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第16話 目覚め行く ①
しおりを挟む怪物の触手から解放され、虚脱状態で床に横たわるシレーネを、アモールはそっと抱き起こす。
その腕の中で、汗と怪物の体液に濡れたシレーネが、弱々しく微笑んだ。
「・・・やったわね」
「あぁ、なんとかな」
アモールも微笑みを返す。
その右腕は、剣を後方へと投げていた。
剣は放物線を描きながら宙を飛び、床に転がるボロ雑巾のようなダルトンへ——
「ぐぎゃあぁぁぁ!!」
断末魔の叫びが響く。
命を弄んだ者にふさわしい、哀れな最期だった。
その叫びは、誰にも惜しまれることなく、石の壁に吸い込まれていった。
「・・・アモール」
シレーネは、そんなことには構わず、アモールにしがみついた。
「アモール・・・アモール・・・アモールゥ・・・・・・!」
言葉にならない声で、胸に顔を埋めて泣き始める。
耐えていたものが、一気にあふれ出したのだ。
大粒の涙が頬を伝い、アモールの胸を濡らしていく。
「シレーネ」
アモールは、彼女の背を優しく撫でながら言った。
「好きなだけ泣きな。そして、あんな奴のことは涙と一緒に流して忘れちまおう。俺たちには、まだやらなきゃならないことが山ほどあるんだからな」
シレーネは微かに頷き、震える身体をアモールの腕の中で落ち着かせていく。
——そのとき。
「ヒューヒュー、お熱いねぇ。お二人さん」
場違いな声が、扉の向こうから響いた。
思わず舌打ちしたくなるアモール。
顔だけ出してニヤニヤ笑うメモリーとサラサが、扉の隙間から覗いていた。
「メモリー、サラサ。のぞきなんて、レディのすることじゃないぞ! だいたい、人が必死に戦ってた間、おまえらは何してたんだ?」
だが、シレーネを抱きしめている姿では、まったく迫力が出ない。
その姿は、まるで叱る父親と甘える娘のようだった。
それに気づき、アモールは苦笑する。
「こっちは大変だったんだぞ」
「そんなこと言ったって、扉が開かなかったんだから仕方ないでしょう!」
「魔術で封印されていたのです。ひどく強力で、わたくしの力ではどうすることもできなくて・・・すみません」
「まぁ、声をかけるタイミングはちょっと狙ったけどね~」
ペロッと、メモリーが舌を出す。
サラサはさっと視線を背けた。
それでも、サラサは本当に申し訳なさそうな表情を浮かべている。
それを見て、アモールはそれ以上責める気を失った。
「・・・まあいいか。 それより、ダルトンは死んだ。あとは女神スラインローゼを蘇らせて、ゼナの暴走を止めれば万事解決だ」
アモールは、シレーネに向き直る。
「シレーネ、君は知ってるんじゃないか? 女神の実体がある場所を」
ダルトンの性格からして、捕らえたシレーネに自慢げに話していた可能性は高い——そう思って尋ねたのだが、実際には彼女が気絶から目覚めた直後、ほんの短い時間だけ話をしていたのだった。
「・・・あの、氷の中よ」
シレーネは静かに答えた。
シレーネは、氷の中に眠る女神——母を指差した。
幼い頃に捨てられたことへの怒りはもうなかった。
けれど、娘が苦しんでいるのをそばで見ながら、何もしてくれなかったことには、少しだけ寂しさと苛立ちを感じていた。
「意識はあるみたいだったから、氷を壊せば出てくるわよ」
そう言いながらも、シレーネの声には複雑な感情が滲んでいた。
「この氷は普通のものではありません。強力な魔術処理が施されています。物理的な衝撃では壊せませんよ」
サラサが氷に手を当てて、静かに断言する。
「じゃあ、どうすりゃいいんだ? 魔晶石で吹っ飛ばすか?」
アモールが懐から黄色、青、白の魔晶石を取り出す。
「いえ、それでは中の実体にも害が及びます。シレーネさんの話では意識があるとのことですし、ここは本人に中から割ってもらうのが一番です。緑の石は持っていますか?」
アモールは無言で、緑の魔晶石を取り出す。
それは、体力の回復や毒・麻痺の治癒に使われる石だった。
「こんな場合に役に立つのか?」
疑問を口にしながらも、アモールは袋ごとサラサに手渡す。
「この氷は、中にいる者の体力を吸収して防御力を高めています。ですが、それを上回る生命力を発すれば、内側から崩れるはずです。この石で女神の力を回復させれば、自分の力で出てこられるでしょう」
サラサは迷うことなく、緑の魔晶石をすべて使い、氷の中の女神へと力を注ぎ込んだ。
緑の光が、サラサの手から氷へ、そして女神へと伝わっていく——光が最も強く輝いた瞬間、すっと消えた。
次の瞬間、氷柱に内側からヒビが入り、崩れ始める。
女神の瞳が、ゆっくりと開きかける。
——スラインローゼの蘇生が始まった。
崩壊は一気に進み、十分後には氷柱は完全に砕け、女神の実体が姿を現した。
「スラインローゼ!」
「おかぁさん!!」
アモールとシレーネが同時に声を上げ、倒れかける女神に手を伸ばす。
それぞれの安堵の意味は違っていた。
アモールは、騒動の終息への希望。
シレーネは、母の無事を願う気持ち。
「・・・おかぁさん。って、どういうことなんだ。シレーネ、君が女神の娘だってのか? なんで黙ってたんだよ」
「・・・あたしだって知らなかったのよ。初めてそう言われたときは信じられなかった。でも、わかるの。感じるのよ。この人が、あたしを産んでくれたんだって・・・」
シレーネは、冷たい身体を力いっぱい抱きしめながら涙をこぼす。
「おかあぁさん・・・おかぁさぁぁん・・・」
その叫びが、石の室内に響き渡る。
「シレーネ・・・このわたしを、母と呼んでくれたのですね?」
スラインローゼの声は弱々しいが、はっきりしていた。
「仕方ないじゃない。あたしの血も、肉も、魂も・・・あなたを母だって感じちゃうんだから」
「ありがとう、シレーネ。こんなわたしを母と認めてくれて・・・なにもしてあげられなかったのに・・・」
二人は、七年の溝を埋めるように、強く抱きしめ合う。
——誰も、その再会に水を差す気はなかった。
だが。
「盛り上がってるとこ悪いけど、もうそろそろ先に進まないと間に合わなくなる。 親子水入らずは、ゼナの暴走を止めてからにしてくんないかな?」
アモールの言葉は、喉が焼けるような思いだった。
それでも、誰かが言わなければならないことだった。
「そうでしたね。今はゼナを止めるのが先決。急がなければなりません。アモール、サラサ、二人とも協力してくださいますか?」
「ここまで来てやめるわけにはいかないさ」
「わたくしはそのためにこそ、ここにいるのです。お供させてください」
二人の答えに、スラインローゼは軽く頷いた。
それは、初めからわかっていたことだった。
「シレーネ、メモリー。あなた方はここで待っていなさい。
ここから先は危険すぎます。
あなた方をかばいながら戦えるほど、ゼナは甘くありません。
あなたたちを守るために、私は立ち上がる。
それが、母としての最後の責任です。
わかりますね?」
スラインローゼは、娘たちを見つめた。
その瞳には、神ではなく、母としての揺るぎない愛が宿っていた。
「・・・わかったわ。あたしたちはここで待ってる。待ってるから、ちゃんと帰ってきてね」
涙をこらえながら微笑むシレーネ。
その後ろで、メモリーが静かに頷く。
——それは、無言の誓いだった。
「シレーネは、わたしが守る」
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