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第14話 愛あるゆえに ②
しおりを挟む「わたくしは、いたって無芸な人間でしてね。生物の能力を強化すること以外、取り柄がないのですよ」
ダルトンは、喉の奥で笑いながら語る。
その顔は、まるで何かに酔っているかのようだった。
「この子は、そんなわたくしの自慢の一匹でして。
本来は目に見えないほど小さな生き物なのですが、わたくしの力で大きくしてあげたのです。
するとですね・・・人間には目もくれず、服だけを溶かして食べるという特性があることが判りましてね。
ゆっくりと、ねぇ・・・」
「い、いやぁっ!」
シレーネは叫び、自由の利く足で蹴りを入れる。
だが、怪物は粘りつく身体で石台に張り付き、動じることなく近づいてくる。
その動きはナメクジのように緩やかで、逆にシレーネの恐怖を長引かせるだけだった。
「ヒィッ・・・!」
怪物の先端が、ついにシレーネの身体に触れる。
まだ衣服の上からだったが、その感触に悲鳴を上げ、顔をそむける。
ぴちゃ、ぺちゃ——不気味な音が響く中、衣服は徐々にボロ布のように崩れていく。
「や、やめて・・・お願い、やめてぇ・・・!」
シレーネは頭を振り、哀れみを乞う。
だが、怪物は止まらない。
粘りつく動きで、彼女の身体を這い回る。
「ッ・・・!」
鎖が鳴り響くほど、シレーネは必死にもがき続ける。
だが、逃げ場はなかった。
「抵抗するだけ、無駄なのですよ。どうやったところで、逃げ場などありはしないのですから」
ダルトンの声は、表面上は優しく、だがその裏には冷酷な意図が隠されていた。
「わたくしのかわいい怪物ちゃんに、すべてを委ねるのです。
そうすれば、つまらない外聞など消えて、あなたは新たな世界へと導かれるでしょう」
シレーネは、恐怖と怒りで震えながら、心の中で母の言葉を思い出していた。
——自分を見失わないこと。
恐怖に飲まれそうな心を、母の声が支えてくれる。
それだけが、今の私を『私』にしてくれている
「嫌よ。絶対、ずぇ~ったい屈伏なんかするもんですか!」
シレーネは震える声で叫んだ。
涙をこぼしながらも、気丈に顔を上げる。
「ホッホッホッ・・・さすがはスラインローゼの娘御。その強がりが、いつまで持つか試させていただきましょう。わたくしの怪物は、これ一匹ではありませんからなぁ。ヒッヒッヒッ」
不気味な笑いを残し、ダルトンは姿を消す。
さらに恐ろしい存在を呼びに行ったのだろう。
その場に残されたシレーネは、初めて怪物の動き以外の声を漏らした。
「・・・アモール・・・助けて・・・」
気丈な仮面をかなぐり捨て、震える声で名を呼ぶ。
頬を伝う涙が、床に落ちてはじけた。
◇アモール視点◇
「ハァ・・・ハァ・・・・・・こ、これじゃ埒があかねぇな・・・いっそ殺しちまうか・・・それで封印が解けねぇとも限らねぇし・・・」
アモールは息を荒げ、全身を傷で染めながら呟く。
《心》の攻撃を避けるのが、限界に近づいていた。
「アモール!!」
メモリーの悲鳴にも似た叫びが響く。
その一瞬の隙を突いて、《心》が錫杖を振り下ろす。
体勢を崩していたアモールには、避ける術がなかった。
——シレーネ、すまない。
目を閉じ、覚悟を決める。
・・・。
・・・・・・。
だが——斬撃の音も、血の飛沫も、聞こえてこなかった。
恐る恐る目を開けたメモリーが見たのは、不審そうに辺りを見渡すアモールと、彼を包む半透明の結界。
《心》は自らの魔力に弾かれ、壁にもたれていた。
口元には血が滲み、かなりのダメージを受けたようだった。
「どうやら、絶妙のタイミングで間に合ったようですわね」
聞き覚えのある声が、半開きの扉の向こうから響く。
そこに見えたのは、しなやかな栗毛——
「・・・サラサか? サラサなんだな!」
アモールは痛みも忘れ、叫ぶように名を呼んだ。
サラサは、世界四大教団の一つ・シリア教会の神官。
防護結界を張るなど、彼女にとっては造作もないことだった。
「足を引っ張るだけかと思いましたが、後を追ってきて正解でしたわね」
飾り気のない笑顔を浮かべるサラサ。
その笑顔だけで、アモールは全身の痛みが和らぐような気がした。
「・・・あぁ、助かったよ。正直、絶対に死んだと思ったからね。自分のことながら」
はにかむように笑うアモール。
だが、その表情はすぐに苦悩に変わる。
《心》は気を失っているが、いずれ目を覚ます。
そして、また襲いかかってくるだろう。
「どうしたんだ? メモリー、なにかあるのか?」
サラサの登場で空気が変わったその中、メモリーが小首を傾げているのを見て、アモールが声をかける。
「思うことがあるなら、なんでもいいから言ってくれ。それが突破口になるかもしれない」
アモールは、メモリーに向かって言った。
彼女は女神スラインローゼの《記憶》を宿していた存在。
ならば、《心》との何かしらの繋がりがあるかもしれない——そんな希望にすがるのも、今の状況では当然だった。
「・・・考えたんだけど、もしかしたらあの子、自分が誰なのか判ってないんじゃないかな。普通は、どんなに感情が爆発しても、やっちゃいけないことはやらないようにできてるでしょ? でも、あの子にはそういう制止するものがない気がするんだよね・・・なんとなくだけど」
メモリーは自信なげに言いながら、上目遣いでアモールを見る。
その視線の先で、アモールは呆けたように立ち尽くしていた——
バシィ!
突然、室内に甲高い音が響く。
アモールが自分の頬を思い切り叩いたのだ。
「俺はなんてバカなんだ・・・!」
自分の愚かさを呪うように、アモールは悔しげに唸る。
「どうしたのですか? 急に・・・」
サラサが心配そうに問いかける。
「忘れてたんだよ。あそこに倒れてるのは《心》じゃない。《心》は封印されるときに二つに分かれた。あれは《感情》だったんだ。暴走した《感情》を抑えられるのは、《記憶》でも《力》でもない——《理性》だったんだ!」
言いながら、アモールはすでに動いていた。
手に入れていた《理性》と《記憶》の宝珠を、気を失った《感情》のもとへと運び、その眼前に並べて置く。
そして、ゆっくりと後退した。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
三人が見守る中——二つの宝珠が緑色の光を放ち始める。
それに呼応するように、女性の姿をした《感情》と、錫杖に封印された《力》も同じ光に包まれていく。
四つの光が絡まり合い、互いを確かめるように揺れ動き——やがて、強烈な光の渦となって一つに融合する。
まるで、長い眠りから目覚めた魂たちが、再び手を取り合うように。
そして—— 淡い藍色の宝珠が残され、女と錫杖は砂となって消えた。
「・・・これで、女神スラインローゼの意識が蘇ったわけだ。あとは実体を見つけさえすれば、復活が見られるってわけだな」
アモールは宝珠を拾い上げ、誰に言うともなく呟く。
その声には、死を覚悟した恐怖が消え、安堵が滲んでいた。
だが——
「それはそうと、サラサ。マルコはどうしたんだ? まさか、置き捨ててきたんじゃなかろうな!!」
いつになく荒い口調で問い詰めるアモール。
命の恩人への感謝よりも、仲間の安否が気になっていた。
「置き捨てた、というのは表現が悪すぎます。せめて、『置き去りにした』くらいにしていただかないと・・・」
サラサは微笑みながら答える。
「危険にさらしたくなかったので、結界を二重に張った部屋に寝かせてきました。かなり無理をしていたようで、横になるとすぐに寝息を立てていましたわ。きっと、明日の朝まではぐっすり眠っているでしょう」
アモールの優しさを知っているサラサは、その言葉に温かな笑みを添えていた。
「心配なら、シレーネさんを早く見つけて、寝た子が起きる前に戻ればいいでしょう?」
「・・・あぁ、そうだな。 それをこそ、マルコも望むはずだった」
アモールは、これまで以上の決意を込めて天井を見上げる。
その先に—— シレーネが、そして女神スラインローゼの実体が、きっと待っている。
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