風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

文字の大きさ
73 / 84
通常版

第12話 旅立つ者は ④

しおりを挟む
 

「・・・これでいいかい?」

「うん、ありがと」

 メモリーは微笑みながら立ち上がり、手には女神スラインローゼの《記憶》の宝珠を握っていた。

「しっかり案内してくれよ。これで道に迷ったりしたら・・・生殺しにするからな」

 さっきまでの神秘的な雰囲気はどこへやら、町娘のような軽い口調になったメモリーに、アモールは少し戸惑いながらも、そっと外套を彼女の肩にかけてやる。

「わかってるって、こっちよ!」

 妙に明るい返事に、一抹の不安を覚えながら、アモールは後に続いた。


 ——そして、その不安は数分で現実になる。

「あ、あれ? あんまり使ったことない通路だから・・・」

「だから?」

「迷っちゃったみたい、あはははは」

 仏頂面で睨むアモールの視線を、笑ってごまかすメモリー。

「あのな、『あはははは』じゃないだろ。なんとかしろよ」

「しょうがないでしょ。今の私は女神の《記憶》とは別物なんだから、曖昧にもなるわよ」

「・・・他の場所を探したほうがいいんじゃないのか?」

 はじめから期待していなかっただけに、アモールの諦めは早かった。

「う~ん。でも、なんか変なのよ。この辺りに来ると、記憶がぼやけるの。まるで、そこだけ抜け落ちてるっていうか・・・隠されてるっていうか」
 まるで、誰かが意図的に記憶の一部を塗りつぶしたような、そんな感覚だった。

『隠されている』——それはつまり、女神スラインローゼ自身が、何かを封じている可能性がある。

 それが男神ゼナの暴走と関係しているなら、その暴走を止めると誓ったアモールが、避けて通るわけにはいかなかった。

 たとえ、それが女神の心の奥に踏み込むことになったとしても——

「あっ、ここだわ! この壁が開くのよ!」

 メモリーが指さしたのは、周囲と何も変わらない石壁だった。

「・・・本当だろうな?」

 露骨に疑いの目を向けるアモールの前で、メモリーは壁の一部を押し込む。

 すると、離れた場所の石がせり出してくる。
 しかも、一つではなく、幅一メートルほどにわたって次々と。

 その動きが止まったとき——そこには、奥へと続く隠し通路が現れていた。

「・・・やるじゃないか」

 アモールは小さく息を吐き、剣の柄に手を添えながら、通路の奥を見つめた。

 その先に、何が待っているのか——まだ誰にも、わからなかった。



「スラインローゼの《記憶》。私が覚えてる限りでは、この先に部屋があって・・・その天井に、上へ続く抜け穴があるはずよ」

 人ひとり通るのがやっとの細道を先導しながら、メモリーがそう言った。
 今度ばかりは彼女の言葉に偽りはなく、通路の先には重厚な石の扉と、奥行きのある部屋があった。

 アモールが扉を開け、中を見渡す。
 特に変わった様子のない、静かな石の部屋——

 だが、メモリーが一歩足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。

 彼女の手に握られていた《記憶》の宝珠が光を放ち、それに呼応するように、室内の空気が揺らぎ始める。

 そして—— 空間に、ぼんやりとした映像が浮かび上がった。

     
 それは、一組の男女の姿。
 そのうちの女性は、まさにスラインローゼの『理性』と同じ姿だった。

「・・・やっぱり、ここで何かあったんだ。それも、ゼナの暴走に関わる、重要な何かが」

 アモールは、目の前の現象を自分なりに解釈しようとする。
 だが、理解する必要はなかった。

 なぜなら、女神の《記憶》は、言葉よりも確かに、『その時』を再現してみせたのだから。

 空間が揺れ、視界が滲む。
 気づけば、彼らはその場に立ち会っているような錯覚に包まれていた。

      ◆

「スラインローゼ、おまえ、本気で人間のもとへ行くつもりか? 神族としての誇りを、忘れたのか?」

 最初に口を開いたのは男——おそらく、ゼナ。

「神族の誇りなど、何の役に立ちましょうか。

 その誇りのために、私たちは子を持つことすら許されない。
 このままでは、神族は緩やかな滅びの道を歩むだけです。

 命あるものが命を繋ぐのは、創造神が与えた権利であり、義務。
 それを実行しようとする私を、なぜ止めるのですか?」

「だが、その相手に人間を選ぶとは・・・神の血を汚すつもりか!」

 怒りをあらわにするゼナ。
 それに真っ直ぐ向き合うスラインローゼ。
 どちらも、一歩も引く気はなかった。

 長い沈黙のあと—— ゼナが背を向け、吐き捨てるように言った。

「・・・勝手にしろ。だが、この聖域を出たら最後、二度と戻れるとは思うな」

 その背中を、スラインローゼは唇を噛みしめながら見送る。

「・・・バカ」

 その呟きが、誰に向けられたものかはわからなかった。

 彼女は静かに両手を上げ、瞳を閉じる。
 額冠の宝珠が光を放ち、次の瞬間——その姿は、白い鳥へと変わった。

「ホーッ・・・!」

 高く澄んだ鳴き声とともに、光に包まれた鳥は空間から消えた。


 数瞬の静寂——


「キャッ!」「あっ!」「うっ!」

 カランッ。

 室内に、三つの声と一つの音が響く。
 そこに現れたのは、三人の女性の姿と、一つの額冠。

 いや、正確には——三つの人格と、女神の記憶の核だった。

「ケケケケケッ・・・さすがは女神様。わたくしごときの魔力では、完全な封印は無理だったようですなぁ」

 しゃがれた声とともに、床から現れたのは一人の小柄な男。


「「「ダルトン!」」」

 三人の人格が、異口同音に叫ぶ。

『貴様、何をした!!』

 怒声の三重奏が、男に叩きつけられる。

「ククク・・・なぁに、大したことではありませんよ。わたくしの夢の実現のために、スラインローゼ様にもご協力いただこうと考えましてね。

 しばらく姿を消していただこうと、記憶の封印を試みたのです。
 ですが、さすがは神の一族。 わたくしの術では、完全な封印はできませんでした。
 肉体と精神を分離するのが、精一杯だったというわけです」

 楽しげに語るその顔には、冷たい光が宿っていた。

「ですが、ご安心ください。皆さんも、すぐに封印して差し上げますからね」

「・・・世迷いごとを!」



 先に動いたのは——《力》だった。

 他の人格が戸惑う中、怒りに満ちた魔力が一気にダルトンへと放たれる。
 精神体だからこそ、全身全霊を込めたその一撃は、空間を震わせるほどの威力だった。

「・・・すばらしい。すばらしい力ですよ。これが、もうすぐわたくしのものになる。わくわくしますね。フフフフフ・・・」

 ダルトンは、迫り来る魔力を見て笑った。
 それは、勝利を確信した者の顔だった。

 その笑みには、世界を壊してでも手に入れたい何かが、確かに宿っていた。

「ほい、これで一つ封じましたよ」

 懐から短い錫杖を取り出し、高々と掲げる。

 その瞬間——《力》の魔力は錫杖の宝玉へと吸い込まれ、続いて《力》そのものも、光の渦に飲み込まれてしまった。

「キャハハハハ! おバカさんですね。女神に喧嘩を売るのに、何の準備もせずに来るわけないでしょう? 

 策は重ねて弄するものなのです。

 さて、次はどちらを封じてあげましょうか?

 ヒッヒッヒッ」

 《力》を失った今、残るは《心》と《記憶》。
 だが、彼女たちに打つ手はなかった。

 その時——ズガッ! ガガガガ……!

 大地を揺るがす衝撃が、部屋全体に響き渡る。

「ヒョッヒョッヒョッ・・・順調です。

 完璧に、わたくしの思うがままに進んでおりますよ。

 ・・・あなた方も、この衝撃の意味を知りたいでしょう?

 見せて差し上げますよ、最期のはなむけにねェ」

 ダルトンは水晶球を宙に放り投げる。
 球は空中で静止し、内部に映像が浮かび上がった。

『ゼナ!』

 《心》と《記憶》が叫ぶ。
 一目で、何が起ころうとしているのかを悟った。

 映し出されたゼナは、いつもの整った姿ではなかった。
 衣は裂け、全身から青白い炎が立ち上っている。

 それは魔法力——精神世界の力が、物質界の空気に触れて発光している状態だった。

 通常、魔法力が空気を電離させるほど強くなることはない。
 それは世界そのものを消滅させかねない、禁忌の領域。

 神族といえども、本能的に避けるはずの力。
 だが、ゼナは——その境界を越えていた。

 神であることを忘れた神——その姿は、畏怖ではなく、恐怖そのものだった。

『そんな・・・ゼナともあろう者が、魔に憑かれるなんて・・・』

 魔に憑かれる——それは、密閉された空間、魔力増幅器、そして強い感情の爆発が重なったときに起こる現象。

 怒り、哀しみ、憎しみ—— 負の感情が魔気を引き寄せ、神族にさえ影響を与える。

『ダルトン・・・あなたほどの臆病者が、世界の破滅など望むはずがない。狙いは、ゼナの《力》ね!』

「ご名答。さて、事態をご理解いただけたようですし・・・そろそろ眠っていただきましょうか。永遠にね」

 ダルトンは両腕を《心》と《記憶》へ向けて突き出す。
 球状に凝縮された魔法力が飛び出し、二人を包み込む。

「・・・ダ、ダメ・・・ゼナ・・・止めなきゃ・・・ゼナを・・・!」

 苦痛に身悶えながら、《心》は呟く。
 その思いだけが、彼女のすべてだった。

 だが、女神の《力》を間接的に手にしたダルトンの魔力には抗えず、 彼女の姿は徐々に希薄になっていく。

「あなた方には、別の《器》をご用意しております。わたくしの術が完成するまで、果てることのない悦楽の日々をお楽しみください」

 《心》は、離れた場所に用意された《器》へと吸い寄せられていく。
 意識が薄れていく中、ゼナを止めたいという思いだけが、異常に高まっていく。

 その思いは、極限状態で分離を起こし——《理性》と《感情》に分かれた。

 分離した《理性》は、ダルトンの力から逃れるため、そばにあった額冠へと乗り移った。

 そして——《記憶》の記憶は、そこで途切れた。
 胸の奥に残ったのは、焼きつくような後悔と、誰かを守れなかった痛みだけだった。


 その痛みだけが、今の私を形作っている。
 そう思えるほどに、鮮やかな記憶だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

哲子67歳★恋して焦げて乱れ咲き♪

obbligato
恋愛
67歳、二次元大好き独身女子のぶっとんだ恋愛劇。 ※哲子は至って真面目に恋愛しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

そんな彼女の望みは一つ

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢がそのまま攻略対象である許嫁と結婚させられたら?ってお話。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...