風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

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通常版

第4話 冬の盛りに ④

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 少年は、マルコと名乗った。

 母はすでに亡く、父は大型商船の船長として航海に出たまま、半年近く帰ってこないという。
 だから、マルコはこうして歌や芸で、自分の生活費を稼いでいるのだった。

「母さん、旅の吟遊詩人だったんだ」

 誇らしげに胸を張って、マルコは語る。
 彼が歌う曲は、すべて母譲りのものだった。

「北の大陸へ渡ろうとした冒険者の一人でもあったんだ。結局、母さんの一行は失敗しちゃったけどね」

 その言葉に、シレーネとアモールは顔を見合わせた。
 なんとも奇妙な縁だ。
 これから北の大陸へ向かおうとする者と、かつて挑んで果たせなかった者の子供が、こうして出会うなんて。

 マルコがわずかに息を吸った。
 呼吸を整える気配が立つ。

「『北の果て 氷の門 風も凍る 白の地へ 竜の影 眠る森 呼ぶは誰ぞ 夢の声』 『帰らぬ旅路 母の歌 雪に消えた 足跡よ けれど今も 耳に残る “北へ行け”の 囁きが』『進む先 道を尋ねよ 知る者あれば 歌を継いで時を待つ』 ・・・っと」


 北の大地についての歌なのだろう。
 朗々と歌を披露してくれた。

 その歌声に、シレーネは幼い頃に聞いた母の鼻歌を思い出していた。
 あの女性の声と、どこか重なる気がした。

 あの旋律は、確かに母の声と重なっていた。
 胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。

 でも、それは運命なんて大げさなものじゃない。
 マルコの次の言葉が、それをあっさり否定した。


「ま、この街はもともと、冒険者と、それ目当ての商人たちでできたようなもんだから。 そんな話、自慢にもならないよ」

 陽気な口調だった。
 けれど、その瞳は一瞬だけ、感情のない人形のように見えた。
 まるで、別の世界を見ているような——

 でも、それもすぐに元の大きな栗色の瞳に戻る。

「まだ早いけど、今日は結構稼げたし、僕は寝ぐらに帰るよ」

 明るく言って、マルコは席を立とうとした。

「楽しかったよ」

 アモールが声をかけ、もう一枚金貨を手渡す。
 マルコの歌声が、まだ耳に残っていた。

「ありがとう、にいさん!」

 マルコはペコリと頭を下げ、勢いよく椅子から立ち上がった——

 その瞬間、動きが止まった。

 誰かが、彼の襟首を掴んで持ち上げたのだ。

「ずいぶん稼いだようだな。えぇ、小僧さんよ」

 低く、ねちっこい声。
 その口調には、街の暮らしに馴染みのないシレーネですら、危険な相手だとすぐにわかるほどの悪意が込められていた。

 ハッとして声の方を見ると—— 革の服を着た三人組の男が、マルコを睨みつけて立っていた。
 酒場の客たち、店の女たち、誰もが目を逸らした。
 関わりたくないという空気が、店内を覆っていた。

 マルコの歌に気を取られていて、彼らが近づいてくるのに気づかなかったのだ。


「あれ、僕に用なの?」

 マルコは丸い顔を三人組に向けて、明るく声をかけた。
 けれど、その口元はわずかに引きつっていた。

「てめぇ、誰に許可もらって商売してやがるんだ?」

 マルコを持ち上げたままの男が、いやらしい笑みを浮かべて顔を覗き込む。
『陽気な少年』でごまかせる雰囲気ではない。

 マルコは一瞬、言葉に詰まりかけた。
 けれど、すぐに顔を上げて言い返す。

「ふん。少なくとも、あんたらみたいなゴロツキに許可をもらうつもりはないよ」

「・・・そうかい、しっかりした坊やだな。でもな、俺たちも遊びじゃねぇんだ。払うもんは、払ってもらわねぇと困るんだよ」

 男は語気を荒げ、怒鳴ると同時にマルコを掴んだ腕を振り上げ——テーブルめがけて、叩きつけようとした。

「やめろ!」

 アモールが叫び、咄嗟に自分の荷物——雪影の毛皮が入った布袋をテーブルに投げた。
 マルコの小さな身体は、毛皮のクッションに受け止められ、衝撃を免れた。

「たいした勇者だな、あんたらは。子供相手に三人がかりとは・・・俺には真似できねぇよ。恥ずかしくてな!」

 アモールは叫びながら、中剣を引き寄せ、いつでも抜けるように身構える。

「どんな事情があるか知らないけど、子供に暴力なんて最低よ。恥を知りなさい!」

 シレーネも毅然と立ち上がり、男たちに言い放つ。
 その静かながらも迫力ある言葉に、男たちは一瞬気圧されたようだった。

 だが、耳を貸す気はなかった。

「おめぇらは引っ込んでな。よそ者には関係ねぇことだ。余計な口出しは、怪我のもとだぜ」

 三人のうち、最も近くにいた男がドスの効いた声で脅す。
 他の二人も音もなく左右に広がり、マルコ・アモール・シレーネを囲むように壁際へと追い込んでいく。

 そして—— 最初にマルコを掴んだ男が、再び襲いかかった。

 まるで鷹が獲物に飛びかかるような素早さ。
 いや、アモールに言わせれば、野豚が噛みつくような荒々しさ。

「やめなさいったら!」

 シレーネが叫び、テーブルの上にあった燭台を掴む。
 火のついた三本のロウソクをそのまま、男の顔へ突き出した。

 燭台を握る手が、あとから震えてきた。
 けれど、今はそれを見せるわけにはいかなかった。

 怖い。
 でも、黙って見ている方が、もっと怖い

 シレーネの内心の葛藤が渦を巻く中、意外にも、この行動は効いていた。

「うわっ!」

 男はのけぞり、思わず攻撃を躱そうとする。
 その隙を逃さず、アモールは鞘に収まったままの剣で男の膝を後ろから払った。

 男は前のめりに倒れ込む。

「逃げろ!」

 アモールが叫び、倒れた男の背中を踏みつけて駆け出す。
 シレーネとマルコもすぐに後に続いた。

 そんな状況でも、アモールは店のカウンターに食事代と迷惑料をしっかり置いていくのをわすれなかった。
 人が良すぎるのが彼の最大の欠点——自他ともに認めるところだった。

 命の危機でも財布は忘れない。
 アモールのそういうところが、シレーネは少しだけ好きになりつつあった。

 あくまで『旅の仲間』ではあったけれど。

「急いで! あいつら、追ってくるよ!」

 マルコが悲鳴のような声を上げる。

「心配するな。あいつらに、俺たちを追える脚力なんてねぇよ」

 アモールは自信たっぷりに言う。
 その言葉は、すぐに事実として証明された。

 しばらくは怒声が背中に聞こえていたが、走るにつれて遠ざかっていく。
 船乗りの彼らは、走ることには慣れていなかったのだろう。

 もちろん、後で仲間を連れて仕返しに来る可能性も考えられた。
 けれど、女と子供を連れた男一人に手も出せなかったことを報告して、笑い者になるほどバカではないはずだ。

 海賊——特に下っ端の連中なんて、体裁ばかり気にする小心者なのだ。

 三人は、追手が遠のいたことを確認し、ひとまず休める場所を探すことにした。
 町の中では、あの三人組の存在が気になって、落ち着いて休むことなどできそうになかったから。



 この町では、もう安全は望めない。
 けれど、北の海へ渡るには、まだこの港を離れるわけにはいかなかった。

 逃げることはできる。
 でも、進むしかない。
 シレーネは、凍てつく風の中で、そっと唇を引き結んだ。
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