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通常版
第15話 愛あるゆえに ③
しおりを挟む「絶対に・・・屈しない!」
シレーネは震える声で叫んだ。
涙をこぼしながらも、心だけは折れまいと必死に耐えていた。
ダルトンは、歪んだ笑みを浮かべながら姿を消す。
さらに恐ろしい存在を呼びに行ったのだろう。
その場に残されたシレーネは、初めて心の底から助けを求めた。
「・・・アモール・・・助けて・・・」
その声は、静寂の中に響き渡った。
そして・・・。
「ハァ、ハァ・・・」
アモールは、怒りと焦りに満ちた表情で駆け込んできた。
目の前に広がる光景に、言葉を失う。
「てめぇだけは絶対に許さねぇ!」
怒りに燃える瞳でダルトンを睨みつける。
その背後には、真紅のオーラが立ち昇っていた。
「あなたの怒りはもっともです。ですが、わたくしを殺す前に、少し話を聞いていただいた方がよろしいかと。さもないと、あなたの大切なものを、あなた自身の手で壊してしまうことになりますよ」
「時間稼ぎのつもりか? そんな手には乗らねぇ!」
アモールは叫ぶ。
だが、ダルトンの言葉がただのハッタリではないことを、彼は感じ取っていた。
「今、あの娘に取り付いているのは、わたくしの作品の中でも最高傑作でしてね。
わたくしに攻撃が加えられると、反応して獲物に襲いかかるように仕込んであるのです。
その結果、彼女の身体に直接影響が出ることになります。
・・・それでも、よろしいのですか?」
シレーネは、怪物の中心に囚われていた。
無数の触手が彼女を締め付け、動きを封じている。
「アモ・・・た、たすけて・・・」
その声は、苦しみと希望の入り混じったものだった。
「・・・汚ねぇ野郎だな。てめぇは人間のクズだ!」
「誉め言葉として受け取っておきましょう。で、その『クズ』に対して、あなたはどう対処するおつもりですかな?」
アモールは、怒りに震えながらも動けなかった。
シレーネの身を危険にさらすわけにはいかない。
「どうしました? 右手の剣は飾りですか? その剣、振る覚悟はあるのですか?さぁ、斬り殺すのです」
ダルトンは挑発を続ける。
それができないことを知っているからこそ、言葉を重ねる。
アモールは、全身を震わせながらも耐えていた。
その怒りは、もはや言葉では表せないほど純粋で強烈だった。
「愚かな・・・しょせん闘牛は、闘牛士の引き立て役にしかなれぬということが理解できぬのでしょうか?」
ダルトンは不敵な笑みを浮かべ、アモールを左手で払うような仕草を見せる。
その掌圧だけで、アモールは強風に吹かれた蝶のように吹き飛ばされてしまった。
「アモール!」
シレーネが叫ぶ。
だが、すぐにその声は安堵に変わる。
石台の陰で、アモールは静かに笑みを浮かべていた。
「いいか、シレーネ。俺は今から奴に斬りかかる。もし奴の言っていたことが本当なら、怪物の動きに変化が出るはずだ。そのときは、声でも息遣いでもいいから、俺に知らせてくれ。もちろん、奴には気づかれないようにな」
囁くような声で指示するアモールに、シレーネは無言で頷く。
それを確認し、アモールは再びダルトンの前に進み出た。
「懲りない人ですねぇ。あきらめて眠っていれば楽なものを……」
ダルトンは嗤いながら、アモールを見下す。
自分の罠に絶対の自信を持っているのだ。
「自分でもそう思わなくはないんだがな。諦めの悪いのだけが俺の欠点でね」
剣の柄を握り直し、間合いを詰めるアモール。
その視線が一瞬、シレーネの上を過る。
彼女もまた、アモールを見つめていた。
「そんじゃ、いくぜ」
そう言って、アモールは通常の半分ほどの速度で斬りかかった。
わざと反撃を誘わず、慎重に動く。
「はっ!」
逆袈裟の一閃。 ダルトンは上体を反らして避ける。
切先は、かろうじてマントを通して薄皮一枚を切っただけだった。
「はぐっ・・・かっ・・・・・・うっ・・・・・・!」
苦悶の声が漏れた——だが、それはダルトンではなく、シレーネからだった。
怪物の動きが活性化し、彼女への締め付けが強まったのだ。
「き、貴様ぁ! 自身の勝利のために女を見殺しにする気か!! 恥を知れっ、恥を!!」
怒りに満ちたダルトンの叫び。
だが、それはあまりにも身勝手な言葉だった。
「寝言は寝てから言え、ゲスめが!」
アモールは斬撃を続ける。
どれも致命傷には至らないが、ダルトンの身体に確実に傷を刻んでいく。
「ヒッ・・・ヒイィィィ!」
予想外の反撃に、ダルトンは床を転がりながら逃げようとする。
だが、アモールの剣は容赦なく追いかける。
「ぐっ・・・ぎゃぁぁ!!」
偶然にも、剣先がダルトンの足を貫いた。
その悲鳴は、部屋中に響き渡った。
「シレーネ!」
アモールは慌てて振り返る。
そこにいたのは——
無表情で、うつろな瞳のシレーネ。
怪物の触手は、まだ彼女の身体を捕えていた。
「シ、シレーネ!!」
アモールの声が、焦りと恐怖に震える。
まさか、すでに——人格が崩壊してしまったのではないか。
最悪の想像が脳裏をよぎる。
「くっ!」
たまらず駆け寄ろうとしたその瞬間——シレーネの瞳に、ふっと生気が戻った。
「・・・今のに、怪物は反応しなかったわ」
かすれた声だったが、はっきりとした言葉だった。
反応しなかった——つまり、ダルトンと怪物を繋ぐ『何か』に、今の攻撃は触れていなかったということ。
アモールの脳内で、久しぶりに『考える』という機能がフル稼働を始める。
それは、三年七カ月前に安物の剣を選ぶために悩んだとき以来のことだった。
彼の脳細胞は、これまでの斬撃を一つひとつ思い出し、再検討を始める。
感情と勘で動くアモールにとっては、実に珍しいプロセスだった。
そして——最後の一撃と、それまでの攻撃との『決定的な違い』に気づく。
「・・・これだっ!!」
叫びとともに、アモールが狙ったのは—— ダルトンの胸元に輝く、大きなメダル。
それは、長すぎるマントを留めるための装飾具だった。
剣がメダルを断ち切った瞬間、マントはダルトンの身体から外れ、ふわりと宙に舞い上がる。
そして——宙を舞うマントは、まるで夜空を滑る幻獣のように、怪物のもとへと吸い寄せられていった。
「なっ・・・!」
怪物は、まるで母を見つけた子どものように、シレーネを放り出し、マントを抱きしめるように絡みついた。
マントに刻まれた魔術紋が、怪物の本能を呼び覚ましたのだ。
「シレーネ! 無事か!!」
アモールは駆け寄り、彼女の名を叫ぶ。
彼女は、ゆっくりと目を開けた。
その瞳には、恐怖の残滓と、確かな希望が宿っていた。
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