風のアモール 

葉月奈津・男

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第18話 目覚め行く ③

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 アモールが最後、青の魔晶石を手に取った瞬間——スラインローゼが叫んだ。

「やめて! ゼナを殺さないで!」

 シレーネとの再会でも見せなかった涙が、頬を伝う。
 その声は、女神でも母でもなく、一人の『女』のものだった。

「なぜだ。なぜ、あなたが私の命を乞う? この期に及んで、私に情けでもかけたつもりか!」

「死んではいけません。そばにいてほしいんです」

「言うな、スラインローゼ! おまえは屈服させるべき存在!」

「違う! わたしたちは、いつも一緒だった。この世に生を受けてからずっと、二人仲良く・・・それが永遠だと思っていたのに、あなたは変わってしまった。神々の長になった、あの日から」

「私は神々をまとめるために、力を求めた。だが、神々は分裂した。私に従う者と、あなたの優しさを慕う者とに。分裂を防ぐには、どちらかが消えるしかなかったのだ」

「わたしは、あなたを守りたかった。違うやり方で、あなたに反対する者を引き受けて、 あなたの盾になれると思ったの。・・・あなたのことが、好きだから」

「やめろぉぉぉ!」

 ゼナの絶叫が響く。
 両手で頭を抱え、苦悶の表情で後退る。

 その身体から、煙のような影が漏れ出していた。

 アモールにも、それが何を意味するかはわかった。
 ゼナの中に巣食っていた『別の何か』が、追い出されようとしているのだ。

「アモール! 今よ!!」

 サラサの声に背を押され、アモールは女神の宝珠を取り出し、全身の力を込めてゼナに投げつけた。

 宝珠がゼナに触れ、砕け散る——

 まばゆい閃光が広間を包み、視界が真っ白になる。

 その中で、ゼナの体内から紅紫の影が弾け飛び、散った宝珠の欠片がゼナに吸収されていく。

 そして、神々しい後光が、ゼナの背に浮かび上がった。
 彼の瞳から狂気が消え、静かな光が宿る。



「スラインローゼ・・・私は・・・何をしていた? 私は・・・あなたを・・・殺そうと・・・」

「ゼナ! 気持ちを静めて! また魔気に飲まれてしまいます!」

 正気を取り戻したゼナが、自己を責め始める。
 スラインローゼは喜びを隠しきれず、優しく声をかけた。

「すまない・・・私が浅はかだったばかりに・・・」

「いいえ、わたしも意地を張りすぎたの。あの時、もっと素直に・・・あなたを一人の男として慕っていると伝えていれば・・・」

「私も同じだ。あの時、あなたを止める勇気があれば・・・」

 互いに自分を責め、互いをかばいながら、二人はゆっくりと歩み寄り、強く抱き合った。


「・・・これだよ。やってらんねーよな。痴話喧嘩でこの騒ぎかよ・・・・・・」

 アモールが呆れたように呟く。
 サラサも、苦笑をこらえている。

「素敵じゃない、二人とも。気持ちが通じ合った瞬間ってわけよね」

「呑気なこと言ってるけどな・・・この痴話喧嘩のせいで、どれだけの人が死んだと思ってるんだ。俺たちだって、何度も死にかけたんだぞ」

 塔の中で見た氷漬けの死体、《記憶》の封印で見た少女たちの無惨な姿が、アモールの脳裏をよぎる。

「それは・・・ダルトンの仕業でしょ? 二人の責任じゃないわ」

「隙を作ったのがいけないんだ。あいつらがしっかりしてれば、ダルトンなんかに付け入る余地はなかったんだよ」

 そのとき——ゼナとスラインローゼが、身を寄せ合ったまま振り返った。

「・・・わたしたちも、かつての神々と同じように、異界へ旅立とうと思います」

「・・・シレーネはどうするんだい?」

 アモールは、思わず問いかけていた。

「・・・あの子の父は、普通の漁師でした。
 人の痛みを知る、優しい人でした。

 シレーネにも、そんな人と出会ってほしい。
 愛すること、愛されることの喜びを知ってほしい。

 それは、この世界でしか得られないものだから」

 そのときのスラインローゼは、間違いなく『母』だった。

「では、行くのですね。もう、すぐに」

 サラサの問いに、スラインローゼは静かに頷いた。

「逢ってしまえば、未練が残ります。身勝手とは思いますが・・・後のこと、お願いします。シレーネに、わたしの愛が届いていたなら、それだけで十分です」

 長い呪文の詠唱とともに、スラインローゼとゼナは、光に包まれて姿を消した。

 ——なんとも、あっけない幕切れだった。

 アモールは剣を抜くこともなく、サラサも魔法を使うことなく、すべてが終わった。

「最後まで、自分の都合だけで事を運びやがって・・・俺、もう神なんて信じんぞ。祈る気もなくなった」

 苛立ちと虚しさを吐き出すように、アモールが毒づく。
 それは、シレーネに真実を伝えなければならない自分への苛立ちでもあった。

「おや? まるでかつては真摯に祈っていた――ような言い方ですわね?」
 サラサが、端正な顔に似合わない皮肉をぶつけた。

 「でも、あの二人の想いが嘘じゃないことはわかる」

 アモールは、かすかに鼻を鳴らして受け流した。

「・・・まぁ、いい。目的は達したんだ。胸を張って、帰るとしよう」

 アモールは振り返らず。
 静かに歩き出した。



 しばらく歩いて、後ろから聞こえるはずの足音がまったくないことに気づいたアモールは、不安を覚えて振り返った。

「・・・んぐ、んんんんんんっ・・・・・・」

 サラサのくぐもった呻き。
 その右肩に、見覚えのある醜悪な顔がのぞいていた。

「・・・勘弁しろよ。いまさら、てめぇの顔なんぞ見たって、何の感慨もねぇぞ」

 そこにいたのは——ダルトン。
 忘れたくても忘れられない、あの顔だった。

「目的を果たした勇者が、感傷に浸ろうって時に邪魔しやがって・・・何しに迷い出やがったんだ、てめぇは!!」

『迷い出たわけではありませんよ。すべて計画通りです。あなた方が現れることも、ゼナとスラインローゼが異界へ旅立つことも・・・すべて、わたくしの掌の上のことだったのです』

 ダルトンの身体は、血のような色の霧に包まれていた。
 もはや人ではなく、意志を持った霧——毒霧だった。

『今のわたくしは霧そのもの。どんな攻撃も、わたくしを殺すことはできません。神とて不可能なこと。まして、この世界には神など存在しないのですからねぇ』

 アモールの剣が、ダルトンの身体を通り抜ける。
 確かに、物理的な攻撃は意味をなさない。

「・・・村の爺さんが話してたことがあったな。おまえみたいな化け物のことを『毒霧』って呼んでた。無惨に殺された人々の怨念が融合して生まれる魔物だってな」

 毒霧——それは、生への執念と死への恐怖が具現化した存在。
 不死であり、魔法でしか消滅できない。
 しかも、光の魔法でなければならない。

「この状況じゃ、確かに無敵だな。てめぇのエネルギー源は、地下にあった氷漬けの死体だろ? 取り除こうにも、ここからじゃ手が届かねぇ」

 アモールは冷静に分析する。
 ダルトンの言葉が、まったくの嘘ではないことも理解していた。

「俺には、痴人の夢としか思えないがね」

『ふふふふふ・・・なんとでも言え。所詮は負け犬の遠吠え』

 ダルトンはサラサを投げ飛ばす。
 自分に弱点などないと誇示するためのパフォーマンス。

 だが、それこそがアモールの狙いだった。

 サラサが安全な距離に離れたのを確認し、アモールは最後の魔晶石を取り出す。

「消滅が無理なら、動けなくすればいい。簡単な理屈じゃないか」

 魔晶石から放たれた四本の氷柱が、放射状に伸び、ダルトンの背後の壁に突き刺さる。

 霧であるダルトンは、物理的な攻撃をすり抜ける。
 だが、完全密閉された空間に閉じ込められれば、空気すらも漏れない——霧も出られない。

 しかも、ダルトンは不死の力を維持するために、常時魔法を使っている状態。
 つまり、別の魔法を使えば、その維持が途切れ、死を招く。

「こいつ、このまま封印しちまってくれ」

 アモールは、静かに言った。


 投げ飛ばされ、軽い脳震盪で意識が朦朧としていたサラサは、頭を振って正気を取り戻す。

 その様子を見て、アモールが声をかける。

「サラサ、頼む。封印を完成させてくれ」

 サラサは力強く頷き、氷壁へと歩み寄る。

『や、やめろ~! 正々堂々と戦いましょうよ! いきなり封印なんて、ルール違反ですよ!』

 ダルトンが必死に叫ぶ。
 だが、アモールもサラサも、その声には耳を貸さない。

 もともと魔法で形成された氷柱。
 封印作業はそれほど手間ではなかった。

 サラサが氷壁のあちこちに魔法陣と文字を描き、魔力を注ぎ込んでいく。

「・・・終わりましたわ。早く戻らないと、シレーネさんやマルコが心配しますよ」

 封印が完成したのを確認し、サラサが促す。

「そうだな、早く戻ろう」

 背後では、ダルトンが半狂乱で叫んでいた。
 だが、二人は振り返らず、静かに歩き出す。

 女神が異界へ去ったとはいえ、その影響力はまだ残っている。

 この階層に飛んできたときと同じ場所に立つだけで、アモールとサラサは、シレーネとメモリーの待つ部屋へ瞬時に戻ることができる。

『貴方たちのことは忘れませんよ! 必ず復讐しに行きますからね! 首を洗って待っていなさい!』

 瞬間移動の直前、ダルトンの悲鳴のような声が耳に刺さる。

「世界が終わるときまで、そこにいろ。てめぇは」

 空間転移の光に包まれながら、アモールが怒鳴り返す。

 それがダルトンに届いたかはわからない。
 だが、消滅させられなかった後味の悪さが、アモールの声に滲んでいた。


「おのぉれぇぇぇ! ずぅぇぇぇぇぇたぁいにぃぃぃぃ、ゆぅぅぅぅぅるぅぅぅぅさぁぁぁぬぅぅぅぞぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!」

 だが、霧の中に響いたその声は、誰にも届くことはなかった。
 ただ、冷たい氷の中で、永遠に反響し続けるだけだった。

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