13 / 23
第13話 愛あるゆえに ①
しおりを挟む「・・・」
《記憶》の映像が消えたあと、部屋には長い沈黙が流れた。
アモールの中で組み立てかけていた希望の糸が、音もなく霧散していく。
ゼナを正気に戻す方法も、シレーネを救う手段も、すべてが意味を失った。
「・・・これでいくと、俺はゼナだけじゃなく、ダルトンや女神スラインローゼまで相手にしなきゃなんねぇってことか」
ゼナの暴走を誘発し、シレーネをさらったのはダルトン。
そのゼナを止めるには、女神スラインローゼの覚醒が必要。
だが、その《力》はダルトンの手にある。
つまり、ダルトンと戦うしかない。
そして、彼が操る《力》も敵に回る。
ただの狩人に過ぎないアモールには、あまりにも荷が重い話だった。
しかも——ゼナの暴走が限界に達する前に、シレーネが《器》として完全に取り込まれる前に、すべてを終わらせなければならない。
時間さえも、敵だった。
「奇跡でも起きない限り、勝ち目はねぇな・・・」
部屋の空気が重くなり、音が消えた。
希望の糸が、静かに切れた音がした気がした。
弱気になったその瞬間——最も見たくなかった光景が、目の前に現れた。
「キーヒッヒッヒッ・・・奇跡など起こりはしませんよ」
黒づくめの小柄な男が、長いマントを引きずりながら現れる。
その傍らには、一人の少女が立っていた。
白磁のような肌、幼さを残した顔。
だが、瞳には光がなく、身体には力がなかった。
まるで糸の切れたマリオネット。
それが——女神スラインローゼの《感情》だった。
「・・・!! あれは、まさかっ!」
彼女の左手には、短い錫杖。
それは、ダルトンが《力》を封じた道具だった。
「貴様、何しに来た!!」
アモールの怒声を、ダルトンは軽く受け流す。
「ゼナの暴走は、もうすぐ限界。わたくしの魔術も、八割方完成しております。
つきましては、最終段階に入るまで、あなた方にはここで遊んでいただこうかと。
もちろん、この娘を殺していただいても構いませんよ。
ただし、女神スラインローゼの覚醒は不可能になりますがね。クックックッ」
含み笑いを残し、ダルトンは音もなく姿を消した。
「メモリー、下がってろ。邪魔だ」
ダルトンが消えた途端、少女の瞳に生気が戻る。
だが、その表情は——敵意に満ちていた。
アモールはメモリーを手で押し退けながら、剣を抜く。
「で、でも・・・殺してしまったら・・・」
「わかってる。だから離れてろ。俺は、誰かをかばいながら戦えるほど器用じゃねぇんだよ」
この時、アモールには何の策もなかった。
覚醒の方法も不明。
封印され、操られた《感情》をどうすればいいのか——
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
「ゼナ・・・暴走・・・止める・・・邪魔・・・奴・・・殺す」
娘が途切れ途切れに呟く。
どうやら、彼女の思考は封印される直前で止まってしまっているようだった。
「殺す!!」
叫びと同時に、娘は錫杖を振り下ろす。
その動きは鈍く、格闘の心得があるとは思えない。
だが——
「クッ!」
赤い炎のような魔力が錫杖から放たれ、アモールの肩口を切り裂いた。
紙一重でかわしたつもりだったが、炎は物をすり抜け、肉体だけを傷つける。
服は無傷。
だが、内側から染み出す血が、傷の深さを物語っていた。
「こいつぁ・・・ちーとヤバイかな?」
ヤバイどころではなかった。
この魔力は剣で受けることができない。
完全に足さばきだけで避け続けるしかない。
それは、肉体にも精神にも、極限の負担を強いる戦い方だった。
「・・・こりゃ、駄目かな・・・」
でも、あいつが待ってる。
俺が倒れたら、誰が守る?
◇シレーネ視点◇
『シレーネ・・・シレーネ。起きなさい、シレーネ』
頭の中に、聞き覚えのある声が響く。
「ん・・・う~ん・・・」
心地よい眠りを妨げられ、不機嫌そうに目を開けるシレーネ。
腕を伸ばそうとしたが——肩より上に上がらない。
ガシャッ、ガシャッ。
重い金属音と、異様な感覚。
寝ぼけ眼で腕を見たシレーネは、思わず叫んだ。
「なによ! これ!!」
腕には、重そうな手枷。
鎖は石の台に埋め込まれていて、ちょっとやそっとでは外れそうにない。
鎖の長さは二十センチほど。
窮屈すぎず、自由すぎず——精神を逆撫でする絶妙な制限。
「なんで、こんな・・・」
『ことに?』と続けようとして、言葉が止まる。
気を失う前の記憶が、よみがえってきた。
アモールやマルコと引き離され、巨大な青いミミズに襲われたこと——
「・・・アモール」
彼と再会したのも、気を失って目覚めたときだった。
その記憶が、逆に目を覚まさせてくれた。
一分も経たずに、シレーネは冷静さを取り戻していた。
「ここ・・・どこなのかしら?」
辺りを見渡す。
そして——見覚えのある人物の姿が目に入った。
それは、彼女がこの地へ渡るきっかけをくれた女性。
『北へ』と告げた、あの声の主。
「・・・!!」
声をかけようとした瞬間、シレーネは絶句する。
「・・・氷の柩」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
まるで死者の美しさを永遠に閉じ込めたような、透明な氷の中の女性。
だが、シレーネは首を振る。
この人は死んでなんかいない。
そう信じたかった。
——だって、さっき確かに《声》が聞こえた。
『シレーネ・・・』
再び、頭の中に響く声。
凍ったままの女性の表情は変わらない。
それでも、声は確かに届いていた。
不思議と、シレーネはその声を自然に受け入れていた。
まるで、ずっと前から知っていたような感覚で。
『シレーネ、我が娘よ』
「・・・え?」
意味はわかっていた。
でも、すぐには受け止めきれなかった。
『戸惑っているようですね。無理もありません。あなたが物心つく前に姿を消した母が、こんな姿で現れるなんて・・・でも、信じて。あなたを捨てたわけではないのです』
氷の中にいるはずなのに、彼女の声には温もりがあった。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「でも、あたしに『北へ』って言ったのは・・・あなたでしょう?」
《声》が母のものだと、シレーネはもう疑っていなかった。
それでも、『お母さん』とは、まだ呼べなかった。
『ええ。ダルトンに囚われる前に、自分の足でここへ来てほしかった。その方が、あなたのためになると思ったのです』
その言葉とともに、氷の壁が光を放ち、映像が浮かび上がる。
そこには、アモールの姿。
彼が出会った人々、交わした言葉——だが、映像は途中で途切れた。
「あなたが・・・女神スラインローゼの実体、なのね?」
尋ねるまでもない。
そうとしか思えなかった。
「だから、その娘であるあたしが、《器》として選ばれたわけだ」
『そうです。あなたには、並の人間を超える生命力が宿っています。
でも、あなたが『自分』であり続ける限り、ゼナの力は流れ込まない。
ダルトンの思惑を打ち砕く唯一の方法は、あなたがあなたでいること。
どうか、忘れないで。
あなたがあなたでいる限り、私はいつでも、あなたの中にいます』
その言葉を最後に、声は消えた。
不思議な感覚も、すっと消えていった。
「・・・自分であり続けること。自分を見失わないこと・・・」
呪文のように繰り返すたびに、心の中の弱さが薄れていく。
代わりに、勇気と希望が満ちてきた。
「絶対、負けないんだから」
その言葉は、空元気ではなかった。
意志の強さが、すべてを決める。
たとえ力では敵わなくても、心だけは折れない。
恐怖はあった。
だが、それ以上に、心の奥に灯った炎が、彼女を支えていた。
——その時。
「ホーホッホッ。お目覚めでしたか、ご気分は如何ですかな。お嬢さん」
不快な笑い声とともに、黒づくめの男が現れる。
ダルトン。
シレーネは、すでにその名を知っていた。
「たった今、とても悪くなったわ」
冷たく言い放ち、怒りと軽蔑、そしてわずかな恐れを込めた瞳で睨みつける。
「それは残念。ですが、すぐに気持ちよくして差し上げますよ」
「・・・っ!」
その言葉に、シレーネの身体が無意識に強ばる。
命の危険は覚悟していた。
でも、それ以上の恐怖が、今ここにあった。
だが——
「・・・自分を見失わないこと」
その言葉を、心の中で強く繰り返す。
鎖の音が響くたびに、彼女は心の中でその言葉を繰り返した。
それが、彼女の剣だった。
どんな状況でも、自分を保ち続ける。
それが、母の願いであり、自分の誓いだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さくら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
転生令嬢と王子の恋人
ねーさん
恋愛
ある朝、目覚めたら、侯爵令嬢になっていた件
って、どこのラノベのタイトルなの!?
第二王子の婚約者であるリザは、ある日突然自分の前世が17歳で亡くなった日本人「リサコ」である事を思い出す。
麗しい王太子に端整な第二王子。ここはラノベ?乙女ゲーム?
もしかして、第二王子の婚約者である私は「悪役令嬢」なんでしょうか!?
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる