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(R18)ファタール用改稿版
第9話 追う影
しおりを挟む山小屋の中には、まだ微かな熱が残っていた。
焚き火のぱちりと弾ける音と、アモールが鍋をかき混ぜる金属の音が、
静かな朝の空気をゆっくり揺らしている。
シレーネは、粗末な椅子に腰を下ろしていた。
呼吸はようやく落ち着いたはずなのに、胸の奥にはまだ、さっきの混乱の名残が残っている。
ふと、指先が唇に触れた。
(……同じ、はずなのに)
村での祈り。
男たちとの距離。
触れられることも、触れることも、ずっと『儀式の一部』だった。
動きも、距離も、さっきと変わらないはずなのに。
なのに——
胸の奥の熱が、まるで違う。
指先でそっと唇をなぞると、そこだけがまだ温かい気がした。
(どうして……こんなに)
祈りのときには決して生まれなかった、自分のための揺れ。
胸の奥がふわりと浮くような感覚。
その感覚を確かめるように、シレーネはもう一度、そっと唇に触れた。
すると、夢の中のボルガンの姿が、ゆっくりと薄れていくのを感じた。
あの深い視線も、胸を締めつけた高鳴りも、まるで霧のように遠ざかっていく。
代わりに浮かんでくるのは——
さっき、すぐ近くにあったアモールの顔。
(……どうして、アモールのほうが)
胸の奥がまたきゅっと縮まる。
理由がわからない。
わからないのに、その揺れは確かにそこにあった。
アモールが鍋を火から下ろし、振り返る気配がする。
その気配だけで、胸の奥の熱がまた静かに広がった。
体が緩んでしまう。
顔に熱が集まる。
(なんなの…、これ…?)
◇
雪を踏みしめる音が、静かな森にひとつだけ響いていた。
息が白く散り、荒い呼吸が夜気を震わせる。
山小屋の前で、その足音は止まった。
「……ここは?」
短く呟く声。
焦りと、探し続けた疲労が滲んでいる。
扉に手がかかる。
ためらいの一瞬のあと、勢いよく押し開けられた。
中は静かだった。
暖炉はまだ赤い火を抱えているが、熱はもうほとんど残っていない。
空気はどこか気怠く、ついさっきまで誰かがいた気配だけが漂っている。
そして——
毛布。
床に落ちたままのそれは、どこか懐かしい匂いを含んでいた。
その匂いに、訪れた人物の肩がわずかに震える。
「……シレーネ……?」
名前を呼ぶ声は、驚きでも怒りでもなく、胸の奥から漏れたような、深い響きだった。
返事はない。
ただ、残された温もりの名残だけが、静かにその場に漂っていた。
訪れた人物は、毛布にそっと触れた。
その指先が、かすかに震えていた。
「……どこへ行ったんだ」
呟きは雪の冷気に溶け、山小屋の外へ消えていく。
◇
そして——
場面は港町へと移る。
潮の匂い。
遠くで鳴る船の鐘。
人々のざわめき。
北へ向かう道の先で、新しい物語が静かに動き始めていた。
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