は、そこで途切れた。
胸の奥に残ったのは、焼きつくような後悔と、誰かを守れなかった痛みだけだった。
その痛みだけが、今の私を形作っている。
そう思えるほどに、鮮やかな記憶だった。
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